田中智子論文「障害者と家族の貧困―子殺し事件から考える家族ケアの臨界―」

「障害者と家族の貧困―子殺し事件から考える家族ケアの臨界―」
田中智子 『人権と部落問題』NO.876  2015. 9 増刊号


「親亡き後」というのは、
「親がケアできなくなった後の子どもの生活が見通せないことへの憂いを示す」
言葉であるはずなのに、

現実には、
入所施設に長年我が子を託してきて「親亡き後」問題は解決しているように思えるケースで
親が子どもに手をかけてしまう事件が起こる。

著者はそうした3つの事件について
「貧困」と「ケアの倫理」という視点から考察することによって

「親たちはどのような心情であったのか」
「子育てやケアのプロセスの中で親を追い詰めるものは何か」を問い、
「家族ケアの臨界はどこにあるのか」に迫ろうとする。

【ケース1】
90歳代の母親が60歳代の知的障害のある息子を殺した事件

父親の死後、母息子の二人暮らしを経て、
母親の入院を機に30代後半で知的障害者施設へ入所。
その後60歳で特別養護老人ホームに入所。
母は他の息子と同居に。

月に一回は施設を訪問し、
年末年始には一時帰宅させていたが、
その一時帰宅の際に隣に寝ている息子を腰紐で首を絞めて殺した。
自殺を試みるも果たせなかった。

「年を取った自分がいつ死ぬかもしれず、その後に残された息子がどうなるのか不安」
「自分しか子どもの面倒を見られなかった。
自分の力ではどうしようもなかったことを理解してほしい」

【ケース2】
父親70歳代、母親60歳代が40歳代の息子を殺した事件

約20年前から知的障害者施設に入所。
年に3回、3週間ずつの一時帰宅が定例化していた。
一時帰宅の際に殺害。

こだわりが強く、思い通りにならないと暴れた。
施設職員も一時帰宅については配慮していたが
帰宅するたびに決まりごとが増え、親の負担観が増大していた。

「若いころは負担じゃなかったが、体が追いつかなくなり、
お父さんも車を運転できなくなって、終わりにするしかないのかなと考えた」

【ケース3】
50歳代の母親が30歳代の娘を殺害した事件

20年以上前から入所施設で生活。母は当時70歳代の祖母と同居。
年9回くらい面会。一時帰宅の際に殺害。

当時、知事が障害者施設解体を口にしたことから不安をもらしていた。

「私には産んだ責任があるから」


いずれも子どもの生活は親のケアなくして成立しているケースであり
特にケース1では「一般的に終生にわたる生活とケアを保障されている」なかで、

著者は、親の心情として、まず
「施設入所後も変わらない親役割を果たそうとしている」こと、
親自身の健康状態や生活を犠牲にしてまで対応しようとしていることに目を向ける。

次に、
実際のケアは施設に委ねているにもかかわらず、
「ケア役割を他人に委ねることはできないという親の思い」が見られることから、

親たちはどのように追い詰められたのか、について
以下のように推測している。

親たちは自らのアイデンティティをケア役割に同化させることでしか定位できなかったのではと考えられる。その中で、自分の役割が果たせないと感じたとき、あるいは反対にその役割に終わりが見えないと感じたときに自ら終わりを作ろうとしたのではないだろうか。


確かに、
社会のプレッシャーを受けて「良き母親」であろうとしてきた面はあるとは思うのだけど、

私としては、ここの「親のアイデンティティ」の捉え方には、
「うーん。でも、それだけじゃない」と言いたくなる、というか、
社会の側が親に向ける眼差しをそのまま親の内面を計る物差しにされているような
違和感があって、この点については、これから考えてみたい。

私が今の段階で考えたこととしては、
「施設や特養に入ることができている」ということをもって
「生活とケアを保障されているのに」と思えることそのものが
「他人」の感覚で、親の感覚からは遠い、という気がする、ということ。

例えば、これはその中の、ほんの小さな一端に過ぎないけど、
いわゆる65歳問題にも関わってくることとして、
特別養護老人ホームでは「人生をすでに終えた人」へのケアとなり、
「生活の場」である知的障害者施設から移った親子にとっては、
相当にやるせないのでは、という気がする。

そうしたことの関連で個人的に考えてみたいこととして、
【ケース1】の親の「自分しか子どもの面倒を見られなかった」という言葉の
「面倒を見る」の内容には、他人でも置き換え可能なケアの実際以上のものが
含まれているような気がする。

それは例えば、何なんだろう……?

一つには、著者が後段で書いている以下の下りに大きなヒントがあるのかもしれない。

子どもの生活の見通しという点からの「親亡き後」という言葉では語りきれない親たちの心情にまで社会の手は伸ばされなければならない。


著者は「障害のある子どもの子育て ケアに生じる生活問題」を
「貧困」と「ケアの倫理」という視点から考察しており、
その内容は直前エントリーで紹介した今年の論文といくらか重複している。

社会資源が障害児者の療育や活動保障だけに目を向け、家族の就労や休息等の支援をその目的の範疇外と考えた結果、送迎や支援提供時間・日が、母親の就労に適さないものになるという物理的環境だけではなく、「障害のある子どもの母親はケアに専念すべきである」という心理的プレッシャーにもつながり、母親たちの「働きたい」という声が抑えられていることが危惧される。


家族の中に障害者を抱えるということは生涯に渡って資産を形成する機会を喪失し、経済的貧困に陥る大きなリスクであると考えられよう。


昨今、福祉施設等において親が子どもの障害年金を無断で使用することなどが報告されており、その行為自体は当然、経済的虐待として批判されるべきところであるが、そうせざるを得ない状況の根本解決が望まれるところである。


また、この下りでの重要な指摘として、

障害児者本人の生活の広がりは、家族の経済力とケア力に規定されるのである。

親たちは、自分の生活や人生を見通すに際しては諦めの連続を経験していると言えよう。


日本の貧困な福祉観や伝統的な家族観は、障害者の家族をケア役割の強固な型に埋め、身動きが取れない状況へと追いやっている。


前のエントリーで取り上げたものと2本の論文で著者が言わんとしていることは
『みんなのねがい』2016年12月号の特集「家族のカタチ」への寄稿、
「あたりまえの家族」(p.32-33)で、とても平易な言葉で
取りまとめられて分かりやすい。

小見出しを抜き出してみると、



“家族自身”の人生の保障
“家族として”の人生の保障


関係性を変化できる家族


そして、以下の、最後のくだり。

通常で言えば、最初に考えられるべきは、障害のある人のノーマライゼーションなのかもしれませんが、現在のようにそれが家族の努力があって初めて実現するような社会は変えていかなければなりません。逆に言えば、これまで障害のある人を取り巻くあらゆる問題は家族に包摂されることで見えなかった部分も大きかったのだろうと思います。まずは、それを社会の中で見えるようにすること、そのような意味でも実態調査や家族の声は重要な出発点となるものだと思います。



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