「神経筋疾患ネットワーク」の相模原市障害者殺傷事件への声明

相模原市障害者殺傷事件への声明文

2016年7月29日
代表 見形信子

2016年 7月26日未明に相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた障害者殺傷事
件によりお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りし、負傷された方々に心よりお見舞
いを申し上げます。また、同施設に現在もなお入居中の皆さんが心に負った傷を想像する
と、つらくて冷静ではいられない思いです。

私たち「神経筋疾患ネットワーク」は、着床前診断出生前診断に反対する当事者団体で
す。私たちは今回の事件を知り、強い怒りと恐怖を感じています。そして、今こそ、私た
ちの意志をしっかりと表明しておく必要性があると考えました。

今回の事件がなぜ起きたのかについて、TVや新聞、ネット等で様々な議論がなされて
います。その多くは、容疑者がいかに異常で残忍であるか、特殊な思想の持ち主であるか
を語りあげています。しかし、今回の事件を彼の特殊性の問題として片付けてしまう態度
にこそ、この事件の本質があるのではないでしょうか。

そもそも、彼の言う「障害者はいなくなれば良い」という思想は、今の社会で、想像もで
きない荒唐無稽なものになり得ているでしょうか。現実には、胎児に障害があるとわかっ
たら中絶を選ぶ率が90パーセントを超える社会です。障害があることが理由で、学校や会
社やお店や公共交通機関など、至る場所で存在することを拒まれる社会です。重度の障害
をもてば、尊厳を持って生きることは許されず、尊厳を持って死ぬことだけを許可する法
律が作られようとしている社会です。そんな社会の中で生きる彼が、「障害者はいなくな
れば良い」という差別思想に陥ったのは、ある意味、不思議ではありません。彼のやった
ことは、まったく肯定できるところがありませんが、彼の思想を特殊だと切り捨てている
限り、同じことが起こり続けるのではないでしょうか。このような事件を二度と起こさな
い方法は、彼を異常者と認定して納得するのではなく、「障害者はいなくなれば良い」と
いう思想が本当に荒唐無稽に思える社会を創ることのみです。そのためには、障害者が生
まれてくることも地域社会で当たり前に暮らすことも阻害されない社会を実現させること
が、本当の問題解決ではないでしょうか。

TVでは、「弱者を狙うのはひどい」という言葉が繰り返されました。今回の事件は、
たまたま殺した相手が障害者だったのではありません。障害者だから殺したのです。障害
者だから殺しても構わないと思ったのです。社会全体が、障害者を「弱者」と決めつけ、
ただ守られるだけの力弱い価値の小さい存在であるような印象を作りあげていることが、
障害者の命を軽いものとして扱い、殺戮に至る思考をひきおこさせたとは言えないでしょ
うか。

また、今回の犠牲者の方々の実名は報道されませんでした。その結果、亡くなった方々は
、19名という集団としてくくられた形になってしまったように思います。本当は、名前が
あり、一人一人、かけがえのない大切な時間が有り、積み重ねてきた歴史があり、人との
つながりがあったはずです。それが、犠牲者19名とだけ表現されることにより、その存在
が消されたように思えてなりません。遺族の希望と報道されていましたが、遺族全員がそ
う望んだのか、また、ほかのどの事件の場合にも、遺族の希望を聞いて名前の公表を決め
ているのか、疑問が残ります。ここにも障害者を、人格をもつ一人の市民として見ていな
い思想が見え隠れします。

「介助職の負担を軽減させることが大事だ」という話に多くの時間を割いていたTV番
組もありました。私は障害を持っていて、1日24時間の介助が必要です。限られた人だけ
で介助を背負うことがいかに大変なことか、身を持って知っています。だからこそ、多く
の人が介助に関わる状況を作っていくことが大切なのです。介助制度の足りなさ、施設職
員の少なさを放置しておいて、その不足を障害者の責任にすりかえるのは、もうやめてほ
しいです。簡単に「施設職員は大変な仕事だ」と語ることが、実は、介助の供給不足の責
任をすべて障害者におしつけ、命を差し出すことを強要しているのだとの認識が必要です


そして、今回の事件が集合施設で行われたことも見過ごせません。今回、1箇所にたく
さんの障害者が集められていたからこそ、大量殺人につながったのは疑いようのない事実
です。もし、それぞれの人が、一人ずつ介助者をつけて自分の家で暮らせていたら、この
ような大量殺戮は成立しなかったでしょう。また、地域で重度の重複障害の人たちが楽し
く暮らすことができていたら、誰も「障害者だから不幸」などの決めつけをしなかったか
もしれません。

