米国内科医学会 すったもんだの挙句、PAS反対のスタンス堅持

これまでの経緯については、此方のエントリーに ↓
米内科医学会の倫理法務委員会、PASへのスタンス反対から動かず(2018/5/13)

昨年5月に米医師会倫理法務委員会が出した報告書で
主として欧州のすべり坂懸念を理由に、
PASに反対のスタンスを堅持すべきだと結論付けたものの、
翌6月の代議員会で否決されて、委員会に差し戻され、

それに対して同委員会がまた同じ結論の報告書を出すなど、

議論が真っ二つに割れて、すったもんだしていた問題が、
やっと一応の決着を見たようです。


6月11日の代議員会で投票の結果、
360対190で委員会の報告書が採択され、
PASへのAMAの公式スタンスについても
392対162で、現行の反対のままとすることに。

報告書の眼目(とspitzibaraは考える)文言に関する指摘部分についても、
完全な選択肢が存在しない以上、倫理議論のためには
plainly descriptive language(明々白々に叙述する文言)を用いるのが良いとして、
最も正確なPhysician-Assisted Suicideとすべき、と。

とはいえ、学会内の意見はなおも割れている。

記事からとりわけ興味深い発言を。

ワシントン州の代議員の発言

 オレゴンが1997年に合法化した際、自殺幇助に留まり、安楽死に広げることはないと何度も保証したはずだったが、先週、オレゴン州下院議会は知試薬の注射を認める法案を可決した。

患者の命を奪うことは許容されるという考えを医師がひとたび受け入れてしまえば、医師幇助自殺は安楽死へと進むことが不可避だということだ.

カナダでは、自殺幇助と安楽死が合法化されたのはほんの3年前で、その3年間に米国で我々がこの問題を議論している間に、カナダでは安楽死がものすごい勢いで伝染し昨年は4000人を超える死者を出した。こうした心配な展開から我々は、自殺幇助のバスはタイヤが外れかけているということが分かる。現実世界で状況が悪化している時に、倫理法務委員会の報告書に基づいて行動せずにいるような余裕はない。


●C&Cのディレクターでもあるオレゴンの代議員の発言

患者がこうした要望を利用することは極めてまれだが、それでも患者が苦しんでいる時に、これは我々が与えることができる対応である。敵は死ではなく、敵は終末期の苦しみなのだ。その苦しみに安楽を提供する方法で対応するが、最も大事なことだ。

C&Cにとって、「死なせること」はすでに完全に緩和ケアなのですね。


● ちょっと気になることとして、
AMA医学生会員たちには中立の立場にすべきだという考えが多いこと。


フロリダ州の医師で、the Society of Critical Care Medicineの代表がthe Chest Caucusを代表しての発言。

We would not give our patients a gun or revolver… so we should not be supplying them with lethal drugs. Physician-assisted suicide violates natural moral law. We urge the AMA to stand firm, as any change from the current position will only confuse the public as to the intention and role of their physicians.

米メイン州議会をPAS合法化法案が通過、知事のもとへ

3日の下院では73-72。
4日火曜日、上院で19-16で可決。

知事はこれまで立場を明らかにしていない。




The bill requires the patient to make two oral requests and a written request for the medication, with the written request being made at least 15 days after the initial oral request. The patient would also need to wait at least two days after they make their written request to receive the prescription and they would need receive a second opinion by a consulting physician.

The proposal defines "terminal disease" as "an incurable and irreversible disease that has been medically confirmed and will, within reasonable medical judgment, produce death within 6 months." Patients who doctors determine are "suffering from a psychiatric or psychological disorder or depression causing impaired judgment" would be prohibited from receiving life-ending medication, according to the legislation.
CNN

Lambert事件続報

2014ー15年に裁判となった以下のLambertさんのケースが、
ふたたび、訴訟になっている。


これまで、うっかり英語読みで「ランバート」と表記してきたけど、
この人、フランス人なんだから「ランベール」さんでした。




盛永審一郎先生の関連記事
20日にランベールさんに適用されたのは、
フランスが16年の新法による持続的な深い鎮静による「ソフトな安楽死
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190521-00056445-jbpressz-soci&p=1





