藤沢周平『三屋清左衛門残日録』


amazonの「内容」

日残りて昏るるに未だ遠し―。家督をゆずり、離れに起臥する隠居の身となった三屋清左衛門は、日録を記すことを自らに課した。世間から隔てられた寂寥感、老いた身を襲う悔恨。しかし、藩の執政府は紛糾の渦中にあったのである。老いゆく日々の命のかがやきを、いぶし銀にも似た見事な筆で描く傑作長篇小説。


周平さんの文庫はほとんど持っていて、
どれも5~10回は読んでいる。

20回は軽く読んだ、というのもある。

それでも、

本当は「読まないといけない本」も「読むべき記事」も
「書かないといけないこと」も「準備しないといけないPPT」もあるんだけど、
な~んか、とにかく力が出ないんだよぉぉ……という、今みたいな時に、

つい周平さんの文庫が並んでいる前に立ってしまう。

そして、どの作品を何度目に読んでも、
そのたびに、その時々のこちらの身辺や心身の状態に応じて、
また新たにしみじみ沁みてくるところがある。


 だがこういうふうに、すでに過ぎ去ったことにいつまでも気持ちがとらわれるのも、気持ちが衰えて来た証拠だろうと清左衛門は思いあたる。元気なころは、過去など振りかえるいとまもなかったものだ。

……(中略)……

 清左衛門は橋をわたった。そして、ふと平八を見舞って行こうかという気になった。河岸の道を少し南にさがると、大塚平八の家に行く近道に出る。

 暮れに見舞ったときに、平八の息子の嫁が、お医者には少し歩くとよいと言われているのですけれど、と舅の無気力を嘆くように言っていたのが思い出された。しかしこの冬の大雪では、よしんば歩く気になっても、外には出られなかったろう。

 清左衛門は、青白くむくんだ顔をして、言葉数も少なかった平八を思い出し、また少し気持ちが沈むのを感じた。

 路地をいくつか通り抜けて、清左衛門は大塚平八の家がある道に出た。そして間もなく、早春の光が溢れているその道の遠くに、動く人影があるのに気づいた。清左衛門は足を止めた。

 こちらに背を向けて、杖をつきながらゆっくりゆっくり動いているのは平八だった。ひと足ごとに、平八の身体はいまにもころびそうに傾く。片方の足に、まったく力が入っていないのが見てとれた。身体が傾くと平八は全身の力を太い杖にこめる。そしてそろそろとべつの足を前に踏み出す。また身体が傾く。そういう動きを繰り返しているのだった。見ているだけで、辛くて汗ばむような眺めだった。

 つと清左衛門は路地に引き返した。胸が波打っていた。清左衛門は後を振りむかずに、いそいでその場をはなれた。胸が波打っているのは、平八の姿に鞭打たれた気がしたからだろう。

――そうか、平八。

 いよいよ歩く練習をはじめたか、と清左衛門は思った。

 人間はそうあるべきなのだろう。衰えて死がおとずれるそのときは、おのれをそれまで生かしめたすべてのものに感謝をささげて生を終わればよい。しかしいよいよ死ぬるそのときまでは、人間はあたえられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならぬ、そのことを平八に教えてもらったと清左衛門は思っていた。

 家に帰りつくまで、清左衛門の眼の奥に、明るい早春の光の下で虫のようなしかし辛抱強い動きを繰り返していた、大塚平八の姿が映ってはなれなかった。今日の日記には平八のことを書こう、と思った。
(p.434-437)