NZのTV“成長抑制療法”シリーズ

もう、ほんっと――に、読みたくもないし書きたくもないんだけれど、
知ってしまった以上は気にはかかるので、頭が「嫌だぁぁ」と抵抗するのをなだめつつ
がんばって、ふんばって、かろうじて、以下のエントリーの関連3題のメモ。


NZのDaryl-Ann Frehsenfeldさん(9歳)。

両親が障害者のコミュニティで“成長抑制療法”について知り、
小児内分泌医のBen Wheeler医師に要望。

医師は最初は “No way. It’s insane. できるわけない。そんなのイカレてる“と思ったが、
実際に一家に会って、その現実を知ると、倫理問題を検討してみようと考えが変わり、
Otago大学の生命倫理学部のNikkie Kerruish小児科生命倫理上級講師に相談。

同講師はWheeler医師と同じく、それまで成長抑制について聞いたこともなかったが、
Grant Gillett教授と一緒に検討すると応じた。

“成長抑制療法”について調べるうち、
成長は人間にとってそれ自体として良いことだと認識されてきたが、
場合によっては、つまり身体的にも知的にも障害が重い場合には、議論はアリでは、と
考えるようになり、論文を何本か書いた。

問題はQOL概念をどのように捉えるかだという。
賛成する人は本人の安楽と経験を人生において最重視しているのに対して、
反対する人は尊厳と人権を問題にしている。

しかし、これほど複雑な問題では、個々の価値観と判断を尊重すべきではないか。

そう考えた時に、今は親の要望があって検討が始まっているが、
重症児の親には医療サイドから情報提供があっても良いのでは、と
思うようにもなったという。

(この人の主張は、2009年のディクマ&フォストの成長抑制論文の趣旨と同一。
 また、小児科生命倫理学を専門とする学者が、アシュリー事件や“成長抑制”について
「聞いたこともなかった」というのは、ちょっと不思議)

Daryl-Annの両親もまた、アシュリーの父親と同じく、
この決断は簡単(easy)だったという。

「おそらくは我々が娘のためにした決断の中でも最も簡単なものの一つだった」とまで。

ずっと親が抱いてケアし続けてやれることの他に、
骨と筋肉の発達バランスのために身体が捻じ曲がってくることも防げる、

脳性まひの人は成人するにつれてからだの痛みがあちこちに出てくるというけど、
それも防いでやれる、と。


いっぽう、同じくNZのCalebくん(9歳)。

こちらは、医師に相談したけど反対されて諦めた親が
もっとがんばってやってもらっておけばよかったと後悔している、という事例。

6週間未熟で生まれ、生後2日目に脳出血を起こして重度の脳性まひとなった。

身体障害のほかにも知的障害が重く、
最終的には身長が180センチになるといわれており、
人に噛み付いたりつねったり蹴ったりするのが介護する側にとっての悩みだ。

母親のShirleyさんが小児科医に相談したが、
倫理的でないといわれて諦めた。

Shirleyさんはその後、Daryl-Annの母親と出会い、
もっと医師に強く要望すべきだったと後悔している。

これからさらに身体が大きくなり力が強くなって、
噛み付いたりつねったりする子どもをどうやってケアしていったらいいのか。

庭のプールに入れてやるにも自分以外に二人も介護者を雇わなければならない。

地方自治体の生涯者支援はそれなりに充実していて
夜、寝かしつけるまでは介護者がいてくれるが、
うっかりすると部屋中に便を擦り付けてくれて、
始末しようとすると噛み付いたりつねったりする子どもと夜中に格闘するのはキツイ。

とはいえ、Daryl-Annさんとか
現在“成長抑制療法”を受けている12歳のKahn君に比べればCaleb君の障害は軽い。

どこで線を引くかという問題も悩ましい。

(2007年の”アシュリー療法”論争の際にも、
同じ論理が発達障害の子どもや高齢者にも適用されうると
”すべり坂”懸念が指摘されていました)、

Shirleyさんは「私の可愛い坊や my wee boy」がいつか、
施設で赤の他人に介護されることを考えると心配でならない。

He’s my boy, and he should be with me. He knows who I am – he knows I’m his mum.






それにしても、
”成長抑制”をやろうとする親たちは、口をそろえて
「ウチの子は障害が重くて、自分では何一つできないんです」と言うんだなぁ……。

そこでは単に「生活動作が全介助である」という以上のことが言われているような、

うまく言えないんだけど、
重い障害のある人の人としての存在の捉え方が、
肯定する人と反対する人とでは違っているような気がする。