生権力・生政治・生資本についてのメモ

生権力、生政治、生資本という言葉に触れるようになって久しく、
ずいぶん前にアガンベンの『ホモ・サケル』とかネグリの『帝国』とか手にとってもみたけど、
いずれも、すぐにあえなく挫折。

小松美彦著『生権力の歴史』は
小松先生が言わんとしておられることは了解できるものの、

「生権力」については、
フーコー「〈死なせるか生きるままにしておく〉という古い権力に代わって、
〈生きさせるか死の中に廃棄する〉という権力が現れた」という
有名(らしい)表現を含め、モヤモヤしたところに留まっていた。

この度ひょんなことから
科学技術社会論研究』第17号(特集―身体・生命・人間の資本論)という
モノを知らない素人は存在すら知らなかったジャーナルを手にし、
そこに収録された論文を読んでいたら、モヤモヤがかなりスッキリしてきたので、
個人的なメモとして、このエントリーに取りまとめておきたい。

ちなみに、ネット上コトバンクでの「生権力」の説明は以下。

フランスのポストモダンの哲学者フーコーの用語。近代以前の権力は、ルールに従わなければ殺す(従うならば放っておく)というものだったが、近代の権力は、人々の生にむしろ積極的に介入しそれを管理し方向付けようとする。こうした特徴をもつ近代の権力を「生-権力」とフーコーは呼ぶ。具体的には2つの現れ方があり、1つは個々人の身体に働きかけて、それを規律正しく従順なものへ調教しようとする面である。学校や軍隊において働くこの種の権力は「規律権力」とも呼ばれる。もう1つは、統計的な調査等々にもとづいて住民の全体に働きかけ、健康や人口を全体として管理しようとする面である。こうしたフーコーの権力論は、近代になって個々人の自由が広く認められるようになったという一般的なイメージを覆し、近代を個々人を巧妙に支配管理する権力技術が発達してきた時代として捉えるものだった。またこれは、政治権力を奪取しさえすれば理想社会が到来すると見なす、マルクス主義的な権力観に対する根底的な批判でもあった。フーコーの権力論は、いまも社会学や社会運動に大きな影響を与えつづけているが、他方で、権力の正当性の基準を欠き、どういう法律や政策ならば正しいかを決定しえないという批判もある。

(西研 哲学者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」


――そこで『科学技術社会論』第17号。

①まず、編集委員長の林真理先生(工学院大学)の巻頭言からメモ。

組換えDNA技術の登場と、
それに伴って研究者らがガイドラインを検討した1975年のアシロマ会議を
「生物学の歴史の中で、その学問的な成果を広く応用して工業化可能性を拓くことができる、
新たな時代が登場したと言える初めての科学史上の出来事」だった。

さらに、1990年代のヒトゲノムプロジェクトの始まりによって
生命科学技術の新たな領域の立ち上がりに伴うELSI問題群が意識されることになった。
(ELSI=Ethical, Legal and Social Issues)

しかし、生命科学技術と社会の問題を現実に即して捉えるなら
倫理という側面からだけ論じることには限界があり、
「既に存在している規則や習慣どの人の行為の背景にあって前提となっている
権力構造を描き出していく」ことなど、政治哲学的な問題構造の議論も必要。

そこで、この特集においては、
「政政治」「生権力」「身体の商品化」「生命の資源化」「生資本biocapital」という
考え方を鍵として、この問題を考える、と。


②廣野喜幸(東京大学)の「人体の商品化と生権力」からメモ

1980年ごろから本格的に成立しはじめた」「人体商品市場」が形成され広がっていった経緯を、
生殖医療、再生医療、遺伝子の3つのテーマに沿って整理した後、

近代以前の君主型の「死権力」に対比される新たな政治権力「生権力」の
4つの特徴が解説されている。

第1の特徴とは以下。

……新種の権力も人々がそれに服従するがゆえに、権力であることはまちがいないのだが、複縦先が異なる。支配者という人格的存在ではなく、真理という衣装を身にまとう知あるいは言説に私たちは服従するのだ。たとえば、生命科学が産出する知/言説が私たちの支配的なのである。(p.24)


