最首悟先生のご講義へのコメント:親密な介護関係の中にはセックスがある

11月4日(金)に、慶応大学経済学部の大学院で(慶應義塾経済学会の報告会も兼ねて)
最首悟先生が「社会学としての『いのち論』」と題して講義をされ、

(企画、司会をされた高草木光一教授が依頼されたタイトルは
実は「社会科学としての『いのち論』」だったそうですが)

なぜか不肖spitzibaraめが、
畏れ多くも「コメンテーター」を拝命しました。

最首先生のレジュメは前日、東京へ向かう日の朝早くに届き、
プリントアウトして読んでみたら、案の定、教養のない私にはとんと分からなくて、
「逃げよう!」と考えたくらいなので、

当日のご講義の内容をここに取りまとめて紹介するというのはできませんが
そちらは、これからご著書ができるようですから、それを待っていただくことにして、

私自身はこのたびの荷の重い機会をいただいたおかげで
これまでずっと感じてきていたことをいくつか、
初めて自分の言葉として表現してみることができたので、
それを標題にしつつ、当日の発言をエントリーとして記録しておこう、と。


ここにおられる方には信じがたいことかと思うんですけど、世の中には最首悟という人を知らない無知な人間というのもおりまして。白状しますと、私は長いこと最首先生を存じ上げませんでした。

2002年に娘とのことを書いた『海のいる風景』という本を出したんですけど、その時にもまだ知りませんでした。それから何年か経って、『星子が居る』を読みました。その後に先生がお書きになったりお話になったことを折に触れて読み齧ったことはあるんですけど、1度たりとも「わかった」と自信を持てたことがないので、今回のお話をいただいて、どうしたらいいものか頭を抱えてしまいました。

現代思想』10月号に先生がお書きになったものを読み返しても、私にはさっぱり分からなくて、ポエムに思えてしまう。それなら、いっそ父親の頭のポエムに対して、母親の身体のポエムで行くしかないのではないか、と思ったりしました。

そこで唯一、ここに縋ってみよう、と思ったのが、『星子が居る』と『海のいる風景』、どちらのタイトルにも「いる」という言葉が入っているということです。先生の漢字の「居る」の方にはもちろんちゃんと思想的な背景があって、私の方は単なる生活のスケッチなんですけど、やっぱり、この「居る(いる)」ということが「いのち」の根幹なんじゃないか、と。

ウチの子は29年前にほとんど死んだ状態で生まれたので呼吸器をつけてNICUに入ったんですけど、今の英米カナダだと「生きるに値しない生」だと言われて「死ぬに任せる」のが「本人の最善の利益」といわれる状態だったんだろうと思います。幸い助けてもらって、でも中学生くらいまでは何度も今度こそダメか、と思うようなことの繰り返しだったので、今でも時々なんでもない生活の場面で、目の前にいる我が子をふっと改めて眺めやるようなことがあります。「あ、この子、生きてここにおる」と、そういう時には思う。

たとえば、ウサギなんかの小動物を不用意に抱き上げて、思いがけないほど熱い体温とかパワフルな鼓動を手に感じた時に、ちょっとドキッとするような、そういう、剥きだしのいのちに触れたような気のする瞬間です。

最首先生のいわれる「手触り感」という言葉がありますが、そういうのが私にとっての、「いのち」ということの手触り感。で、「弱い」という言葉が的確かどうか、違うようにも思いますが、他に的確な言葉を思いつかないので、とりあえず使わせてもらうと、重い障害があって弱いといわれる人のいのちの手触りは、まず優しい、という感じがしています。

例えば、寝る時に、娘は自分で体を支えられないので、ポジショニングといって、クッションをあちこちに使って姿勢をつくってから寝かせるんですけど、そういうことを夫婦でやっていて、ひょいと見ると、ついさっきテレビにひゃーひゃー言っていたはずの海は、もう眠くて目を開けていられなくて、ほとんど眠り込んでいたりするんですね。それで、親が「あらぁ、もう寝とるわー」とか言い合ったりすると、それを聞いて、娘が半分以上眠ったまま、うっすりと笑むんです。そういう時の海は、母親の私にとっては「なにか優しいもの」になります。「まるっこくて、ほわっほわに柔らかくて、ほこほことあったかい、なにか優しいもの」になるんです。

