山口三重子論文「重症障害新生児の治療決定過程における手続き的配慮の類型化の試み」 (中)

前のエントリーからの続きです。


Ⅲ. 我が国における重症障害新生児の治療についてのこれまでの考え方

親の治療拒否に対して医師が訴訟を起こした事例はなく、したがって司法判断もない。

著者は
「子どもの治療を受ける権利の実効化については、裁判外紛争処理手続きの整備を含めて、
今後検討されるべきであろう」

この後、著者は仁志田博司のクラス分けと船戸正久のガイドライン
さらに、脳神経外科医の塚本泰司が報告した脊髄髄膜瘤の事例について詳述。

「わが国で重症障害新生児の治療方針のクラス分けを行っている医師は、
医学中央雑誌の文献検索の限りでは、仁志田と船戸のみであった」

一方で不当と思われる治療拒否を受ける子どもの保護と、他方で重症な障害を持つ子どもに対する過剰医療という相反する様相をみせている治療決定の正当性をどのようにすれば確保できるのかという問題については、新生児が自らの意思を表明できないだけに、一層厳格に考えられなければならないであろう。


仁志田のクラス分けについて著者が特記しているのは、
「『原則的に家族に最終判断を迫らない』父権的な方法が採られている」こと。

船戸のガイドラインも、
家族に対して、時の状態や予後を科学的根拠に基づいて説明した後、
医療チームで決定した治療行為を勧告する。そして、
それらの説明を受けた家族がどのような希望を持っているかを傾聴する、としている。

塚本の報告は、
「脊髄髄膜瘤を主とした疾患で、生後5年以上を経過し今回追跡できた患者」を条件に
「retrospectiveにQuality of Life(以下QOLとする)を考察した10事例」を紹介したもの。
1969年から1985年に出生した10事例。生存は5名。

「8例は今から考えると対症療法に留めるべきではなかったかと考えている。
しかし、逆に言えば、10例中2例は良好な生活を行っているのであり、
2割の可能性があれば、積極的治療を行ったのは正しいといえよう」

「どの患者が良好な生活が期待されるのかは、出生の時点で予測するのは非常に困難である」

それを受けて著者は、
「塚本が言うように、神経管奇形の診断とその後に行われる治療の効果の予測が困難であるとするならば、
出生の段階で治療を行うか行わないかをふるい分けることはなおさら困難であるといえよう」

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この下りで非常に気になったこととして、
トリソミー13とトリソミー18、無脳症について、著者が、
確実な診断のみならず、生命予後についても非治療の方針についても
「(医師の間に)合意が得られている疾患であると思われる」(197(128))と書いていること。

13/18トリソミーの子の中には、
治療をすれば一定程度まで生きられる子どももいることが判明しているはず。



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