新生児の疾患別の治療中止「仁志田のガイドライン」が一般にどの程度認知されてきたのか、という疑問について
ほんの印象のようなことに過ぎないのだけれど、
とても大事な疑問だと思うので、とりあえずメモしておきたい。
とても大事な疑問だと思うので、とりあえずメモしておきたい。
たくさんの熱い思いが静かな口調で語られる、
とてもいい講演だった。
とてもいい講演だった。
以下のように、疾患別に、
新生児に行う治療レベルを分類したもの。
新生児に行う治療レベルを分類したもの。
その経緯から「いわゆる『仁志田のガイドライン』」と称される。
その後、トリソミーの新生児の中にも
それまで思われていたほど短命ではない子どもがいることがわかり、
(短命だったのはそもそも積極的に治療しなかったためだったなどの議論については
エントリー末尾のトリソミー関連のリンクにあります)
それまで思われていたほど短命ではない子どもがいることがわかり、
(短命だったのはそもそも積極的に治療しなかったためだったなどの議論については
エントリー末尾のトリソミー関連のリンクにあります)
「仁志田のガイドライン」は既に役目を終えた、と言われている。
そうした経緯については、
例えば、こちらの櫻井浩子さんの論文が批判的に概観していて分かりやすい ↓
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2008/sh01.pdf
例えば、こちらの櫻井浩子さんの論文が批判的に概観していて分かりやすい ↓
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/ce/2008/sh01.pdf
松永正訓医師が講演でこの「クラス分け」に言及されたのは、
18トリソミーの新生児に積極治療はしないと医療チームとしての判断が下され、
胃ろうのチューブが抜かれ、NICUの片隅で放置された事例をめぐって、
「こんなことが許されるのだろうか」と疑問に思い、
それが先生の中で「子どもの命を見捨てた」記憶となった、その体験が、
後年『運命の子』に描かれた朝陽君との出会いの背景にあった、という文脈だった。
18トリソミーの新生児に積極治療はしないと医療チームとしての判断が下され、
胃ろうのチューブが抜かれ、NICUの片隅で放置された事例をめぐって、
「こんなことが許されるのだろうか」と疑問に思い、
それが先生の中で「子どもの命を見捨てた」記憶となった、その体験が、
後年『運命の子』に描かれた朝陽君との出会いの背景にあった、という文脈だった。
私は講演だけ聞いて失礼したのだけれど、
その後で、20人ほどの人と先生との間で茶話会が持たれ、その中で、
この「ガイドライン」の存在を初めて知ってショックを受けたという発言が多かったと、
茶話会に出られた方から後で教えてもらった。
その後で、20人ほどの人と先生との間で茶話会が持たれ、その中で、
この「ガイドライン」の存在を初めて知ってショックを受けたという発言が多かったと、
茶話会に出られた方から後で教えてもらった。
そこで頭に浮かんだ新たな疑問――。
医療現場では広く知られていたのに、
それを一般社会はまったく知らずに来た、ということはなかったのだろうか?
それを一般社会はまったく知らずに来た、ということはなかったのだろうか?
その間、医療の世界は、
社会に対して、知らせる努力をしたのだろうか?
社会に対して、知らせる努力をしたのだろうか?
敢えて社会に広く知らせることも
だからもちろん、その是非を社会に問うてみることも、
してこなかった、ということなのでは?
だからもちろん、その是非を社会に問うてみることも、
してこなかった、ということなのでは?
そうして、社会の誰もそんな事態については知らないまま、
個々の患者は個々の状況の中で目の前の医師から
「トリソミーの子は短命だから治療はしません。そういうことになっています」と
一方的に言い渡されてきたのだとしたら、
個々の患者は個々の状況の中で目の前の医師から
「トリソミーの子は短命だから治療はしません。そういうことになっています」と
一方的に言い渡されてきたのだとしたら、
(現に私はそういうケースについて、いくつか耳にしている)
日本では、医療の世界と、わずかにアカデミックな生命倫理学の片隅を除いては
まともな議論などないまま、つまり脳死臓器移植の際のような国民的な議論などないまま、
一定の状態の新生児の治療の中止と差し控えが
医療現場だけで決められ、実行されてきたことにならないか?
