高草木光一編『思想としての「医学概論」- いま「いのち」とどう向き合うか』 3



訳あって再読している本書。
上記の2エントリーで書いた、高草木氏の「はしがき」と同氏の論考と最後のシンポの次は、
訳あって、最首悟氏の論考「『いのち』から医学・医療を考える」(p.235-316)に飛ぶ。

最首氏は、高草木氏によると「東大闘争の陰の黒幕とでもいうべき方」。

安田講堂が陥落した1969年1月19日の日付の『朝日ジャーナル』に
当時32歳で助手共闘のスポークスマンだった最首氏が書いた
「玉砕する狂人といわれようと――自己を見つめるノンセクト・ラジカルの立場」の一節。

医者は患者を待ちかまえているだけでよいのか。患者は公害とか労災でむしばまれてくるかも知れない。その患者を治療して、再び労働力を搾取しようとする元の社会に帰さざるを得ないのであれば、医者という存在は、全く資本主義の矛盾を隠蔽し、ゆがみの部分をになって本質をかくす役割をになっているだけではないか。
(p. 319)


当時の闘争について、シンポでの最首氏は、
研修医制度や封建体制の改善を求める医学部生の主張は、
「特別製の人間」(p. 322)を内部で作るしかない「エリートの問題」という限界を抱え、
生物学者として「ひとつ格下のエリートに属」する最首氏にも無縁ではなく、
「科学技術文明社会における科学の役割とは何か」という問いとして
自らにも問い返されてきた、という。

エリートの問題がマイノリティの問題として捉え返され始めたのは、
筋ジスの少年、石川正一君との出会い、
そして1976年に重度重複障害を持つ三女、星子さんの誕生。

最首氏が医療、特に医師について語っている箇所を読むと、
医師のシャーマンとしての役割がとても重視されているなぁ、と感じる。

例えば、偽薬ではなく、言葉かけやそばにいることに治癒力があるという意味での
プラシーボ効果」というハワード・ブローディの説と、

江戸時代の「医は衣なり威なり異なり夷なり稲荷」という揶揄を紹介し、
以下のように書いている。

呪術魔術型、僧侶神父型、科学者博士厳父型、技術者型、パートナー型の変遷の中で、プラシーボ反応を無視し続けたのは技術者型だけです。そして21世紀型といわれる患者中心・伴走者型でも、ともすれば患者の主体性とか自立とか自己責任という言説によってプラシーボ反応が軽視されそうな気配が漂います。
(p. 258)


 結局、医師は、自分が全権をもったかのような存在であることを強いられながら、患者に仕えなければならないのです。飛翔で無力な存在であることをわきまえながら、それを内に押しこめておかなければなりません。そうすることで、患者は医師を全面的に信頼するかのようにして自己治癒系を活性化させるのです。
(p. 340)


生物学は物理化学の還元的手法を取り入れ、
所詮は自分と相手の問題を捨象した「死物学」であり、
だから「医学は科学である」とは、「人間を人間扱いしない」ということ(p.260)。

例えば、外科手術などの物理的な治療をしたら、
「あとは万事『いのち』が引き受けてくれるのです」(p. 261)。

医療の極め付けは、「そばに居ること」だと思っています。言葉をかけなくてもいい、黙ってそこにいればいいのです。
(p. 277)


高草木氏の表現では
「近代的なシステムに組み込まれた『宗派なき聖職者』として医師を見ている」(p.339)

このあたりについては、
子どもの頃に結核を診てもらっていた東大の藤岡医師から
薬をもらった覚えも治療を受けた覚えもないのに、
「一緒にいるだけで安心」できて「会うと、とたんに治ったような気が」したというから、
その後も、個人的に医師に恵まれてこられた方なんだろうなぁ、と。

私はそれほどのシャーマン性をまとった医師には出会ってこなかったし、
むしろ対等の人間同士、親同士として向き合ってくれる医師のほうに恵まれたし、

この頃自分が年老いてきて、(あくまで田舎の)若い医師の傾向を見ていると、
自分をストイックに磨いて自信をつけた人が初めて身にまとえるシャーマン性を
自尊感情が不安定な人だと、無自覚に権力を振りかざすことと混同しそうな
懸念のほうが大きいんだけど。

あと、最首氏の「プライマリー・ヘルス・ケア」というのは
ちょっとよく分からなかった。

「少なくとも病院を抜きにした治療」、医師が必要なら、大学や病院を負われたような
逸脱した医師に担ってもらう、理想的な地域医療のひとつのモデル、みたいな?

次のエントリーに続きます。