ボイタ法をめぐる読書メモ 3: 石川憲彦 『治療という幻想』 (前)

前のエントリーで触れた『現代思想』2010年3月号の杉本医師へのインタビューで
立岩先生が言及しておられたので、読んでみました。



「医療批判を続ける障害者運動に、医療の側から情報や智恵を紹介する」(p.266)意図で
『福祉労働』に「障害と医療」という題で4年間にわたって連載されたもの。

その意図には、それってパターナリスティックじゃない……? と感じたのですが
さすが著者は只者ではなく、やがて「自分自身の治療を解体させてゆく作業の報告」に
なっていった、と。

連載のテーマとは、以下の恐ろしさということなので、
現在進行形の危機感とも言える。

 実際のところ、人間、悪魔に魂を売ってでも直したいという時はあります。個別的にその善悪を問うことはできません。しかし、脳死安楽死、臓器移植、体外受精、遺伝子操作などの問題が、公然と医療主導で論じられる時代です。障害者だけではなく、すべての現代人が好む好まざるとに関係なく、悪魔との対面を余儀なくされるようになってきました。個別の治療関係における滑稽さに還元しきれない恐ろしさが今、私たちを襲います。
(p.266)


刺激的で、挑発的で、ウハウハ読みつつ、唸りまくった本だった。

なにしろ、
てんかんがテーマの第2章のタイトル「古典医学的治療」の
「古典医学」には「ごまかし」とルビが振ってあるし、

先天異常がテーマの第3章のタイトル「予防医学的治療」の
予防医学」には「まっさつ」、

脳性麻痺がテーマの第4章のタイトル「リハビリテーション的治療」の
リハビリテーション」には「ぺてん」、

言語がテーマの第5章のタイトル「教育的治療」の
「教育」には「せんのう」とルビが振ってあるんだから、

その攻撃性たるや、推さずとも知れるというもの。

内容には、
個人的にはちょっとついていけない感じがするところも混在してはいるんだけれど、

これらの章をはさんでいる
第1章「直すこと、直ること」と最終第6章「直りへの希望」は
噛み締めるように読みたい内容だった。


まずは、現在の「マイ・イシュー」であるボイタ法関連を。

簡単に言えば、

CPの運動をリハビリテーション的に直すということが、いかにペテンであるのかという医学的理由を第4章に示した。しかし実は、CPの運動が「障害」(ハンディキャップ・社会的不利益の意味)となるのは、関係的ここが消失しているがゆえであるということを、ここで再確認しておこうと思う。
(p. 231)


「関係的ここ」というところに、
著者のいう「直り」と「直し」の違いの鍵があって、それは
熊谷医師の《ほどきつつ拾い合う関係》のちょっと手前のあたりに
接近していく考えのような印象。


ビックリしたのは、著者の「療育」観。

著者は「療育」を、
一方的に押し付ける「訓練」とか「治療」という古典的な姿勢や概念を廃し
戦後の人権重視に影響されて「人間の正常な発達」にそった人間作りを志向する
リハビリテーションの新しい医療の姿勢のこと(140ページあたり)と捉えている。

つまり「療育」とは著者にとって
医療の一つの姿勢のことであり、あくまでも「医療」のこと、という認識。

私は今まで、以下のような漠然とした知識から、
「療」と「育」がくっついたものとイメージしていたんだけど、
http://www5.synapse.ne.jp/oosumidesup/anq/01_ryouikuttenani.html

それはもしかしたら、
松鶴吉氏の「子育て」という言葉に引きずられていたのかもしれない。

いま改めて、当初の高木憲次氏の定義を読むと、
「現代科学を総動員して……自活できるよう育成すること」であり、
確かに「医療によって育てること」でしかない。

「療育」とは「医療」と「子育て」とが統合されて行われること、というのは
私の現代的な(かつ非医療的な)感覚による(その方がよほど健全だと思うけど)
勝手な思い込みだったわけか……。

私は昔、誰かが子どもをリハビリに連れて行くことを「療育に行く」と言うのを聞くたびに、
それは「療育」という言葉の使い方が違うんじゃないかと思っていたんだけど、
じゃぁ、あれは向こうの使い方のほうが正しかったわけか……。