これはリアルに説得力がある。

第2の特徴は、
「ゾーエー(命)が関与するのが死権力であり、ビオス(生活)が関わるのが生権力」

気に入らなければ殺すけど、それ以外は放っておく君主型の死権力に対して、
生権力は、このように生きよ、と支配を及ぼしてくる、ということですね。

……新種の権力は、さまざまな生き方の中である種の生き方を規範=パラダイム化し、そうした生き方へと人々を強要する作動機構を持つような存在なのである。(p. 25)


第1の特徴とセットになって、この「強要」は
身の回りの日常生活でも、ネットで見るニュースの中でも、リアルに目撃しているところ。

このあたりのことについては、標葉隆馬(茨城大学)の論文、
科学技術社会論における生-資本論」で引用されているローズの次の一節も。

……
生きている被造物としての人間の生命の潜在力をコントロールし、管理し、設計し、つくりなおし、調整することの可能性にこそかかわるのである。それこそが、私が示唆する「生そのもの」の政治なのである。(Rose 2007=2004、12-3) (p.43)


第3の特徴は、フーコーが言う「人種主義」。ただし、通常の「人種」に限らず、
「生物学的領域として与えられる一領域の内部で生物学的な切り分け」フーコーからの引用)のこと。

つまり、なんらかの科学的な知見によって正当化されつつ行われる
いわゆる「命の線引き・選別」のことですね。

ここで法的、倫理的な議論がその正当化の役割を担ってもいることは、
拙ブログでも考えてきた通り。

そして、第4の特徴は以下。

「君主」と「知」が共謀して人々を価値付け、生きるべきいのちと死んでもかまわない命とに二分すること。しかし、その分割線が自然科学の学知によってもたらされる自然主義に基づくため、社会的規約ではなく、自然法則化のような様相で人々に迫ってくること。(p. 25)


20世紀前半に、科学知によって生命が序列化され、
「低い階層の生命が高い階層の生命に寄与することを強制されるようになって」いき、
ナチスを念頭に置いたフーコーアガンベンエスポジトも政治の次元に焦点を合わせたが、

しかし、人体の商品化において複縦がささげられる先に位置するのは資本システムである。政治権力ではなく経済権力が台頭し、権力システムの主要アクターとなったのである。(p.27)


そうした生権力の様相を、臓器移植医療、尊厳死安楽死を通して如実に分析したのが
小松美彦先生の著作なのだけれど、この特集では
生殖と医療システムの周辺での生権力のうごめきを指摘する論文が多く、興味深かった。

それらの中から、「生権力」概念を理解するのに役立った辺りをメモとして。


③柳原良江(東京電理大学)「代理出産というビジネスー経緯・現状とそれを支える文化構造」

……『資本論』に沿えば、代理出産において「商業資本」にあたるのは、斡旋業者や医師、弁護士である。そして薬品開発と同じく、生命科学知を伴う認識の普及とともに発展する「生-資本」が機能する社会において、人々は〈生殖の確立〉に加え、生殖技術の発展に伴う〈生殖の潜在性〉に気づくようになっている。代理出産も、当初は長らく不妊治療を行ってきた夫婦の最後の治療法として位置づけられていたが、代理出産産業の「商業資本」は、これまで自らの生殖に関心のなかった人々に対し、彼らの持つ〈生殖の潜在性〉に気づかせ、その完遂を切望させるため近代家族像を推し進めるようになった。(p. 86)


……一方「商業資本」が「常時永続化」するために想像する「価値」が浸透した社会では、需要は増え続ける一方であり、不足はますます深刻化する。(p. 87)


「生-資本」の圧力により代理出産が合法化されたのち現れるのは、これまで巧みに隠蔽されてきた、女性と子供に対する、あからさまな、そして時にはなりふり構わぬ商品化である。(p. 87)


ここらあたり、私が素人の稚拙な言葉ではあるけれど、
「意図的にばらまかれる“コントロール幻想”によって人々の欲望を新たに掘り起こしては
そこにマーケットが創出され、そのマーケット自体が消費されていく経済構造のカラクリ」
として捉えてきた事態そのものが、まさに「生権力」の露われだったのだなぁ、と再確認。


