新生児の疾患別の治療中止「仁志田のガイドライン」が一般にどの程度認知されてきたのか、という疑問について

ほんの印象のようなことに過ぎないのだけれど、
とても大事な疑問だと思うので、とりあえずメモしておきたい。

先週10月17日の土曜日、
『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』の著者の
松永正訓医師の講演を聞いた。

たくさんの熱い思いが静かな口調で語られる、
とてもいい講演だった。

その中で、
東京女子大の新生児科が1987年に発表した
「新生児の治療方針の決定のためのクラス分け」が言及された。

以下のように、疾患別に、
新生児に行う治療レベルを分類したもの。

クラスA
あらゆる治療を行う:対象はほとんどの患児

クラスB
一定限度以上の治療は行わない(心臓手術や血液透析など):
先天性表皮水疱症 や先天性ミオパチーのように短い生命予後が明らかな患児

クラスC
現在行っている以上の治療は行わず一般的養護(保温、栄養、清拭および愛情)に徹する:
13トリソミー、18トリソミー、無脳児、重症仮死で出生した500g未満の超未熟児、人工換気中に高度の頭蓋内出血を伴い神経学的反応が見られなくなった児など

クラスD
すべての治療を中止する(消極的安楽死


本来は一医療機関内の分類に過ぎなかったものが、
いつのまにか「ガイドライン」として日本中に広がっていき、

単なる「例示」に過ぎなかったはずの疾患名と共に「クラス分け」が一人歩きして
例えば「13、18トリソミーの新生児には積極的治療はしない」などの慣行を作った。

その経緯から「いわゆる『仁志田のガイドライン』」と称される。

その後、トリソミーの新生児の中にも
それまで思われていたほど短命ではない子どもがいることがわかり、
(短命だったのはそもそも積極的に治療しなかったためだったなどの議論については
エントリー末尾のトリソミー関連のリンクにあります)

「仁志田のガイドライン」は既に役目を終えた、と言われている。

そうした経緯については、
例えば、こちらの櫻井浩子さんの論文が批判的に概観していて分かりやすい ↓
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2008/sh01.pdf


松永正訓医師が講演でこの「クラス分け」に言及されたのは、
18トリソミーの新生児に積極治療はしないと医療チームとしての判断が下され、
胃ろうのチューブが抜かれ、NICUの片隅で放置された事例をめぐって、
「こんなことが許されるのだろうか」と疑問に思い、
それが先生の中で「子どもの命を見捨てた」記憶となった、その体験が、
後年『運命の子』に描かれた朝陽君との出会いの背景にあった、という文脈だった。

私は講演だけ聞いて失礼したのだけれど、
その後で、20人ほどの人と先生との間で茶話会が持たれ、その中で、
この「ガイドライン」の存在を初めて知ってショックを受けたという発言が多かったと、
茶話会に出られた方から後で教えてもらった。

そこで頭に浮かんだ新たな疑問――。

この「クラス分け」、
実態として「治療中止と差し控えのガイドライン」となったものの存在は
新生児医療の現場の外、一般社会では一体どれくらいの人に知られてきたのだろう?

医療現場では広く知られていたのに、
それを一般社会はまったく知らずに来た、ということはなかったのだろうか?

その間、医療の世界は、
社会に対して、知らせる努力をしたのだろうか?

敢えて社会に広く知らせることも
だからもちろん、その是非を社会に問うてみることも、
してこなかった、ということなのでは?

そうして、社会の誰もそんな事態については知らないまま、
個々の患者は個々の状況の中で目の前の医師から
「トリソミーの子は短命だから治療はしません。そういうことになっています」と
一方的に言い渡されてきたのだとしたら、

(現に私はそういうケースについて、いくつか耳にしている)

日本では、医療の世界と、わずかにアカデミックな生命倫理学の片隅を除いては
まともな議論などないまま、つまり脳死臓器移植の際のような国民的な議論などないまま、
一定の状態の新生児の治療の中止と差し控えが
医療現場だけで決められ、実行されてきたことにならないか?

それこそ、まさに医療の
社会に対するパターナリズムとでもいうべき態度なのでは?

そこに見えるのは、
医療については医療職がその専門性によって考えて判断することだという
まさに現在の米国の医療専門職の絶対的決定権を土台にした「無益な治療」論。

ただし一方の「患者の自己決定権」としての「死ぬ権利」議論と
互いに影響しあって捩れていく形で米国の無益論がそのように変遷していったのに対して、

日本の場合はその議論のどこにも
「患者(家族)の自己決定権」概念が(アリバイ的言及以上には)存在したことがなく、
終始パターナリズムのうちに医療の世界の中ですべてが進められてきたのでは?

これ、ものすごく重大な問題だと思う。

なにしろ
「いわゆる仁志田のガイドラインはすでに役割を終えた」といわれている一方で、現在、

淀川キリスト教病院がそのクラス分けを踏襲し、さらに踏み込んで
仁志田のクラス分けでは「例示」に過ぎなかった疾患名を「基準」とし、
ガイドライン」と名づけたものを作り、

再び、小児科医療の世界に
ガイドラインとして一般化し広めていこうとする動きが目立ってきているし、

また、10月6日のメモにも書いたけど、
先日たまたま見た地方ニュースの臓器提供推進特集で、
福嶌教偉医師が「死を決めるのは家族ではなく医師だ」と断言するのを聞いた。

私は思わず、テレビに向かって
「それを決めるのはあなたではなく、社会であり法でしょう」と
突っ込みながら、マクマス事件を頭に浮かべた。

マクマス事件に横溢していた、あのヒステリックな指弾の声を。

「医師が脳死と診断したら、家族がなんと言おうと、もう死体なんだよっ。
それが分からないのは、家族の科学に対する無知蒙昧!」



医療の不確実性を覆い隠す装置として
医療専門職の専門性と権威と「中止と差し控えの手順」が使われて
そうして医療の確実性が装われ、いのちの切り捨て(と資源としての利用?)が進められていく。



そんな時代がどんどん進行していこうとしているとしたら、
パターナリズム権威主義が依然として根強い日本の医療現場で、
1980年代から存在していた「ガイドライン」が広く社会に知らされてこなかったことは
やっぱりとても重大な問題なんじゃないかと思って、

今後も考え続けるための、とりあえずのメモ。