「やってもいい人」 2

前のエントリーの続きですが、別物として読んでいただいても)


前のブログを始めて1年くらい経った頃のこと。

ある研究者の方から、ご連絡をいただいた。
一緒にアシュリー事件について論文を書かないか、というお誘いだった。

(誤解のないよう余計な注記をしておくと、H氏ではありません)

それまでも、アシュリー事件について一緒に論文を書かないかと
お誘いを受けたことは数回あったけど、私には、
アシュリー事件はまだ「一段落」したとは感じられていなくて、
ナニゴトかを言えるためには、もうちょっと事態の推移を
じっくり見届ける必要があるんじゃないかという感じがぬぐえなかったので、
気が進まず、お断りしていた。

その時も、
同じ理由でお断りのお返事をしたと思うのだけど、
短気な方だったのか、「交渉」次第だとカン違いされたのか、
一方的に具体的な提案(条件?)を書いてこられた。

いろいろ書かれていたけど、要点は、

論文は私が書きます。
発表する媒体も私が探してきます。アテもあります。
児玉さんはファースト・オーサーにしてあげます。

だから、あなたのブログの中身をよこせ……と、いうことか。

もちろん、お断りした。

実は、ちょうどその頃、
私は大学院へ行こうかと思案しているところだった。

ブログを始めてから、
『「やってもいい人」1』 に書いたような体験を含め、
「地位や肩書きがあれば、こんな扱いはされないのだろうなぁ」と
唇を噛むような体験があれこれとあった。

そういう大小さまざまを逐一見てきた夫が、ある日、
思い切って大学院へ行ってはどうか、海もそろそろ健康になったことだし、
おカネのことならどうにかなるんじゃないか、と言った。

たしかに、
アシュリー事件をきっかけに興味をもつようになった生命倫理学や障害学について、
きちんと勉強してみたいという気持ちも、だんだんと膨らんでもいた。

夫の後押しを受け、かなり本気で検討した。

なにより、海を週末に帰省させるために、
できれば毎週末、最低でも2週間ごとには帰ってこなければならない。

大学の非常勤講師をやめることになるから、その収入が減ることは覚悟するしかないけど、
大学院の学費を払い、下宿して、週末の移動に交通費を使って、生活が成り立つか。
ネットであれこれ検索しながら、試算とシュミレーションをくり返した。

受験情報も当たった。

情報がほぼ揃い、いよいよ具体的に腹をくくるかどうか、
考えようとしていたところだった。

「私が書いてあげるし、あなたは何もしなくていい、
ファースト・オーサーにしてあげるから、私にあなたのブログの中身を丸ごとよこしなさい」と
言うに等しいお誘いを受けたのは。

お断りのお返事には、
アシュリー事件はまだ推移の途上であり、
まだ論文を書いて論じられる段階だとは思わないという繰り返しと、
もう一つ、書いたことがある。

「私は論文を書きたいわけではないし、研究者ではないので、
論文を書いて業績を作らなければならない事情も私にはありませんので」

まぁ、我ながらイヤミだった。

それが通じたのだろうけど、
押し売りが手のひらを返すみたいな冷淡なメールが返ってきた。
「じゃぁ、いいです。研究者は業績がすべてです」

それを読んだ時に、心が決まった。

私は大学院に行かない。

私はブロガーのまま、
自分がやりたいことを自分がやりたいようにやっていく。

それから年月が経ち、『アシュリー事件』の見本が生活書院から届いた日に、
私はその一冊を前に、これは私の仕事……と、こっそり胸を張った。

もちろん、大学院で勉強して立派なお仕事をされる方はたくさんおられますし、
決して、大学院で学ぶことや研究者の道に進まれる方を否定するわけではありませんが、

いま振り返って、少なくとも私にとっては、
あの時の決断は間違っていなかった、と思う。

私はこの10年間、さまざまな方との出会いに恵まれて、
ブロガーのままで自分なりの仕事をすることができたと思うし、
自分にとって、それをとても幸せなことだった、と感じているから。

地位も肩書きも権威もある人たちに何度「やってもいい人」と侮られても、

それでリスペクトをすっこめられたり、
本来は尊重されるべき権利すら侵害されたとしても、

私が私なりの仕事をした、という事実だけは
誰にも奪うことはできないと思うから。

だから、私はいま、それを自分の支えとし、

黙っていられる一線を越えた方に対して「許せないことは許せない」と、
胸を張って言い続ける強さを持ちたい、と

一心に念じている。