連絡ノート

こちらのエントリーに書いていますが、
帰省の際に療育園の海の担当スタッフと親とがやりとりする連絡ノートが
この数年、かつてない盛り上がりを見せております。

コトの始まりは、
今を遡ること23年前に海が6歳で入園した時に若き男性看護師だったMさんが、
異動先の職場から何度目かに療育園に戻ってこられて、
初めて海の担当となられたこと。

なにしろ親にとっても懐かしいスタッフだし、
顔を合わせては昔話に花が咲いているうちに、

昔のエピソードを思い出すままにノートに書かせてもらってもええかな、とMさん。

Mさんは昔から独特の味をかもし出す文章の書き手として有名な方なのです。
もちろん! と即答。

書いてくださるものが実際にあまりに面白く、
毎回ノートを楽しみに読ませていただくうち、

「イモ掘り」のエピソードには
登場する保母さんご本人を知っているだけに、涙が出るほど笑ったものだから、

Mさんの了解を取り、個人情報を伏せて、
このブログに「ナースの昔語り」シリーズを開始。

さらに昨年春に
海よりもちょっとだけ若い支援職の女性Yさんが担当となり、
同年代ということもあって、まるで海と姉妹のような掛け合いの日々。

この人にまた文章を書く才能があったのですね。

Mさんに刺激されてか、その才能がみるみる開花していき、
海とのやりとりや掛け合いの場面を毎週のように生きいきと描いてくださるのが
これまた、ありありと目に浮かぶ描写力で、面白くてならず。

連絡ノートはいつしか
文豪ナースと文豪支援職の「傑作短編集」のような様相に。

名作の中のいくつかは、差しさわりがないようアレンジをして
アップさせてもらっていますが、

紹介できにくいものの中にも傑作や名作が多々あって、
担当以外のスタッフも時にヨコ入りで書き込んでくださったり。

Mさんやその他の古株看護師さんには、
このノートへの書き込みを通じて、
若いスタッフにメッセージを送っておられる節もあり。

その思いを敏感に汲んだYさんが
さっそくに日々の支援の実践に生かしてくださったり、という場面もあって、

ノートを通じたスタッフ間のコミュニケーションにも
なかなか味わい深いものがあります。

親にとっては、そうしたことのすべてが
日ごろ知ることのできない療育園の日常であり、
またスタッフの皆さんの思いや奮闘でもあって、
読ませていただくたび、様々に心に沁みてきます。

そんなノートですから、
残りページが気になり始めた頃に、
親としても早めに「次のノート」を購入し準備してはおいたのですが、
母がつい判断を誤ったのが5月の連休明け。

一応、残りページを数えてはみたら4ページあったので、

さすが筋金入りの文豪Mさんは
書くとなったら7~10ページくらいは一気にいくのですが、
ここしばらくそういう「創作の波」は来ていないようだったし、

字の小さいYさんだけなら4ページもあれば足りるだろうと
愚かな母は、ついタカをくくってしまったのでした。

Mさんの創作の波がそこでやって来るとはつゆ知らず……。

次に海を迎えに行くと、
廊下で出会った看護師さんが笑いながら
「ノートが、すごいことになっとるよ」

???

なんと、前のエントリーの「しんや君」他2作品が、
5ページを使って書かれておりました。

でも、そうなのです。
残っていた白紙ページは4ページ――。

最後の2ページはノートの裏表紙との見開きとなって完結しておりました。

そして、その裏表紙の、さらに裏側には、
Yさんの小さな字がびっしり。

その冒頭に書かれていたYさんとMさんのやりとりとは……

Y「Mさーん! ノート!」

M「もうページがないけー、ここに書けー」

Y「足りーん」

M「Mがいじわるじゃけーの。……じゃけぇの。あーでの、こーでの」

……と、ぼやいていらっしゃいました(笑)

新しいノートをお願いします。


裏表紙のウラとオモテとが(でも裏表紙って、どっちが表?)
MさんとYさんそれぞれの字でびっしり埋めつくされた連絡ノート、

ノートを閉じて裏にして置いた時の、
裏表紙をYさんの字がびっしり埋め尽くした「なんだ、こりゃ?」な風情が、
何ともいえない。

お名前が含まれているため、
写真でお見せできないのが残念。

しばし詰め所周辺のスタッフ皆さんにも話題にされつつ、
我が家に戻ってきて、本棚に家宝として収蔵されております。