④山本由美子(大阪市立大学大学院)「胎児組織利用と子産みをめぐる統治性および生資本」

 バイオ資本主義の中で司牧権力を持つ専門家とは、医師のほか、遺伝学者や法学者、カウンセラーや倫理学者たちといる。こうした専門家――統治者――の役割は、被統治者が直面する個人的・医学的・倫理的な問題にみずから(傍点)向き合いみずから(傍点)対策を講じるよう、助言及び支援することである。つまり、バイオテクノロジーを利用させるさいの医療実践的フォームは、あらかじめ決まっている。そこでは、被統治者側にも出現してきたあらたな倫理――みずからのよりよい生の実在に向けたあらゆる情報の入手に価値をおく――を引き込む形で意思決定プロセスが展開される。(p. 109)


 あらたなバイオテクノロジーは、グローバルな市場原理に基づいて、医師と企業人の協働および主導によって国内外に導入されていることが分かる。産科医療機器や生殖補助技術の開発がそうであったように、出生前検査というものも、女性による要望が先行していたわけではない。生資本の収集と認知的活動の創生のために、統治者によって、技術利用の需要が創設されかつ促進されているのである。(p. 111)


……今日の生権力における統治技法とは、妊婦に対して、自らの意志のもと身体ごとバイオ資本経済活動に参加する自由を保障したうえで、ある種の「救済」の価値づけを与えたのではないだろうか。胎児の質を選ぶのではなくみずからの人生のありようを選ぶ形で、選別的中絶を、個人のよりよい生の実現の中に包摂したのである。優生的な表象や概念をみじんも用いることなしに、人口管理だけでなく生資本の収集までも可能にしようとしている。これが今日にみる子産みの統治といえる。(p. 111)


他にも、以下の論文など、
自分なりに考えてきたことが専門的な言葉で論理的に説明されていく感じがして
大いに勉強にもなり、面白かった。

「高齢者をめぐる生政治―医療費増加の責めを高齢者に帰する言説の分析」花岡龍毅
「『遺伝子検査』へのダブルスタンダードと不透明な未来」武藤香織
「診療記録の資源化―医療情報の電子化と次世代基盤法」佐々木香織
「人体の資源化と社会装置としての幹細胞バンク」見上公一


で、読後感としては、
「生権力」「生政治」「生資本」とは、
当ブログで様々に素人の稚拙な言葉で捕まえてきたもののことだったんだなぁ、と。

たとえば前のブログの
「科学とテクノのネオリベラリズム」と「ゲイツ財団と慈善資本主義」の書庫のエントリーで
以下のような言葉で捉えてきたもののこと。

「医学・医療の問題だったことが今では政治経済の問題になっている」



オレゴン州上下院に「尊厳死法の」要件緩和法案

・下院の法案には、余命6か月の要件をなくして、死に至る病気であれば認めるという方向
・上院の法案には、書面で申請があったのちに薬を処方するまで15日間を空けるという要件の撤廃。

自分で毒物を飲み込めない人には、スイスで行われている点滴方式も。


「臓器提供安楽死」求める声に移植医からの懸念

いわゆる「臓器提供安楽死」については、2010年のサヴレスキュらの論文以来、
以下のエントリーなどで継続的に情報を拾ってきました。



カナダでの安楽死合法化と、上記最後のエントリーで拾っているトゥルーグらの論文を契機に
医療現場で移植臓器の不足問題への解決策として安楽死が目され始めているらしい。

米国テネシー州、Vanderbilt大の移植プログラムの前共同ディレクターで
現在はICUの医師であるE. Wesley Ely医師がUSATodayに寄稿し、懸念を表明している。


 At international medical conferences in 2018 and 2019, I listened as hundreds of transplant and critical care physicians discussed “donation after death.” This refers to the rapidly expanding scenario in Canada and some Western European countries whereby a person dies by euthanasia, with a legalized lethal injection that she or he requested, and the body is then operated on to retrieve organs for donation.

At each meeting, the conversation unexpectedly shifted to an emerging question of “death by donation” — in other words, ending a people’s lives with their informed consent by taking them to the operating room and, under general anesthesia, opening their chest and abdomen surgically while they are still alive to remove vital organs for transplantation into other people.


