今朝方、とても気持ちの悪い夢を見た。

私は家で夫とくつろいでいた。

といっても、現実の我が家ではなく、
壁も床もうすっぺらい剥き出しの木でできた、
粗末な山のロッジか、時代劇に出てくる木賃宿みたいな建物が
夢の中では私たちの家で、

ベッド以外には家具もない大きな部屋が私たち夫婦の寝室ということに、
夢の中では、なっていた。

現実には、もうちょっとマシな家で
それぞれに部屋を持ち、別々に自分のペースで寝起きしているのだけど、

その夢の中のひとつのベッドで、私たちはくつろいでいて、
夫と私の間には白いウサギがいた。

夢の中では、それは前から我が家にいたウサギらしくて、
当然のように夫と私の間にそいつがいて、2人で撫でていたりするのだけど、

私は内心、うちにウサギがいたことにちょっとビックリしつつ、
自分の記憶をこっそり探ってみるけど、自分でエサをやった覚えはなくて、
じゃあ夫が世話してくれていたのかな、などと思っている。

「そうだ、こいつ、名前あったっけ?」
「いや、まだない」

「じゃぁ、名前つけないとね。
……ピーちゃん? そりゃ鳥か。じゃあ、ウサ子? あ、こいつってメス? オス?」

「メス」と夫が答えるから、
やっぱり夫が世話をしてくれていたんだな、
これからは私もエサをあげたり、世話をしないとな、と考えながら、
私はウサギの横っ腹を撫でている。

と、その時、どこからか分からないんだけど、部屋の床に
どわどわっと汚水が流れ込んできて、みるみるむき出しの床一面に広がっていく。

汚水の中で小さなものがいっぱいピチピチしている。

よく見ると、それは魚たち。

ワカサギみたいな形をして、でもワカサギよりも細っこい魚が大小さまざまに、
ものすごい数で水と共に床へと広がっていく。ほとんどが生きている。

部屋の床に広がり、そのまま廊下に流れ出して、
他の部屋にも、家中の床へと広がっていく。

頭の中はパニックしているんだけど、突然のあまりの出来事に、
どうにも反応できなくて、呆然と固まってしまう。

目の前の床一面に敷き詰められたような
大小さまざまな細っこい魚たちを眺めて途方に暮れている。

いったい何が起きたのか。

ベッドから降りて、どうにかしなければならないし、
一体何が起きたのか、誰かに聞きにいかなければとも思うのだけど、
ベッドから降りて歩くと、1歩ごと小さな魚たちを踏み殺すことになる。

それでも、降りないわけには行かない。

外で声がするので、ウチだけではないらしい、
何が起きたのか聞きにいこうと思い、思い切って床に足を降ろす。

夫と2人で、一歩ごとにスリッパで魚たちを踏み殺しながら玄関を出てみる。
(夢の中でも、その感覚は、ぷしゃ、ぷしゃ、とリアルで気持ち悪かった)

町の人たちの話だと、どうやら、近くでやっている公共事業の工事で、
誰かがヘマをやって、この一帯がこういう事態となっている、ということらしかった。

歩いていると、娘の施設の看護師さん(例の「文豪ナース」だった)と出くわし、
施設でも同じことが起こっているけど、規模は小さいから大丈夫、
今みんなで対処しているけど、そもそものところがどうなっているのか、
これから見に行って、交渉してくる、と言った。

何の交渉なのか、言わなかったけど、
公の仕事でそういう事態になったのなら、
行政が責任を持って対応してくれてもいいように私も思うから、
その交渉なのだろう、と勝手に想像して別れた。

釈然としないまま、
仕方がないね、自分たちでそれぞれに片付けろってことなんだね、
じゃぁ、帰って、やろうか、と言いながら夫と家に戻る。

あんな、何も物がない家の中に、
そもそも片付けるための道具なんか存在するのか、と心もとないし、

家中に溢れた、あれだけ大量の気持ちの悪い魚たちを、
(その中には、さっき踏み潰して残骸にしてきたものも混じっている)
どうやって片付けたらいいのか、
だいたい2人の人間で片付けられるものなのか、
その作業のおぞましさを想像して、背筋がぞっとするのだけど、

また魚たちを踏み殺しながら寝室に戻り、
探してみたら、やっぱり粗末なうすっぺらい引き戸の押入れで、
小ぶりだけど、割としっかりした塵取りが見つかる。

夫も寝室内の別の所で似たようなものを見つけ、
これ以上に踏み殺さないためには、今いる部屋から始めるしかないから、
2人でベッド以外はがらんと何もない大きな部屋の床一面に広がった、
もうほとんどが死んでいる汚らしい魚を塵取りで掬っていく。

