藤原里佐『重度障害児家族の生活 -ケアする母親とジェンダー』 3

前のエントリーからの続きです)


第2章 第5節のタイトルは「ケアする母親」であることの強制

調査の中で、ある母親から
「親にすべてがかかっている」という発言が出てくる。

そうした事態の深刻さは、母親自身以外には、障害児の関係者にすら共有されていない、と
著者は指摘する。

専門職でも「大変」と感じる介護負担を母親が日常的に担っている現実もあるが、
それに伴う母親への重圧は問題視されないことになっている。

そうした構造の中に身を置いている母親は
子どもの成長と共に介護負担をまぬかれることが想定できず
自分のライフコースを見通すことができない。

そのこと自体が母親の生活にとって大きな制約であり、一人の女性としての生き方が閉ざされることにつながっていくのではないだろうか。
(p. 77)


第3章で考察されている「受容」の問題はとても興味深い。

この本の中で最も重要な指摘の一つと思うのが、
「受容」は、親が心理的に子どもの障害を受け入れられるかという点からだけ論じられるが、
母親にとっては「障害をもつ子どもとの生活」の受容という観点も必要、という指摘。

重症重複障害児では、親になった場面とは我が子が命の危機に瀕している場面なので、
障害受容の問題は超越されてしまったところから育児がスタートする、という
著者の分析は私自身の体験とぴったりと重なる。

つまり、親になったとたんに目の前の我が子は死にかけていたりするので、
「とにかく助かってくれれば」という思いからのスタートになる、ということ。

私たち夫婦にとっても海の親となる体験は正しくそれだったし、
「命と引き換えの障害くらい、なんぼのもんよ」という意識だった。

 実際、もう一ヶ月以上も、今にもゆらりと消えてしまいそうなか細い命のともし火を、息を詰めるようにして見守ってきた私たち夫婦は、命が助かったという一事だけで、もう身に余る大変な贈り物をいただいて、お返しのしようもないと感じ入っているような気分だった。
(『新版 海のいる風景』p. 84)


私は後で振り返って、
我が子の障害の受容という意味では「幸運なスタートだった」と考えた。
少なくとも最初の、最も衝撃的な受容の段階については
まったく意識することなく超えられたということだから。

でも、本当の意味での「受容」はそこを越えた後から何度も迫られるものだったし、
その後も子どもの状態の変化や家族の暮らしの節目のたびに、
らせん状に繰り返されていくものだったし、今も続いている。
多くの親は、死ぬまで続くものと受け止めているんじゃないだろうか。

『旧版 海のいる風景』に
「娘を残して死んでいかなければならない日に、
はたして私は海の障害を「受容」できるだろうか……」と書いたのは、2002年。
海はまだ中学生だった。

でも確かに、言われてみれば、そこには、著者がいうように、
「障害そのものの受容」と「障害のある子どもの親としての生活」の受容と
本当は別種の受容があったように思われる。

海が生まれた時、目の前で死にかけている我が子の障害がやすやすと受容できた後、
私にとってはるかに受け入れがたかったのは、
そこから始まった、想像を絶する生活のほうだった。

私自身の当時の状況を振り返ると、
親になるなり、いきなり我が子の命という緊迫した状況に投げ込まれ、
そうと気づく前から不慣れな医療との濃密な付き合いが始まっているわ、
その世界の異様に戸惑いまくり、支えてもらえるどころか日々ズタズタに傷つけられるわ、
産後の疲れを癒すどころか、ろくに眠れない休めない気を抜くことすらできないわ、
子どもの命を守るために文字通り我が身をすり減らしながら、
刻々と展開する想像を絶する事態に対処しつつ、
日々刻々をなんとか正気を保って生き延びること以外に何も考えられない日々。

その時期を振り返ってみると、確かに著者がいうように、

 我が子の障害が判明し、母親の生活には、ケアする母親というジェンダー役割が押し寄せてくる。子ども中心の生活を母親自身が選択したように見えるが、すでに用意されている障害児の母親としての生き方をなぞる以外に方法がないような、緊迫した状態を母親は体験しているのである。それは命に関わる医療行為であり、障害の予後を左右すると言われる訓練であり、日々怠ることのできない生活の介助である。母親がその複雑なケア役割を確実にこなさなければ、つまり、子どもの生活に対する細やかな配慮を中断するならば、直ちに子どもの命を脅かすことにつながることが重度障害児のケアの特徴である。重い障害をもつ子どもの母親は、母親となった時から障害とジェンダーが交差した地点に立たされている。
(p. 90)


我が子が生まれるなり私たち母親が乗せられた「早期発見・早期療育」のレールとは、
まさしく、「すでに用意されている障害児の母親としての生き方」のレールだった。

そんな医療機関、療育機関、学校は、母親役割を当然視する。

……母親のQOLや母親の人権保障は、学校側が関知するところではないという見方が一般的である。つまり構造化されたジェンダー規範は、当事者にも関係者にも容認され、より強固なものとして母親の前に立ちふさがっているのである。
(p. 103)


さらに、障害児の母親として望ましいネットワークと繋がり、
福祉向上や社会変革を目指す社会活動に参加することまでが求められたりもする。

これには、いくつになっても案外に苦しめられている母親が多いのではないか、
という気がしている。

どんな生き方をしてきた人であっても、
どこかで「母親として、もっとこういうことをすべきだったのではないか」という
自責を密かに抱えているのではないか。

それについては、ここで書いてみたことがある ↓
「行動する親」という呪縛(2013/1/9)


