松田純先生の「著作権侵害」(と私には感じられるもの)を巡るやりとりの経緯

前のエントリーの続きです)


2017年4月10日に
問題の講演のスライドおよび文字起しと拙著との詳細な対照表(前のエントリーにあり)を添付した上で
私がからつ塾のメールアドレスに送ったメールは以下でした。


からつ塾事務局さま
松田純先生

はじめまして。児玉真美と申します。

2013年10月21日にからつ塾で開催された静岡大学松田純先生による
尊厳死法と事前指示は平穏死を保障するか」というご講演を
YouTubeで拝見しました。

その中に、
私が2013年8月23日に大月書店から出した『死の自己決定権のゆくえ―
尊厳死・『無益な治療』論:臓器移植』に対する著作権侵害があり、
松田先生のあまりの露骨なやり方に深く傷ついております。

詳細を添付の資料にとりまとめました。

私としましては、以下のご対応を求めます。

① からつ塾のサイトに、添付の資料をなんらかの形で全面的に公開した上で、著作権違反の事実を認め、謝罪する文書を掲載してください。
② 松田先生の当該のご講義の動画は、そのまま手を加えることなく残してください。
③ 松田先生のご講義の動画の最後に、①の情報を盛り込んでください。

なお、児玉は①と③が実行された後に、今回の経緯について、からつ塾の当該情報①へのリンクを貼った上で自分のブログに報告記事を書く予定としております。

誠意あるご対応をお願いいたします。

児玉真美


間で、からつ塾運営委員の方より、
松田先生に事実関係の確認をした上で運営委員会として対応を協議するので
しばらく時間をいただきたい、とのご連絡をはさみ、

4月17日午前にからつ塾代表の大嶋仁さまより、ご回答がありました。
添付は「からつ塾よりの謝罪」「松田先生から児玉様へのメッセージ」の2点でした。

松田先生のメッセージ(4月16日付)のご趣旨は、
オランダ、ベルギー、スイスについては詳しく調査している研究者の仕事で、
すでに情報は得ていたのだが(つまり、あなたのような素人の本で知ったわけではない?)、
講演準備の時間がない中、ご著書に簡潔に纏められていたので「数回に渡って引用」させてもらった、
その際に、市民向けの講演ということで参照指示が不十分だったために、
その不注意で不愉快な思いをさせて、申し訳ない、というものでした。

大嶋さまが代表として書かれた「からつ塾のお詫び」のご趣旨は、
スライドを精査せず、松田先生の了解も取らずに
YouTubeから発信してしまったことは落ち度だったが、
聴衆に配った資料にはご著書について明示されているので「ご理解ください」。

最後に、
これ以上は電話で話をしたい、とありました。


それに対して、17日午後、児玉は以下のように返信しました。


大嶋仁さま

からつ塾としてのご回答と松田純先生からのメッセージをありがとうございます。

からつ塾の運営委員会としては、松田先生のご認識と同じく、これは単なる「引用」であり、口頭で参照指示が不十分だった点は「不注意」だったにせよ、資料に明記してある以上は問題はない、というご認識、と拝読いたしました。

当初の私のメールに添付した「対照表・からつ塾松田純先生講演における著作権侵害疑義に関する資料」を、委員の方々は、いったい、ご覧になっているのでしょうか。

その18ページに「松田先生のご講演の「Ⅰ 死に方についての法制化 世界の状況」部分は、そのほとんどが児玉の著書からの継ぎ接ぎと言ってもよい」と書いておりますように、これだけ大量の他人の著書からのコピペ行為を、私は「引用」とは認識しておりません。したがって、不十分な「参照指示」という「不注意」に対して抗議しているわけでもありません。

明らかな「著作権侵害行為」と認識しており、それに対する謝罪を求めているものです。

大嶋さまも松田先生も、私が当初のメールで書いた3点の要求には、いっさい言及しておられませんが、それは「応じるつもりはない」というご回答と理解してよいでしょうか。

これ以上は電話で話したいと大嶋さまはおっしゃいますが、私には電話でお話しすることは何もありません。

改めて、以下の3点を求めます。

なお、①について注記しておきますが、私が求めているのは「著作権違反の事実を認め、謝罪する文書」の掲載です。お間違えや、問題の摩り替えのなきようお願いいたします。

以下、4月10日の私のメールからのコピペです。

==
① からつ塾のサイトに、添付の資料をなんらかの形で全面的に公開した上で、著作権違反の事実を認め、謝罪する文書を掲載してください。
② 松田先生の当該のご講義の動画は、そのまま手を加えることなく残してください。
③ 松田先生のご講義の動画の最後に、①の情報を盛り込んでください。