それを「存在」と漢字で呼んでしまうと硬すぎる。角ばってしまう。いってみれば無防備で弱い人が、無防備で弱いままに安んじて、そこに満ち足りて、いる。まあるく、ふんわりと満ち足りて、そこに、いる。その優しさ。

一方で、星子さんや海は、ありのままで自分が許されていることを疑っていないし、十分なことをしてあげられない周囲を許して、その時々にありのままの自分として、そこに、いる。その人にとって今ここで欠けるものがない、ありのままでいられる、というのは、ものすごく力強いことでもある。そういうのが、私にとっての手触り感かな、と思います。

もう一つ、30年こういう人の親をしてきて思うこととして、「親密な介護関係にはセックスがある」というのがあります。相手の身体の隅から隅までを自分の身体以上に知り尽くしていますし、お互いの体で馴染み合っている。肌感覚の次元で伝え合い、分かり合うようなところがある。そういう特別なやりとり、というか。親密な介護関係にある人が相手の身体を扱う手つきは、ちょっとぞんざいになるんですね。あのぞんざいさには、ある種の隠微さというか、阿吽の許しあい、セックスの馴れ合いのようなものがある。

もちろん「セックスのようなもの」があれば、そこには当然、暴力や支配への衝動も伴っているわけで、それは恐ろしいことでもあるわけですが、その訳のわからない恐ろしさも含めて、親密な介護関係にはセックスみたいなものがある、と思うわけです。

そういう「セックスみたいなもの」を論理で割り切ることなんて、できないと思うんです。そういう熱くてやわらかくて訳のわからないものを、科学とテクノロジーとそこに利権構造で結びついたグローバル経済は、科学の合理という冷たくて硬いものでバスバスと乱暴にぶった切って、そうやって割り切るべきだ、という方向に私たちを操作していく感じがしています。

象徴的な事件をひとつ挙げると、2013年にジャハイ・マクマスさんという13歳の黒人少女が、扁桃腺を切る手術を受けたところ大量出血から心停止を起こして脳死と診断されてしまうんですね。そしたら3日後くらいに病院は、この人はもう死んだんだから生命維持を中止します、と宣言する。それに抗おうと家族が訴訟を起こしたところ、米国世論はすさまじいバッシングに走りました。その中心メッセージとは「医師が脳死と診断した以上は、この子はもう死体なんだ、それが理解できないのは科学に対する無知蒙昧だ」。じゃぁ、科学マインドがあるということは、こういう事態で冷静に「わかりました、この子はもう死体、モノなんですね、どうぞ臓器でも何でも持って言ってください」と言えることなんだろうか。と心が冷える思いでした。

そういう海外の事件や議論を追いかけてきて、相模原の事件の時、私も一番強く感じたのは「ついに」「とうとう」という思いだったんですけど、それを同じように共有してもらえる人が身近にいなかったので、最首先生が「植松は正気だった、だからこそこの事件は怖いのだ、自分は『いよいよ』と思った」と言ってくださったことに、ものすごく救われました。

そこで最首先生がおっしゃっている「与死」については、ベルギーでは2005年から安楽死後臓器提供が行われていて、昨年の学会発表では17人がこれまでドナーになっています。がん患者はなれないので、ALSとかMSの人。それから精神障害者がドナーです。それをさらに進めて、どうせなら生きているに麻酔をかけて臓器を取らせてもらおうという生命倫理学者も2010年から出てきています。

もう一つ、日本では海外の安楽死の議論ばかりが注目されていますが、もう一方で無益な治療論というのが進行していて、私はこれも「与死」と言えるんじゃないかという気がしています。医師がこの人にこの治療は無益、と判断したら一方的に死なされてしまう。しかも指標が、最初は救命できるかどうかだったところから、今ではすっかりQOLにシフトしてきている。3年前に判決が出たカナダのラスーリという大きな訴訟があるんですけど、ラスーリさんは裁判の途上で診断が植物状態から最小意識状態に変わったにもかかわらず、医師は生命維持は無益、有害だと主張して裁判を続行しました。この病院がらみの訴訟では、脳卒中の後遺症や難病の人についても「生きるに値する・しない」という物言いが出てきています。

