「臓器提供安楽死」求める声に移植医からの懸念

いわゆる「臓器提供安楽死」については、2010年のサヴレスキュらの論文以来、
以下のエントリーなどで継続的に情報を拾ってきました。



カナダでの安楽死合法化と、上記最後のエントリーで拾っているトゥルーグらの論文を契機に
医療現場で移植臓器の不足問題への解決策として安楽死が目され始めているらしい。

米国テネシー州、Vanderbilt大の移植プログラムの前共同ディレクターで
現在はICUの医師であるE. Wesley Ely医師がUSATodayに寄稿し、懸念を表明している。


 At international medical conferences in 2018 and 2019, I listened as hundreds of transplant and critical care physicians discussed “donation after death.” This refers to the rapidly expanding scenario in Canada and some Western European countries whereby a person dies by euthanasia, with a legalized lethal injection that she or he requested, and the body is then operated on to retrieve organs for donation.

At each meeting, the conversation unexpectedly shifted to an emerging question of “death by donation” — in other words, ending a people’s lives with their informed consent by taking them to the operating room and, under general anesthesia, opening their chest and abdomen surgically while they are still alive to remove vital organs for transplantation into other people.


つまり、医療系の国際学会で、
安楽死が合法化されている国々でいわゆる「安楽死後臓器提供」が
「死後提供」と称されて移植医と救急医の間で議論となっており、

どの会議でも、その議論は、
生きているうちに麻酔をかけて臓器を摘出することによって安楽死する、
いわゆる「臓器提供安楽死」へと移っていく、と。

患者が死んでいない限り臓器を取り出してはならないとする、
いわゆるデッド・ドナー・ルールでは避けられない臓器の傷みを、
この方法であれば回避することができる。

トゥルーグらの論文は、
患者の自己決定であればデッド・ドナー・ルールにこだわらずに
本人の意思を尊重できるよう法改正を、と提言するもの。

しかし、著者はこの提言には以下の3つの懸念を表明している。

スティグマと社会的軽視を経験してきた障害者に、
邪魔者は臓器でも提供して人の役に立てという誘導を受けるのではないか?
● 自分の意思を表明できない人たちが瞬く間にドナーに含まれていくのでは?
● 2500年もの間ずっと命を奪うことを禁じられてきた我々医師にとって、
それは何を意味することになるのか?

著者が引用するのは、マサチューセッツ州のPAS合法化法案をめぐる議論の際に
NYTにBen Matlinが寄稿した文章。
https://www.nytimes.com/2012/11/01/opinion/suicide-by-choice-not-so-fast.html

「教唆」と「自由な選択」の境目がいかに危ういか、障害者としての経験から述べたもの。

また、著者はさらに、
私が以下の2つのエントリーで拾った話題を問題にしている。


そして最後に言及されるのが、
1973年のサイエンス・フィクション『ソイレント・グリーン』。

「舞台となっているのは2022年。あと3年先のことだ」と著者はこの論考を締めくくる。


この物語では、2022年、不自由になったり衰弱した高齢者が送られる「ホーム」とは
介護施設のことではなく、公営安楽死施設のこと。

そういえば、スイスをはじめ、いくつかの国では
すでに老人介護施設での安楽死も認められているんだよなぁ……。