まともな議論などないまま、つまり脳死臓器移植の際のような国民的な議論などないまま、
一定の状態の新生児の治療の中止と差し控えが
医療現場だけで決められ、実行されてきたことにならないか?
そこに見えるのは、
医療については医療職がその専門性によって考えて判断することだという
まさに現在の米国の医療専門職の絶対的決定権を土台にした「無益な治療」論。
医療については医療職がその専門性によって考えて判断することだという
まさに現在の米国の医療専門職の絶対的決定権を土台にした「無益な治療」論。
ただし一方の「患者の自己決定権」としての「死ぬ権利」議論と
互いに影響しあって捩れていく形で米国の無益論がそのように変遷していったのに対して、
互いに影響しあって捩れていく形で米国の無益論がそのように変遷していったのに対して、
これ、ものすごく重大な問題だと思う。
私は思わず、テレビに向かって
「それを決めるのはあなたではなく、社会であり法でしょう」と
突っ込みながら、マクマス事件を頭に浮かべた。
「それを決めるのはあなたではなく、社会であり法でしょう」と
突っ込みながら、マクマス事件を頭に浮かべた。
マクマス事件に横溢していた、あのヒステリックな指弾の声を。
【McMath事件関連エントリー】
脳死と診断された少女の生命維持をめぐるMcMath訴訟(2014/1/4)
続報から考えるMcMath事件、「脳死は死」と「無益な治療」論の問題点(前)(2014/1/22)
続報から考えるMcMath事件、「脳死は死」と「無益な治療」論の問題点(後)(2014/1/22)
McMath事件: 医療過誤と「生命維持停止」を巡る“倫理”問題のカラクリ(2014/1/25)
McMath事件は、どんどん醜くなってゆく(2014/1/31)
McMath事件:「自己決定」と「脳死」をめぐる生命倫理学者の発言の不思議(2014/2/2)
Jahi McMath事件は「脳死」概念の道徳的問題をあぶりだしている、と医師のブログ(2014/2/18)
McMath事件での生命倫理学者らの発言にTruogらの批判(2014/3/6)
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医療の不確実性を覆い隠す装置として
医療専門職の専門性と権威と「中止と差し控えの手順」が使われて
そうして医療の確実性が装われ、いのちの切り捨て(と資源としての利用?)が進められていく。
医療専門職の専門性と権威と「中止と差し控えの手順」が使われて
そうして医療の確実性が装われ、いのちの切り捨て(と資源としての利用?)が進められていく。
そんな時代がどんどん進行していこうとしているとしたら、
パターナリズムと権威主義が依然として根強い日本の医療現場で、
1980年代から存在していた「ガイドライン」が広く社会に知らされてこなかったことは
やっぱりとても重大な問題なんじゃないかと思って、
パターナリズムと権威主義が依然として根強い日本の医療現場で、
1980年代から存在していた「ガイドライン」が広く社会に知らされてこなかったことは
やっぱりとても重大な問題なんじゃないかと思って、
今後も考え続けるための、とりあえずのメモ。
【トリソミー関連エントリー】
トリソミー13の新生児に心臓手術を認めた倫理委の検討過程 1(2011/11/20)
トリソミー13・18、医師が描くよりも子も親もハッピーで豊かな生活(2012/7/26)
トリソミー13,18の新生児の救命について、Janvierらの新論文を読む(2013/12/9)
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【松永先生関連エントリー】
ファーロウ事件から松永正訓『運命の子 トリソミー』へ: トリソミー13/18を巡る生命倫理 1(2014/1/9)
ここから3本
松永正訓『運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語』1(2014/1/11)
ここから2本
『運命の子 トリソミー』の松永医師インタビュー(2014/4/3)
染色体異常と「無益な治療」論&『運命の子 トリソミー』を読む(2014/4/3)
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