高草木光一編『思想としての「医学概論」- いま「いのち」とどう向き合うか』 4

前のエントリーの続きです。


最首氏の「いのち」あるいは「いのち論」については、
こちらの言葉で取りまとめるということは、とうていできないので、
ご自身の言葉で語られている箇所を抜いておく。

……木村敏の言い方を借りれば、「生きている」ことと、「生きていることを考える」ことはまったく違う。……「生きている」ことを考え始めた途端に、「生きている」ことはわからなくなってしまう。にもかかわらず、現に「いきている」。
(p.254)


 生物のことを考えていくと、結局は言葉や記号によってしか表現できないし、言葉は言葉を規定できないという袋小路に陥ってしまいます。だから、何か一つ約束事として、これぞという言葉を言わなくてはいけない。それを「真言」と言うのだと思います。私はそれを平仮名で「いのち」と表現したい。ただ、ローカルな表現で、外国語には訳しにくい。もともと外国語である漢字の「生命」は、雑多な意味が付与されてしまいます。平仮名は患者を変形したものとはいえ、女性によって使われ、鍛え上げられたことは意味を持っていると思います。
(p.264)


 私が唱えている「いのち学」は、「おのずからみずから学」であり、「じねん学」であると思っています。「おのずからみずから」思考することは、それ自体ひとつの「じねん」ですが、「自然」ではなく「じねん」に「手ざわり感」を込めて取り組むことを考えているのです。それは、変化しつつある「もの・こと」である現象を、変化しつつある「もの・こと」である自己(ベルグソンの終生のテーマ)が捉えようとする営みですから、論であり、同時に運動でもあります。それを一緒くたにしてしまう「学」はありうるのかと問うているわけです。かつて、マルクス主義を読み込み、実践しようとしたとき、理論と実践を分けて、理論だけが空中飛翔してしまった苦い思いを私たちは持っています。
(p.288-289)


……本当のことは私にはわからない、本当のことについてはどうでもいいということです。「いのち」はわからなさの極みです。すなわち、「どうしようもない」、「どうでもいい」を含んでいます。では、どうして生きているのか、生きようとするのか、それは私が「いのち」だからです。いのちをはなれて私が私という「いのち」に刃向かっても歯が立たない。そういう思いがないとまた自由を得られないのです。しかし、「私は私だ」まで断言してしまうと、生きていけない。その間にあるのが、「私が私でいられる」余裕や場の問題になります。そして、「私が私でいられる場」と「あなたがあなたでいられる場」の関係、つまり「われわれがわれわれでいられる」ことを探求するのが、「大きな哲学」の課題になるわけです。
(p.293-294)


 「どんぶり哲学」は、とりあえず以下のように定義しておきたいと思います。「雑想、網想ゆえに体系化できず、どうしてそうなのかという、人々の切実な共通の思いの形と内実をいのちとして、いのちにおいて考えていく門学。唯一の断言、言い切りとしていのちを採用することに合意する。お互いの約束事にしようねという。話がごちゃごちゃし、剣呑な気配が出てきたら、とにかくいま生きている、ということに立ち返る」。

……(略)……

「まあ、いいじゃないですか」ということにしよう。いま生きがたい事態があるとしても、そう言いながらいまここで生きているわけです。こうやって日常を生きている支え、よすがになっているものを確かめ合える合言葉、手ざわり感のある合言葉が欲しい。言葉が空っぽな形ではなくて、中身をもっていると考えたいのです。絶えず触手を伸ばす悟れない空の状態であるかもしれません。
(p.296)


……物一切を生み出してゆく場がいのちです。究極の場をいのちと定める。人間は生きていることを感じる。生きているという実感に張り付いているいのちの手触りを取り出したい。生きているとはいのちのあり方である。人間はいのちのあり方の「一」である。いのちは一切合切、いのちは根源であり、すべてであり、生きとし生けるもの、すべての存在し存在させられるものとしていのちを考える。その現段階として次のように言っておきます。

――世界・宇宙は場(いのち)である。場以前は問えない。場は物(いのち)を生み出し、物は新しい場(いのち)を生み出す。どの場もそれが何物を生み出すかあらかじめ知られない。いのちはいのちである。いのちはいのちによって維持されいのちに還りいのちを生む。いのちの属性は「つづく」である。本質そのものは知られない。わたしもいのちである。あなたもいのちである。
(p. 314-315)


====

興味深いこととして、最後に収録されたシンポで、
高草木氏が、福島の原発事故後に御用学者が無責任な楽観論を説くことに対して
批判を展開した上で、以下のように「いのち論」の危うさを指摘していること。

 ところが、最首さんは、もう一捻りして考えていて、御用学者であるという側面は否定していないと思いますが、放射能にすでに汚染された地域で生きている人たちに対しては、「大丈夫だ」と言うほかないだろう。そうやって傷ついた人、苦しんでいる人の心を癒し慰めることこそが、最終的な医師の役割であるとお考えのようです。

 最首さん的な発想は、「いのち論」体系それ自体がそうなのだと思いますが、政治的にはきわめて「危うい」部分を抱えているように思います。「大きないのち」の普遍性、永遠性に焦点が合わされると、個々の「いのち」のことは、あるいはどうでもいいようにも取られかねない。おそらく、最首さんの言説を突き詰めていくと「死んでもどうってことはない。そんなことは大した問題じゃない。いのちはいのちなのだ」ということになってしまうのではないか、という気もします。
(p. 364)


それに対して、最首氏の応え方として、まず
<自然(じねん)の人>である星子さんと暮らしている実感として、
星子さんは「大丈夫だよ」という信号を発している。

あるいは胎児性水俣の少年との出会いから、

……いわゆるヒューマニスティックな観点からは正視することも叶わない根こそぎ奪われたような人間の姿です。しかしそれゆえにこそというか、「いのち」そのものに化したような、人間がけっして奪うことのできないような、なにか大きなもの、自存自若の何かに触れたような気もしました。それはどこかで「大丈夫だよ」という声に繋がってゆくような気がしました。
(p.375)


「星子とともに」とは、氏によれば、

 言い換えれば、「大丈夫だよ」という思いを奪い、人々の対立と差別を深めてゆく権力と闘い、闘うことで「大丈夫だよ」という言葉を育ててゆくということです。
(p.377)


そして、「外面菩薩内面修羅」と言ってみたい(p.382)。

自分の内面には、そうして修羅を闘い続ける姿勢を持ちつつ、
他人に対しては「大丈夫だよ」という人でありたい、と。

ここは、唸る。
今回の再読で、一番ぐさっときたのが、この一言だった。

内面については、そうしか生きられない、と
この年まで生きてくれば、ある種の諦めと共に思い決めることはできる。

でも内面で危機感が募っていれば、
他人に対しても「大丈夫じゃないのに」と言ってしまう、
その危機感を共有できる人が身近にいないことに焦れてしまう。

それは私の人間が小さいからか……。うん。まぁ、小さいのは小さい。

まぁ、最首氏も「内面修羅外面菩薩」だ、と言っているわけじゃない、
そう言ってみたい、と言っているわけだし。

でも、最首先生の写真の笑顔は、本当に穏やかで優しい。

うーむ。