日本でも、日本病院会から昨年春に「尊厳死 人の安らかな自然の死についての考察」という文書が出ていて、冒頭でこそ終末期の人を謳ってあるんですけど、読んで行くと、QOLの低い高齢者には医療サイドの判断で尊厳死を提案しましょう、みたいなことが書かれています。それを医療チームが判断して、患者サイドに説明し、提案する、というんです。決定権はお医者さんにあって、それを追認させるべく患者に一方的に説明するという日本型のインフォームド・コンセントそのままの形が、尊厳死にも転用されている。

日本の尊厳死は、みなさん海外の安楽死の文脈で議論されていますけど、実は手の込んだ日本型の無益論なんじゃないか。

こういう情報を追いかけてきて、疑問に思うことの一つは、じゃぁQOLって何? ということです。「個体としてのその人が生物学的にどういう状態にあるか」ということが、本当にそのままその人のQOLなのか。それがその人に尊厳があるかないかを決定付けるのか。むしろ、最首先生が言われる「二者関係」とか「場」で決定付けられていくんじゃないか。そういう気がします。

こういう情報に触れてくると、親としては、すごく恐ろしい。もちろん親亡き後もすごく気になっているんですけど、その手前のところで医療も福祉も既に切り詰められていて、現場は医療も福祉も、制度の締め付けと当事者の板ばさみで苦しみ続けている。そんな中で支援者の議論やメディアは希望を見つけようと、ものすごくがんばって、うまくいっているケースを焦点化する。すると、まるで世の中は良くなっているように見えてしまうんですけど、私たち資源の乏しい地方にいるものにとっては、それでは救いにはならない。それでは、たまたま出会いに恵まれた人だけが救われていくのか。それでは、救われない人がいるのは、努力の足りない地域が悪いのか、事業所の頑張りが足りないのか、家族が忍耐が足りない、わがままだということになってしまうんじゃないか。

私は日本ケアラー連盟というところで名ばかり理事をやっているんですけど、日本の介護者支援って、介護者として機能させ続けるための支援でしかない。介護者その人が自分の人生を生きるための支援という本来の発想そのものが、ない。

親としては、そうやって、ジリジリと追い詰められて、どうしようもなくなったら自分の手で殺せ、と言われているような気がしてならない。でも、殺したい親なんかどこにもいないんですよ。

やっぱり、残して逝くしかない我が子、ということになるんだろうと思うんです。託していくしかないことが現実として我が身の問題として迫ってきた時に、総体としての人間を最後の所で親が信じることができるか。総体として人間を信じられる親は、残していけるんじゃないでしょうか。そうありたいと、親はみんな願っていると思うんです。私もそうです。だから、そうさせてください。もう祈るような気持ちです。

で、最首先生には何を言っても「それはあなたに教養が足りないから」と返されたら、あえなく「へへー。そのとおりでござい」と這い蹲るしかなくなるんですけど、でもそんな最首先生に私はインネンを一つつけさせてもらうと、先生は「母親と星子さん」「父親と星子さん」「母親と父親」という3つの二者関係を挙げられていて、資料の雑誌記事の写真でも星子さんとお母さんが寄り添っていて、先生はその「背中を見守り」支えてこられた、となっている。これ、母親の立場からすると「いやいや、背後から見守っていないで、入ってきてくださいよ」と思う。日本ではどうしても「母親と本人」という二者関係が描かれて、それを支える父親と社会になってしまう。かつて障害者運動は「母よ殺すな」と言いましたけど、じゃぁ「母に殺させるな」と返したいわけで。

最後に、最首先生への質問ですが、私、先生の「いのち論」というのは究極の開き直りじゃないかという気がしていまして、ただ何に対して開き直ろうとしておられるのか、どこで開き直ろうとしておられるのかが今ひとつ分からない。そこのところを、ちょっと教えていただければ。


私にはとても荷が重いお役目だったし、めっちゃキンチョーしたわりに、
最首先生には失礼なことをズケズケと申し上げてしまったことに
こうしてまとめながら、改めて冷や汗が出てきますが、

最首先生はそんなspitzibaraにも
終始穏やかにな笑顔と優しい物腰で接してくださって、感激でした。

最首先生、高草木先生、ご聴講の皆様、ありがとうございました。