「どんなに重度な人でも」と置き去りにされる「重症児者のニーズ」について 1

もう何年も前から、いろんなところで気になってはいたのだけど、
相模原の事件から後の様々な議論を知るにつけ、改めて気にかかってならないのが、
いわゆる重症心身障害児者とか重症児者といわれる人たちのニーズについて、
世の中の人たちは分かっていないのではないか、ということ。

身体障害も知的障害も重度であるということは、決して
「身体障害単独の人のニーズ」を1とし「知的障害単独の人のニーズ」を1として、
その2つを足して2にしたら、それが重心児者のニーズ、ということではないし、

両方の障害が重いということは、
身障単独とも知的単独ともまるきり違う、
複雑な独自のニーズが生じてくるということ。

また、身障や知的障害の人の支援をしてきた人が誤解しがちなように、
重症児者は「身障者のニーズと知的障害者のニーズ」に単に「医療」がプラスされればOK、
ということでもない。

重症児者医療は非常に個別性も専門性も高いので、
単に「医療があればいい」ということにはならない。

「医療さえあればいい」のであれば、
医療的ケアを必要とする子どもたちと家族だって
今こんなに支援を受けられずに困っているわけがない。

医療であれ看護であれリハビリであれ、
発達に障害を持っている人としての重症児者について理解し、
年齢と共に生じてくる重度重症化の詳細まで見通した知識を持ち、
十分な経験がある人でなければ担うことができないし、
そういう人たちは決して多くない。

全国の重症児施設が、来てくれる小児科医の不足に難儀し続けているほど、
重症児者ケアの専門知識と体験を兼ね備えた人的資源は、徹底的に少ない。

また、そういう専門職であっても時間をかけて当人のことを詳細に知らなければ、
個々の人に対して適切なケアができるわけではない。
それほど個別性が高い。

だから、そこは多くの場面で、親の体験知が補うことになる。

そのため、重症児者ケアの世界の医療専門職は通常、
他の医療専門職に比べると親の体験知をリスペクトする姿勢がはるかに高いのだけど、

一般「病院」や一般「医療職」は重症児者については詳しくないし、
「知らない人」の常で、差別的な予見を抱え込んでいる人も多い。
それでも、これまた「知らない人」の常で、自分は医療職だから分かっていると思い込み、
「その人についての専門家」である親のいうことをハナから見下して、聞こうとしない。

そして、それは、そのまま、
重症児者「その人」に無用かつ多大な不快や痛苦をもたらし、
時には命のリスクにも直結する。

ウチの娘は、腸ねん転の手術で総合病院に転院した際、
一般病院外科スタッフの重症児に対する知識不足・認識不足・差別意識
死にそうになった。

親は娘の命を守るために、病院の医療職と必死で闘わなければならなかった。
療育園のスタッフはその意味を理解し、私の闘いを支えてくれた。

重症児者を「一般病院へ送る」ということには、
それほどのリスクが伴うことがある。

先日、某所で身障と知的障害を中心に支援してこられた事業所の方々とお話していて、
この辺りのことを説明する必要を感じる場面があり、一生懸命に語っていたら、
「一体どこまで要求すれば気が済むんだ?」という顔つきで不快そうに聞いておられた方から、
「そんなことまでやってくれる人なんか、どこにもいないのと違いますか?」と
あきれ果てたという口調で返される、という体験があったのだけど、

「どこにもいない」どころか、
心ある重症児者施設では、こうした一般病院の事情はご存知なので、
施設によっては看護師をつけて転院させてくれるところすらあるし、
そこまでできなくとも連携の模索はもちろん、頻繁に様子を見にきては、
母親と病院スタッフとの間をつないでくださる。

ウチの娘の転院時には、高齢者しか知らない外科スタッフではリスクが大きいために、
療育園の総師長が病院まで来て話をつけて、食事介助には療育園から人を出してくださった。

「そんなことまで」やらなければ命に関わるのが重症児者のニーズだと
「分かっている」人にとっては、それは「ニーズ」であり「必要なこと」であっても、
「自分は分かっていないという自覚がもてない」ほど「分かっていない」人の事業所では、
重症児者の親は「むやみに要求度の高いワガママな親」にされてしまいかねないのでは、と
危惧を感じる体験だった。

その場では、重症児者のけいれん発作の観察の難しさをめぐっても、
同様のギャップがあった。

それが、ずっと前から書こうと思いつつ果たせてなかった
このエントリーを書く作業への最終的なプッシュとなった。

重症児者ケアの関係者が命を守るために「そんなことまで」しながら充たしてきた,
重症児者の医療ニーズの専門性、個別性の高さについて、
「重度訪問介護制度ができたから、どんな重度の人でも地域で自立生活が可能」と
平気で言ってしまえる人たちは、どこまで分かっておられるんだろうか。

どんな問題であれ「知らない」「分からない」人というのは、
まず「自分は知らない」ということを自覚することができないのが世の中の習いであり、
それは医療専門職であれ何の専門職であれ活動家であれ学者であれ同じこと。

そういう人から
「どんなに重度な人でも地域で自立生活が可能」だなどと言われてしまうと、
そこで置き去りにされている人たちのニーズについて、どこからどのように説明すればいいのか
途方に暮れて、悶絶してしまう。

そういうことを、もう何度も繰り返し体験してきた。

もちろん私は「重症児者」の専門家ではないので、
私がそれなりに語ることができるのはウチの娘のことのみだし、

それだけでも複雑すぎて十分に説明できるとは思えないけど、

概要と、リハビリテーション、食べることに分けて
娘が受けることのできているケアについて、説明してみたい。

(本当は、上記の体験があるからこそ
けいれん発作の観察とコントロールの微妙さ、難しさについても
書きたかったのですが、試みた結果、十分に書けていないと判断し、削除しました。
それほど説明しにくいのが重症児者のニーズでもあります)

まず、概要から。


概要

娘の施設で先日あった個人懇談についてはこちらのエントリーに書いているけど、
当日の療育園サイドの出席者は、以下でした。

園長
副園長(支援職トップ)
師長
主治医(小児科医)
担当看護師
担当理学療法士PT
担当作業療法士OT
担当支援職

この他に、必要に応じて関わってもらう
リハセンター内の職種として、以下などがあります。

歯科医・歯科衛生士(定期チェック、治療)
整形外科医(高齢化による重度化で、最近よくお世話になる)
耳鼻咽喉科医(なんだかんだ、たまにお世話になる)
言語聴覚訓練士(ST 海は主に摂食関連でお世話になる)
栄養士(なめらか食を提供。行事食の日はデイルームでメニューの説明がある)
看護・介護助手(直接処遇ではないスタッフ。利用者とよく関わってくださる)
絵画や陶芸の先生(まずは本人にやらせる、という方針のステキな先生)
障害者スポーツセンター職員(年1回のスポーツレク)
リハセンター職員総出で毎年の夏祭り
ホスピタル・プレイ・セラピストのボランティア
絵本の読み聞かせボランティア
各種音楽コンサートのボランティア
衣服の名前付けボランティア
理容ボランティア(施設内の理容室で月に一度。他に同じ部屋で有料の理美容も)
医療福祉関係の実習生(県立なのでたくさん来る)


担当ナースと担当支援職は日常的に最も身近で接してもらっているので
このブログ内にもエントリーはたくさんあるのですが、

現在の海について、上記の専門職それぞれが
どのような視点でケアしてくださっているかについては、
お正月の帰省時に持たせてもらう公式連絡ノートに記載された多職種からのメッセージを
以下の2つのエントリーで紹介しています。


この2つのエントリーに書いていることにも関連するので、
次に「リハビリテーション」について