藤原里佐『重度障害児家族の生活 -ケアする母親とジェンダー』 2

前のエントリーからの続きです)


序章と第1章「分析視角の設定」で明確にされているのは、
これまでの、主として身体障害者とその親を念頭に展開されてきた
母親を「差別者」とみなしたり、本人との対立関係で捉える視点への不同意。

例えば、
横塚晃一の『母よ! 殺すな』や社会学者の要田洋江による、
自分の中に差別意識があるから国家や社会の差別をなぞるのだとする、
母親の差別性、加害性の指摘。

それに著者が対置するのは、
春日キスヨによる以下のような指摘だ。

一方、春日キスヨは、……子どもの人間らしい生活と引き替えに、社会は母親を「モノ」化、「道具」化していると述べている(春日 2001:111)。
(p.15)

あるいは、

さらに春日は、「母親は子どもに対する加害者である以上に、障害児と同様、この社会のしくみによって深く奪われている存在であることが明らかになってくる」(春日 2001:112)と述べ、母親役割が形成される構造に批判の目を向けている。
(p. 16)


要田らの議論に著者は、そもそも障害者差別の問題は親に問い返すべきものか、と問い、
むしろ「重複障害により、子どもの側の能動的な自己表現が難しいからこそ、
母親が矢面に立ち、軋轢や偏見と日常的に闘っている」(p. 19)のであり、

結果として抱え込み自立を阻む傾向があったとしても、
その要因は母親個人にではなく、親を拘束する「状況」にある、と反論する。


これって、私が前のブログのこちらのエントリーで書いた
「親もまた個人モデルではなく社会モデルで捉えたらどーよ」ということだと思う。


……重度障害児の母親が、懸命に子どものケアに当たっている姿は、障害者の命を軽視していない証でもあり、否定的な障害者間というレッテルは当てはまらない。むしろ母親が肯定的な障害者観に拠ってたち、障害児の命を尊び、育んできたことの代償に、母親自身の生き方が損なわれる面があったことを明示するべきである。
(p. 23)


高齢者介護や一般的な育児においては
ケア役割とジェンダーの問題が議論されるようになっているが、

社会福祉問題全般において、ジェンダー・アプローチが注目されている中で、障害児ケアに関しては、その視点が意図的に(原文は傍点)排除されてきた経緯がある。
(p. 5)


子どもに障害があるという段階で、母親の側のリスクは子どものハンディに覆われてしまう。女性のケア役割をめぐる問題が様々な角度から論じられていながらも、障害児の母親の問題は「見えなく」され、常に「母親であること」を強いられている。
(p.33)


 すなわち、障害をもつ子どものトータルなケアが母親に求められ、それをこなしていくことが自明視される背景には、障害そのものの特性や、子どもの生活保障という議論以前に、障害児家族の機能(原文は傍点)として、子どもの専門家=母親を作るという規範が構築されているのではないだろうか?
(p. 34)


ここら当たりは、もうまったく私自身の体験・体感そのもの ↓

オマエは子どもの責任者でありながら、その責をまっとうできていないではないかと、いつも誰かに問われているような、そして、それに対して謝り続けているみたいな、そんな気分でした。疲れているので、私のほうも高い熱を出していたりするのですけど、私の体調を気にかけてくれる人はどこにもいなくなってしまって。私を心配してくれる人や、私を労わってくれる人は、もうどこにもいなくなってしまった……みたいな。それはまるで、私は「娘の療育担当者」だとか「介護者」という「役割」とか「機能」そのものになってしまって、もう一人の人ではなくなってしまったみたいな、うらさびしさでした。

(中略)

ケアラーが育児や介護の機能としてではなく、一人の人として認められ、尊重され、介護をしながらもケアラー自身の生活を人生を諦めることなく生きていけるように、ケアラーその人への支援がほしい、と思います。
(日本ケアラー連盟2011年フォーラムにて  『新版 海のいる風景』p. 22-26)



特に当事者が子どもであることから、「母親役割の固定化」(p.43)が起こり、
母親自身のリスクや負担に触れることはタブー視されてきた。

すなわち、障害者問題とジェンダーの問題が交錯する場合、障害者の人権と母親の人権が拮抗し、特に子どもの問題である場合、障害をもつ子どもの人権が優位に立ち、暗黙のうちに母親の人権は二次的になる傾向も否めない。これは、結果的に「障害者福祉」が「ジェンダー」を排斥してきたとも言えるのではないだろうか。
(p. 33)


そして、障害児との対立関係に母親が位置づけられては、
あるべき家族像や親の意識をめぐる議論ばかりが展開されてきたが、

著者はむしろ問われるべきは
「家族の意識ではなく家族の生活を規定する社会的な側面」(p. 47)だと考える。

そして、問題を母親の側から
「現に、障害児の育児・介護を担っている女性の問題として捉えなおす」(p. 6)ことを
提案している。

その手立てとして、母親の生活の実態を把握し、
母親の抱える問題の性質や構造を明らかにすべく、
著者は1995年と2000年に概ね学齢期の子どもの母親(30代~40代)に、
また2002年には50代、60代の母親に、聞き取り調査を実施。

その詳細の報告と分析が以下の3章。

第2章「育児期における母親の生活 Ⅰ― ケアの担い手としての母親」
第3章「育児期における母親の生活 Ⅱ― 療育・教育責任者としての母親」
第4章「加齢期を迎えた母親の生活 -成人後の『子ども』を支える母親」

第2章で明らかになっているのは

①介護負担により母親に健康上の問題が生じているが、
母親がトータルな役割を引き受けているため代替者が不在で休めない現実。

②母親がアドボケーターとしての役割を懸命にこなしている背景に、
 「母親は関係機関からの様々な要請にこたえるべき」という規範、言い換えれば
専門機関の母親への依存の図式がある。

③そうした多忙の中で、子どもも母親も地域から孤立しがちになる。

40代、50代の母親は外からは明るく元気に活動しているように見えるが、
母親たちの語りには健康不安や将来への不安が色濃い。

このままでは自分が倒れるかもしれないという不安と、まだ大丈夫であるという思いが交錯した中でケア役割に従事していることが窺える。その先には、入所施設の存在を視野に入れていることも母親に共通しており、老人ホームと障害者施設の融合などを具体的に提言している母親もいる。
(p. 74)


これは、私の身近にもまったく同じことを夢見ている人もいるし、
その人の発言をヒントに私も昨年6月の小児神経学会でそういう話をさせてもらった

長い間の無理が重なり、身体の故障を訴えている母親は、早い段階から加齢を意識しているようにも思われる。つまり、重度障害児の母親は、子どもの療育に熱心に取り組み、学齢期のサポートをこなし、その後半からは、早くも子どもと自分の加齢に向き合わなければならないという、間隙のないライフコースを歩むことになっているのである。
(p. 75)


私が鮮明に記憶しているのは
幼児期の海の通園施設への送迎には山越えがあって、
そこでは季節ごとの景色が楽しみではあったのだけれど、
満開の桜の季節が来るたびに「18の春」を思ったこと。

そして、その先にボンヤリと「親亡き後」のことすら思い浮かべたこと。
我が子はまだ幼児だったのに。


次のエントリーに続きます)