なお、児玉は①と③が実行された後に、今回の経緯について、からつ塾の当該情報①へのリンクを貼った上で自分のブログに報告記事を書く予定としております。
==

応じられるおつもりがおありかどうか。早急なご回答をお願いいたします。

児玉真美


17日夕刻、
「からつ塾からの返答です」と題したメールを大嶋仁さまよりいただきました。

それに対する17日深夜の児玉の返信 ↓

大嶋さま

先にいただいた2つの文書では、松田先生は「数回にわたって引用させて頂きました」とお書きです。大嶋さまも「先生が聴衆に配布した印刷物には、児玉様のご著書についても、引用箇所についても明記されているということも、確認しております」と書かれており、その時点ではお2人とも「引用」というご認識でした。

(通常、講演等の資料はスライドがそのままプリントされたものと拝察いたします。スライドに存在しない出典が「印刷物」には明記されていたということはありえないと思うのですが、もしも大嶋さまがおっしゃるように逐一の「引用」箇所について出典が明記されていたのであれば、その印刷物をPDFファイル添付にてお送りいただければと存じます)

ところが、今回いただいたメールでは、「引用」ではなく「紹介」だったのだ、と大嶋さまのご認識が変わりました。「松田先生としてもむしろ児玉様の仕事を広く世間に知ってもらいたいとの思いがあってこそ、 ご著書を紹介させてもらった」のだと、「引用した」とおっしゃっているご本人に成り変わって、大嶋さまが「紹介だったのだ」と、ご解説です。

大嶋さまは、「今回の松田先生の講義中、問題の箇所につきましては、 児玉様の著書から多くの部分をほぼそのまま借用した形となっており、確かに「引用」とは言えないとの認識でおります」「あの講義スライドでは、 聴衆の方たちはそれが松田先生本人の文章であるかのように受け取ってしまっても仕方ありません」と書いておられます。これが、著作権違反の事実そのものなのではありませんか。

ところが、大嶋さまは、他人の著書のあちこちを何度もごっそりコピペし、そのまま丸ごと分節してスライドに使うような行為を、「こういった場面(他人の著作からの借用)は、 大学の講義ではよく見られる光景です」「大学その他の教育機関で教鞭をとっておられる多くの方が、おそらく、同じような行為に及んでいると思われる」、とおっしゃいます。日本の大学その他の教育機関で教えておられる先生方は、他人の仕事を一字一句そのままで広く紹介してあげたいという善意に満ち満ちておられるのですね。

「今回のことは松田先生およびからつ塾固有の問題ではなく、同じようになにがしかの講義をしている者にとっての共通した問題であると捉えるべきです」「児玉様が今回指摘してくださったことは社会全体の問題であって、この社会への警鐘を鳴らす重大な告発と言っていいかと思います」と大嶋さまは、問題を拡大し、問題の一般化を図っておられますが、大学等で教えておられる方々に共通した問題として捉え、あるいは社会に警鐘を鳴らすべきだとお考えでしたら、それはそのように問題を捉えられる先生方が、今回の著作権違反の事実に対して当事者としてきちんと対応された後に、おやりになればよいことです。

今回の件について、私は、あくまでも松田純先生の学者としてのインテグリティ、人としての誠実の問題と捉えております。

「対話こそが他者と解り合うための最善の方法」と言われますが、大嶋さまはもとより松田先生とも「解り合う」必要を、私はなんら感じておりません。解り合うために抗議したわけではありません。

先生方にしても、こんなことは著作権侵害などではなく、松田先生は児玉の仕事を世間に紹介してやろうとしたのだ、大学の講義ではよくあることに過ぎない、「大学その他の教育機関で教鞭をとっておられる多くの方が、おそらく、同様の行為に及んでいる」のだと、今回のご返信の通りのご認識でおられるならば、児玉と「和解策を探りたい」とお考えになる必要もないのではありませんか。

先生方の世界では多くの方がやっておられることに過ぎないのだから、これは「明らかな」著作権侵害行為ではない、とお考えなのであれば、この事実を誰に知られようと、学者として恥じるところなど、松田先生にはないはずですね。

私の要求は変わりません。電話でお話しすることもありません。

児玉真美


19日朝にいただいたご返信については、
前のエントリーで概要まとめた通り。

私が17日にカッコ書きで求めた
当日の配布資料(出典が明示されていると大島さまが主張されたもの)は添付されていませんでした。



【2018年3月5日追記】
直前エントリーの最後に書いたように、
私は当初、2017年4月21日にこれら2つのエントリーをアップして、
それをもって、この不愉快な事件に自分なりにピリオドを打つつもりでした。

しかし、4月20日の夜のある出来事によって、
私はこのエントリーの公開を思いとどまらざるを得なくなりました。
その晩に見た夢がこちらです ⇒ https://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65598182.html

そのため、私は自分なりのピリオドを打つことがかなわず、
この件には20日の夜から様々な「その後」が生じることとなりました。

「その後」の顛末の一部である
2017年5月9日の私からのメールは、こちらに ⇒ https://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara2/65627301.html

このメールに対しては、
松田先生からもからつ塾からも長らくレスポンスはありませんでした。

突然、からつ塾からメールが届いたのが2018年2月28日の夜のことです。

それについては次のエントリーで。