中山妙華論文「知的障害者福祉の歴史的変遷と課題」&「知的障害者の母親たちの「脱家族介助化」過程」

広島大学の研究者の方の論文2本。

いずれも、知的障害者の福祉施策と「自立」をめぐって母親に焦点を当てた研究で、
相模原の事件からこちらの「脱施設」論に私が抱いている2つの主要な疑問点を
それぞれ実証的に指摘するもの。

簡単に言えば、
「脱施設」より「脱家族介護」を、
そして、そのプロセスも母親に背負わせずに、ということ。

まずはこちら。

「知的障害者福祉の歴史的変遷と課題」
中山妙華 
広島大学『社会文化論集』10号 2008-3-31

論文の狙いは以下。

……わが国における知的障害者福祉の変遷過程をたどっていくことにより、その過程で知的障害者の「親もとからの自立」という課題がどのようにして取り残され、そのことが、現在でもなお知的障害者とその家族が抱え続けている諸問題といかに深く関わっているのか、ということを明らかにしていく。
(p. 46, ゴチックはspitzibara 以下同様)


変遷の中から重要な事実関係をメモ。

・明治末期に知的障害児教育が創設されるも
介助役割は全面的に家族。

・その後、戦争施策にもと社会防衛の観点から知的障害者の問題に目が向き、
1940年の「国民優生法」の成立。
戦時下で断種、隔離の政策へ。

・戦後は傷痍軍人問題により、まず「身体障害者福祉法」。
知的障害は児童福祉法での対応のみ。

・1952年に「全国精神薄弱児育成会」結成。
 1959年に「精神薄弱者養護施設」設置。
 1969年に「精神薄弱者福祉法」制定。

 このように、1950年代の終わりには、知的障害者を対象とした福祉施策が「施設福祉」という形で開始されたことにより、それまで全面的に家族に課せられてきた知的障害者の介助役割に、入所施設というもう一つの大きな担い手が登場することとなった。
(p.48)

・いっぽうで、重度者は施設の利用対象外だったため、
重度知的障害者生存権保障という観点により、
1960年代後半には重度知的障害者も施設福祉の対象に。
(ただし量的にも質的にも内容は不十分なものだった)

・1960年代から1970年代前半にかけて、
入所施設整備の一方、在宅の知的障害者の日中活動保障の取り組みとして
「共同作業所作り運動」が展開される。

・1970年に知的障害者家庭への「家庭奉仕員派遣事業」スタート。
ただし「重度の心身障害者(児)のいる家庭であって、家族が心身障害者(児)の介護を行えない状況にある場合」に限定。
 家族が介護役割を担えなくなった場合の補完制度に留まる。

・1970年代半ば以降、国は「施設重視」から「在宅重視」へ方針転換。
 背景には1973年の石油ショック

・1975年に「緊急一時保護」事業。
 1979年に「精神薄弱者福祉ホーム」制度化。

ただし、政府の「在宅福祉」施策は
まずは家族(特に母親)によって介助役割が果たされることが前提で
その役割を補完するもの。

 一方、1970年代半ば(とくに1980年代)以降の障害者福祉施策における国の「施設重視」から「在宅重視」への方針転換は、「施設福祉」がまだ発展の初期段階にあり、量的な面でも質的な面でも大きな課題を抱えている状況の中で行われた。そのため、実質的には、「施設福祉」の切捨てへとつながっていった。そして、それは知的障害者と同居している家族にとって、彼らの介助役割の社会化に向けてようやく掛けられ始めていた入所施設という一つの大きな梯子が、再び外されることを意味していた。
(p.53)


・1977年に小規模作業所にたいする国庫補助制度・在宅重度障害者デイサービス事業。

・共同作業所作り運動の過程で
本人たちからの「自立要求」や親の高齢化や親亡き後への不安から
共同ホームなど地域での生活施設づくりの運動へ。

(ただ、1987年段階でも「きょうされん」関連の共同ホームは全国に8箇所)

・1990年代には知的障害写本印の手による権利主張の運動が展開され、
「施設」でも「親もと」でもない「個人の生活の場」の必要が訴えられる。
この運動の「脱施設化」の主張により、入所施設の存在軽視の風潮が強まった。

・2005年の厚労省の「知的障害児(者)基礎調査」によると、
18歳以上の在宅知的障害者約29万人のうち、約70%が親と同居。

・2001年の障害者生活支援システムなどの
「重度知的障害(児)者の過程での介護支援についての実態調査」によると、
 主たる介護者の94.4%が母親。

・国の知的障害者施策でも中・軽度者も含め「本人支援」の意味合いが強まっているが、
提供主体の不足、重度者への対応の不十分、自治体によるばらつきの問題があり、
身体障害者に比べて、ホームヘルプ利用率も充実希望率も低い。

……家庭内における知的障害者の介助役割に社会化の途が開かれた後も、それらの介助役割は依然として親(主に母親)が担い続けており、そのことに関する当事者自身の問題意識も未だに低い状態にある……
(p. 56)


・2002年の「重点施策5カ年計画(新障害者プラン)」によると、
障害者のグループホームと福祉ホームの整備目標は
2007年段階でそれぞれ30400人分と5200人分。