しばらくすると、夫が「なんだか力が出なくなった」と言い、
部屋の隅にへたばりこむ。呆然と脱力している。

「あぁ、休んでたらいいよ。分かるよ。それ、昨日の衝撃だよね」

(夢の中では前日に何があったかを意識しているわけではなく、
でも、その言葉は自然に口から出て、違和感を感じていない。

前日に、友人から「どうしてだか、この頃ふいに体に力が入らなくなって、
足がへなへなと萎えて歩けなくなることがある」という話を聞いたのと、

実際に前日、我が家には、とてつもなく消耗的な出来事があった。

はらわたが煮えくり返る思いとともに、大きな理不尽を無理やり飲み下す。そういう体験。

それは私の身に起こった出来事だったのだけど、2週間以上、
逐一を目撃しながら、その展開の過程を様々に支え助けてくれた夫も、
大きな衝撃を受け、そのまま黙りこんだ。

対応した、とPCの前から隣の部屋へ声をかけても、
いつものように「どれどれ」と見に来ることもなかった。

見たくもないのだろう、と私は思った)


夢の中の私は、そういうことを記憶しても意識してもいないのに、
なぜか、前日の出来事によって夫がへたり込むほどの衝撃を受けていて、
それは無理もない、と受け止めているようだった。

夫に背を向けて作業に戻り、
私自身も弱っていることを意識しながら、
私にはまだ憤りの余熱が残っているから、まだ動けるのだな、と考えていた。

「それにしても、この辺のどこの家にもこんなことが起こっているんだとしたら、
一人暮らしの家とか、年寄りとか、大変じゃんね。どうしとってんじゃろうね」と
呆然と座り込んだ夫に、背中越しに言っていたら、

いきなりドアが開いて、私たちよりちょっと年上の男性が入ってきた。

私が某所で頻繁にお目にかかる愉快な方なのだけど、
むっつりと無表情で、その妙なオーラに呑まれて声をかけられずにいると、

ドアとベッドの間の壁際で、
こちらに背を向けてしゃがみこんで、大便を始めた。

なぜだろう、抗議する気力がまったく沸いてこなくて、

ベッドの向こう側の隅っこにしゃがみこんでいる夫に悪いな、かわいそうだな、と思いながら、
私は寝室を出ていき、ドアを閉めた。

(お父さん、出て行っただけじゃなく、ドアまで閉めて、ごめん)

そして、まだ床一面に汚らしい魚が散らばったまま乾き始めている
隣の部屋を片付けるために、ちりとりを持ってしゃがみこんだ。

夢はそこまでだったような気がする。


――とてつもなく不快な夢だった。

ただ一つだけ、
その救いのない夢の中に希望のようなものがあったとしたら、

隣の部屋を片付けるために、汚い魚の残骸の中にしゃがみこんだ時に、
私がウサギのことを考えていたこと。

あのウサギに、
ちゃんとエサをやらないとな、名前もつけてやらないとな、と。

それは、誰かが自分の家に断りもなく入ってきて
今隣の部屋でいきなり床に大便をしているという事実や、
それでも抗議できないでいる自分や、
そこに夫を残してきた自分の行為から
目を背ける為に考えたのかもしれないし、

もしかしたら、あまりに救いのない夢を見た自分が、
覚醒してから、無意識に自分の為に付け足した創作なのかも知れないのだけど、
でも、それは夢の始めにウサギがいたことを思うと、違うような気もする。

目が覚めて、あのウサギはなんだったんだろう、と考えた。

もちろん、娘の海なのかもしれない。

でも、海の世話はもちろん夫だけではなく私もしてきたと思うし、
あの白いウサギは、もっと抽象的なものだったような気がする。

なにか、小さくて弱いけど、汚してはいけないもの。
ちゃんとエサをあげて世話をして、大切に守りたいもの。

弱い者を守るために弱い者の側に立って仕事をしているフリを装いながら、
自分は弱い立場のものを平気で侮り、その権利を踏みつけて恥じないような人たちが、
せっせと業績をつくってエラくなろうと、しのぎを削るような世界と
いつのまにかちょこちょこと関わってしまった私よりも、

そういう世界の遠くに身を置いて、穏やかに自分の生き方を生きてきた夫のほうが、
確かにきちんと世話をしているなぁと、考えてみれば納得できるウサギ―ー。

あのウサギに名前をつけてやらないとな、と夢の最後に私は考えていたけど、
あのウサギに名前をつけると何なんだろう?

人としての誠実? 
尊厳? 
インテグリティ? 

大江健三郎ノーベル文学賞受賞の際のスピーチで
日本語に翻訳せずに、そのまま使っていた「ディセンシー」?

人としての節操?

たぶん、それは、例えば、

強い立場にいる人たちの醜くて浅ましい行為が自分に向けられた時に、
自分はそれに汚されないでいよう、と心に切に念じ続けるようなこと。

自分の中にウサギがいることを信じて、
そのウサギの世話をし、守り続けて生きていきたいと、心から願うようなこと。