第4章で、とりわけ印象的なのは施設の問題

加齢期の母親への聞き取りでは、
在宅介護の限界が来て、施設入所させ「生活分離」しているケースが多い。

この年代の母親たちの育児期には社会の差別意識ジェンダー規範も強く、
母親は孤軍奮闘して母子一体化し、家庭内でも外でも孤立していた。

また母親がケア役割に奔走することで、
他の子どもを含めた家族全体の生活が影響される。

 こうした状況の中で母親は、家族が離れて暮らすことで、障害児も家族全体も「自立」を目指すという観点から、施設入所を決断したとみることができる(田澤 2002)。入所をめぐっては、日常的に子どもに関わっている母親の決断が大きく作用し、直接的には母親自身の「介護の限界」と「療育への期待」がその背景にあるものと思われる。障害児を家でみたいと願っても、母親一人の力では対処できないことを体験的に知り、家族全体の暮らしを維持する上でも、母親は障害児のケア役割と家族の生活の「両立」を断念する。
(p. 124)


調査対象者の年齢から1970年代あたりの時代背景になるようなのだけれど、
施設入所の決断の要因として著者は以下の3点を挙げている。

① 医療と訓練の保障(当時は早期発見早期訓練が唱えられていた時期)。
② 養育・教育的機能を含め、トータルな生活の保障。
③ 支援も社会的理解も不足する中での当人と家族の「生きにくさ」。

私はここに、子どもの障害とは無関係に
親自身あるは家庭がもともと抱えていた潜在的な問題や脆弱性
加えるべきじゃないか、と思う。

障害のある子ども以外の家族の病気や障害、経済問題、
家族間の確執やストレスフルなトラブルなど。

障害児と家族を考える場合に、たいていは
障害のある子ども以外の家族は何の脆弱さも「生きにくさ」も抱えていない、という
想定で話が進められていくのだけれど、本当にそんな「万全」な家族ばかりなんだろうか。

なんらかの「生きにくさ」や脆弱さを抱えて暮らしているメンバーがいて、
あるいは日常生活の中では潜在化している、家庭内の根深いトラブルがある、
そういう家庭に、障害のある子どもが生まれてくる、というのが、
むしろ普通の家族の実態ではないのだろうか。

障害のある子どもが生まれ、負担の大きな生活が始まることで、
それまで潜在化していた家族内部の問題がにわかに顕在化して混迷を深める、
個々のメンバーがもともと抱えていた「生きにくさ」が問題をこじらせていく、
ということは、どの家庭でも起こるんじゃないだろうか。

それから、
もうちょっと下の時代背景で入所を決断した親として付け加えておきたいのは、
私の世代だと、むしろ協力的な父親が多い気がすること。

ただし、さらに若い世代のように、もともと在宅の時代に協力的だったかどうかは不明。
母親が「介護の限界」から心を病んだだめに施設入所を決断せざるを得なくなり、
そこで、これからは自分が頑張らなければ、と主たる介護者として
施設との関係を引き受けている父親が多いのでは、という印象。

著者の分析で興味深いのは、
入所によって母親役割がなくなるわけではないことの指摘。

子どもの施設入所はともすれば、「子どもを手放した」という見方をされるが、決してそうではなく、母親は加齢に向き合いながら新たな役割を果たしていくことになる。母親は「入所」という選択をし、子どもと施設との関係を側面から支え、アドボカシー機能を果たし、子どもの責任者という役割に身体的にも精神的にも縛られている。
(p. 144)


そこでとりわけ影響してくるのが、
著者が「特異な関係」と称する、子どもの入所後の施設と母親との関係性。

双方が施設での生活を「恩恵的に」捉え、「対等ではない」。
私自身の体感でいうと、つまり「みてやっている」「みてもらっている」という関係だということ。

入所後、母親たちは、施設とかかわり、話し合いを通じて
アドボケーターとして役割を果たそうとするが
そうした施設優位の関係性の中で次第に消極的になっていく。

さらに自分の事情で入所を決め、子の意思を尊重できないジレンマも抱え、
「在宅時とはまた異なる心労」を抱えている可能性もある。

やがて子も親もそれぞれの生活に適応していくのだけれど、
それを著者は以下のように捉えている。

言い換えると、障害をもつ子どもも、家族も、それぞれの方法で「自立」のあり方を探っていくことになるのである。
(p. 128)


が、親の加齢に伴って、
面会や帰省にも限界を感じ始める母親は母親役割の再構成を迫られる。

いわゆる「親亡き後」問題。

調査で聞かれた母親の言葉には、
子どもの死について「後に」「先に」という言葉が頻発し、
著者はそこに「背負っている問題の切実さが現れている」という。

それを個人的な問題として解決していくのではなく、家族の偏在したケア役割や扶養責任を解消するという方向で議論する時機なのではないだろうか。
(p. 134)


また、時代背景が代わって、若い世代の母親には在宅を選択する人が増えているが、
加齢期の母親への調査から、著者は改めて
現在の在宅介護での負担の大きさを再認識している。



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