つまり、医療系の国際学会で、
安楽死が合法化されている国々でいわゆる「安楽死後臓器提供」が
「死後提供」と称されて移植医と救急医の間で議論となっており、

どの会議でも、その議論は、
生きているうちに麻酔をかけて臓器を摘出することによって安楽死する、
いわゆる「臓器提供安楽死」へと移っていく、と。

患者が死んでいない限り臓器を取り出してはならないとする、
いわゆるデッド・ドナー・ルールでは避けられない臓器の傷みを、
この方法であれば回避することができる。

トゥルーグらの論文は、
患者の自己決定であればデッド・ドナー・ルールにこだわらずに
本人の意思を尊重できるよう法改正を、と提言するもの。

しかし、著者はこの提言には以下の3つの懸念を表明している。

スティグマと社会的軽視を経験してきた障害者に、
邪魔者は臓器でも提供して人の役に立てという誘導を受けるのではないか?
● 自分の意思を表明できない人たちが瞬く間にドナーに含まれていくのでは?
● 2500年もの間ずっと命を奪うことを禁じられてきた我々医師にとって、
それは何を意味することになるのか?

著者が引用するのは、マサチューセッツ州のPAS合法化法案をめぐる議論の際に
NYTにBen Matlinが寄稿した文章。
https://www.nytimes.com/2012/11/01/opinion/suicide-by-choice-not-so-fast.html

「教唆」と「自由な選択」の境目がいかに危ういか、障害者としての経験から述べたもの。

また、著者はさらに、
私が以下の2つのエントリーで拾った話題を問題にしている。


そして最後に言及されるのが、
1973年のサイエンス・フィクション『ソイレント・グリーン』。

「舞台となっているのは2022年。あと3年先のことだ」と著者はこの論考を締めくくる。


この物語では、2022年、不自由になったり衰弱した高齢者が送られる「ホーム」とは
介護施設のことではなく、公営安楽死施設のこと。

そういえば、スイスをはじめ、いくつかの国では
すでに老人介護施設での安楽死も認められているんだよなぁ……。

テキサスで新たな「無益な治療」訴訟

テキサス州の事前指示法―-通称「無益な治療法」――をめぐっては、
あまりにも多くの訴訟が起きているので、もうニュースにもならなくなった
という話もありましたが、

久々に、個別の事例の報道が目についたので。

患者はCarolyn Jonesさん61歳。

2017年に脳卒中を起こして以来、さまざまな医療機関を転々とし、
2018年11月からMemorial Hermann Southwest 病院に入院。

意識はあるが、人工呼吸器をつけているため会話はできない。
人工呼吸器の他、人工透析もテキサスの事前指示法では「生命維持」とみなされる。

医師と病院の生命倫理委員会の決定により、
生命維持中止の宣告を受けたのが5月2日。

転院先を探すための猶予は10日。5月13日になればCarolynさんは死ぬことになる。

主たる介護者である夫は、Texas Right to Lifeの協力を得て、
転院を模索しているが、病院から提示された転院先に移るためには
Carolynさんの場合、メディケイドの了解が必要となり、それには時間を要する。

そのため、夫はTexas Right to Lifeを通してついた弁護士と相談のうえ、
10日間という期間の延長を求めることも考えているとのこと。




公立福生病院の透析中止事件の報道のどこかで、
「透析をしている人は終末期」という誰か医師の言葉を読んだ記憶がよみがえりました。


【5月17日追記】続報。
キャロラインさんは13日に呼吸器を外されたものの、
多くの募金と支援者らの努力によって、プライベートな救急車で無事に転院された模様。
https://www.faithwire.com/2019/05/16/update-texas-woman-forcibly-taken-off-life-support-has-been-saved-by-a-pro-life-group/


【5月15日追記】
テキサスではこの法律をめぐる攻防が続いてきたけれど、最近もこんなニュース(4月30日)も。

Texas Committee Passes Bill to Overturn Rule Allowing Hospitals to Euthanize Patients After 10-Day Notification
https://www.lifenews.com/2019/04/30/texas-committee-passes-bill-to-overturn-rule-allowing-hospitals-to-euthanize-patients-after-10-day-notification/