最後に、今回の容疑者が精神病院に措置入院させられ、退院後にこの事件を起こしたこ
とを理由に、措置入院の制度の判断基準が下げられるのではないかということが懸念され
ます。しかし、措置入院そのものが人権侵害の要素を強く持っていることを忘れてはなり
ません。彼が精神疾患であったかどうかはわかりませんが、精神疾患を持つ人が、その人
の治療のためではなく、社会の安全のために本人の意志を無視して安易に病院に拘束され
るのだとしたら、それはあってはならないことです。重度心身障害者と精神障害者が闘わ
される必要はないのです。どちらも権利を侵害されているのです。必要なのは、障害への
認識が変わることと、両者への質的、量的に十分な支援体制です。

私たち「神経筋疾患ネットワーク」は、今回の事件を重く受け止め、私たちの活動を止め
ることなく推進していかなければならないと、決意しました。これからさらに、「要らな
い命はない」という私たちのメッセージを多くの人に広めていきます。同時に、どんなに
重度の障害をもっていても、幸せに暮らすことができることを、自らの生活を人生を見せ
ることで、社会に発信していくつもりです。

そのためにも、専門家や著名なコメンテーターの意見だけではなく、障害を持ちながら地
域の中で実際に暮らしている障害者の声がもっと取り上げられることを強く望みます。


神経筋疾患ネットワーク
〈関東事務局〉
〒338-0002
さいたま市中央区下落合6-15-18
NPO法人自立生活センターくれぱす
TEL 048-840-0318 FAX 048-857-5161
E-mail piapare@kurepasu.org

〈関西事務局〉
〒652-0801
神戸市兵庫区中道通6丁目3-12-101
自立生活センターリングリング内
TEL/FAX 078-578-7358
E-mail ring-ring-kobe@extra.ocn.ne.jp


そういえば、活字メディアは障害者団体や障害当事者に取材していたけど、
映像メディアはこの事件を取り上げる時に、コメンテーターにどうして当事者を呼ばないんだろう???


神経筋疾患ネットワークの皆さんが、
「私ら遺伝性筋疾患の当事者がどう生きているか、
生まれてきてどんなに良かったと思ってるか書くねん。
それを婦人科の待合室に置いてもらったらいいと思わへん?」
という思いから作られた本『でこぼこの宝物』については、こちらに ↓



     ===

併せて、ぜひ読んでもらいたいのは、
松永正訓先生がヨミドクターに8月1日に書かれた以下の記事。
相模原の事件 障害児が生まれると不幸になる?


「死ぬ権利」議論の枠組みだけで終末期医療を議論していたのでは、
今の医療で何が起ころうとしているのか、その本当の危うさは見えてこない、
「死ぬ権利」議論は、もう一方で同時進行している「無益な治療」論と互いに
「コインの表裏」のような関係にある、そこで起こってることを見ないと
本当の「すべり坂」は見えてこない、とずっと書いてきましたが、

日本の医療でも「無益な治療」論は、そういう名前で呼ばれることはないままに
着実に広がりつつあり、松永先生は抗おうとしてくださる数少ない医師の一人です。

以下の下りを、私は
松永先生のある種の「覚悟」のようなものを感じながら読ませてもらいました。


偏見の理由は無知にあります。無知には2種類あって、「中途半端に知っている例」と障害者を全然見たことがないという「完全な無知の例」があります。

「中途半端な無知の例」の代表は、医者と言えます。もちろん、医者のすべてに偏見があるわけではありませんが、医者の中には障害児を見放してしまう人がいます。

……(中略)……

私だって人のことは言えません。13トリソミーの赤ちゃんを1年半にわたって聞き書きして、私は『 運命の子 トリソミー 短命という定めの男の子を授かった家族の物語 』という本を書きました。この作業によってようやく自分の無知と偏見を乗り越えることができました。


この事件は、広く薄く社会に潜んでいる差別の心理が、この犯人の歪んだ心を通じて増幅し形となって表れてしまったものだと私には思えます。


私も、
アシュリー事件で聞いた「どうせ」という声が
「死ぬ権利」議論でも「無益な治療」論でも、日本の尊厳死・平穏死の議論でも
暗黙のうちに共鳴し、共有され、広がっていくことを懸念してきて、

この事件について、やはり、松永先生と同じように感じています。