著者の「療育」は
時に「リハビリテーション」と同意に使われつつ、
文脈によってグラついてもいるんだけど、

全体としては、著者のいう「療育」とは、
リハビリテーションがもたらした障害に対する刷新的な「医療の」姿勢のことのようです。

その新しさとともに「脳性麻痺は直る」という熱狂がうねった時期に、
「筆者もボイタ法の講習会に参加して、何ヶ月かこの熱狂的叫びにとらわれ、
心を揺さぶられた体験がある」(p. 141)と告白している。

もちろんその前提には、
子どもの障害はほとんど医療から省みられることもなく放置されてきた
という事情もあってのことのようなのだけれど、

こうした個人的な体験ゆえか、著者が「療育」を語る際には
医療職サイドの「善意」や「ヒューマニズム」をやたら強調するキライがあって、
そこらへん、何度も鼻白んでしまう。

その熱狂への著者の捉え方は、たぶん以下に要約されている。

 CPは直る。

 これは1970年代にボバース法やボイタ法といったさまざまな早期療育理論が日本に紹介されてきた時の謳い文句、宣伝文句であった。この宣伝文句は、第1章で紹介した意味で古い医学に変わる新しい医学の勝利宣言であったし……この医学上の変化こそは、単にCPだけではなく、あらゆる「障害」をめぐる情勢を変動させるための必要条件であった。そういった観点から眺めるなら「CPは直る」ということばは、行政が計画的に作り出したプロパガンダ(宣伝)だったのではないかと考えられるほどである。

 もちろんボバースやボイタが、意図的に日本の行政と組んでプロパガンダを流したというのではない。実際ボイタは条件つきで「CPは直る」と宣伝したが、ボバースは直るとはいっていない。彼らを日本に招いた人々も多くは民間で地道にCPの人々とつき合っている医師、リハビリテーターたちであった。こういった新しい医学の流れに属する人々が、行政に対する不満はあったとしても、その不満の故に「CPは直る」といって自己の地位を高めようとしたのでもない。放置された「障害」の問題に対して、新しい医学の流れが上げたヒューマニスティックな声が、「CPは直る」であったのだ。

 しかし、現実には、このプロパガンダが生み出したのは障害児・者に対するグロテスクな管理機構だけであった。

(このあと、著者は早期発見を求める「世論形成によって」
検診を通じ「障害児予備軍の検出という差別性」と就学前教室による分離が深まったと指摘し)

……新しい医学としてのリハビリテーション医学が発揮しようとしたヒューマニズムと、その象徴として語られた「CPは直る」ということばが、自らの意思を裏切って行政的管理の道具とされてしまった。善意がたやすく利用され、逆転されてゆく構造の中では、専門家のヒューマニズムは弱者を非人間化するものとしてしか機能しなかったのである。そして今日、CPは、やはりリハビリテーションで直るのではないという認識が再度復活しつつある状況下でも、治療という名の管理はどんどん進行している。
(p. 175-6)


ふむ。

熊谷晋一郎医師は『リハビリの夜』で
脳性麻痺は治る」と騒いだのはマスコミだったと捉えている。
そして親がそれに踊らされ、他の全てを犠牲にして訓練に励んだ、と。

杉本医師は「親はどうしても何かに縋りつく」と言っている。
(そういう趣旨の発言があったと思うのですが、まだ箇所を確認できていません)

そして、治すことに必死になった親から早期診断を迫られて医師もやったという捉え方の一方で、
医師の間にも「加担したし、せざるを得ない風潮があった」ことを認めている。

石川憲彦医師は「直る」と言ったのはリハ医療だったことを認めている。
ただし、善意でありヒューマニズムだった、という言い訳つきで。

「専門家のヒューマニズム」が「弱者を非人間化する」「行政的管理」に転じてしまったのは
医療職のせいではない、行政のせいだった?

どっちにしても、石川医師の物言いだと、
本人も親も「ペテンの医療」にだまされ、管理されたことになる。

そして、それは、
あの時に田舎町でその状況を直接体験した私の実感でもある。

(たまたま海にはボイタ法は良い結果をもたらしてくれたけど、
 それはここでは別問題だと思う)


(次のエントリーに続きます)