・2004年に「障害者(児)の地域生活支援のあり方に関する検討会事務局」が
財源の比重を入所施設サービスから知己生活支援サービスに移すと意見提示。


2002年に大阪市が実施した「障害者生活ニーズ実態調査」その他の結果から
知的障害者過程の問題として、著者が指摘しているのは、

① 親離れ、子離れの遅れ
② 経済的不安
その結果として、家庭における性役割分業の強化
③ 経済的自立の困難
④ 介助者の心身の疲労
⑤ 親亡き後への不安

三原博光らの「知的障害者の老後」に関する親たちへのアンケート調査(2004-2006)
「子どもたちの老後に対して不安があるか?」に対して
「非常に不安がある」65.3%、「まあまあ不安である」27.2%。

不安の理由として
「親自身が高齢となり、知的障害者の世話が困難」45.3%
知的障害者のための老人ホームがない」31.5%
「親以外の家族や親類が世話してくれない」7%

 つまり、このアンケート調査の結果には、多くの親たちが現在でもなお自分以外に子どもを介助してくれる存在がいないと感じており、将来について見通しを立てることができない状況に置かれていることが示されている。そしてそのことが、逆に親たちに対して、「自分たちがいるうちは自分たちの手で精一杯世話しよう」という気持ちを生じさせ、子どもの主な介助者としての役割を自ら積極的に手放していくことを困難にしている。
(p.60)


⑥ 社会的経験の不足
⑦ 「親による障害児者殺し」事件の発生

夏堀摂の研究によると、
2001年から2006年の間に51件。

1990年代以降の特徴として、
成年知的障害者が被害に遭うケースが急増。

被害者の居住形態のうち「在宅・同居」が84.9%
加害者の59.1%が母親。29.6%が父親。

……現在でもなお、在宅で生活している知的障害者の場合、その親(特に母親)に心身両面で過重な負担が強いられており、彼女たちは将来的な展望の見出せない状況に置かれている、ということを裏付けるものとなっている。
(p. 61)


この論文を通じて、最も重要と私が考える指摘は、以下。

まず、根本的な問題として、国の知的障害者施策においては、「親もと」での生活と「親もと」を離れた「地域での生活」との明確な区別がなされておらず、ただ単に「地域生活」とか「在宅生活」といったようなひとくくりの言葉で語られている。そして、「施設での生活」ではなく「地域での生活」が望ましいということのみがますます強調されている。このことは、知的障害者が親もとで暮らし続けていることや、それによって親(特に母親)が彼らの介助役割を担い続けていることによって生じている問題を見え難くし、それらの問題の解決を遅らせることにつながっている
(p. 62)


問題解決のためには

・「親もとからの自立」支援という視点での
地域におけるグループホーム整備や
知的障害者に対応できる人的資源の育成や、支援体制の整備。

 また、その一方で、知的障害者が「親もと」あるいは「入所施設」で暮らしていかざるを得ない現状においては、「親もと」や「入所施設」における彼らの生活の質を向上させるための施策もまた必要とされている。この意味では、1980年代から展開されてきた「脱施設化」の運動や、1990年代から展開されてきた「ピープルファースト」の運動は、地域における生活の場や支援体制が十分に整っておらず、現実的には入所施設を利用せざるを得ない人たちが多くいる中で、入所施設の存在を批判することにより、その質的改善を妨げる方向につながってしまっている、という点で大きな問題を抱えている。むしろ、現状においては、入所施設の存在を批判することが必要なのではなく、入所施設における利用者の生活が少しでも充実したものとなるよう働きかけていくことが必要なのである。そのためには、特に、利用者の個別要求に十分に対応していくことが可能となるよう人員体制を充実させていくことが必要とされている。また逆に、入所施設においてそのような人員体制を充実させていくということは、地域において彼らの生活支援を担っていく人的資源を育成することにもつながっていくのである。
(p. 65)



前の論文からの展開として、冒頭で
2008年末の「障害者自立支援法施行後3年の見直しについて」で
「地域における自立した生活のための支援」に関する項目の中に
「家族との同居からの自立した生活への移行」が盛り込まれていること、

「自立生活運動」による「自立生活」とは
「家族や施設における介助に終止符を打ち,地域の人々に介助を依頼して,みずからの責任において日常生活を設計し管理していくこと」(岡原1990:122)との定義を紹介。

脱家族介助化や家族との同居からの自立をめぐる研究に触れつつ
その数が少なく、とくに家族側の取り組みについて研究されていないことから、

成人知的障害者の母親調査(2008)を行い、特に
息子の幼児期から地域で通園施設立ち上げ、一般校への就学、
親の会の設立、共同作業所やがてグループホームを作ったAさんの語りを中心に
「脱家族介助化」という視点で分析。

結論として、

知的障害者の母親たちの語りから明らかになったこれらのことは,わが国の知的障害者の「脱家族介助化」が,母親たちの社会的活動を中心に展開されており,知的障害者が「家族との同居からの自立を成し遂げられるか否かも,母親たちの取り組みに依存していることを示唆している。そして,そのように母親依存の知的障害者福祉から脱却することができていないがゆえに,知的障害者とその母親たちは,常にその権利が制限される危険性を抱えているのである

このようなわが国における知的障害者福祉の現状を考えた時,知的障害者とその母親の双方の権利を保障していくためには,二つの意味での「脱家族化」が必要とされているといえる。一つ目の「脱家族化」とは,知的障害者の介助役割を社会化していくという意味での「脱家族化」である。そして,二つ目の「脱家族化」とは,脱家族介助化のための基盤整備を母親たちの活動に依存しないという意味での「脱家族化」である。特に,近年では働く母親の増加により,母親たちを中心とした「脱家族介助化」の展開が現実的にも困難になっていることを考えると,母親依存の知的障害者福祉体制の見直しは急務の課題であるといえる。
(p.74-74)