湯灌の儀式

「湯灌の儀式」なるものを初めて見た。

その丁重さに打たれた。

「慎んで○○させていただく」という言葉の精神が形ある動作になったらこうなる……
というものを見せられている、という感じがする。

男性の方が頭を担当。
女性の方が体を担当。

足を片方ずつ両手でくるみこみ、撫でさするように洗う、まろやかな手つき。
頭を洗う手指の優しさ、頭を持ち上げる時の丁寧さ。

シャンプーを流す時には耳に水が入らないように、
美容室と同じように耳に手を添えてくださる。

もう死んでいるのだから
耳に水が入ったとしてもなんら差し障りはないのに。

顔と足首から先以外は人目に触れないようにバスタオルで覆い、
細やかな配慮をしながら、全身を洗ってくださる。

温かい湯で、
あぁ、こんなふうに洗ってもらって、
心地いいだろうなぁ……という柔らかな動作で。

口元に蒸しタオルをかける際には
死んだ人に向かって「失礼します」と声までかけてくださる。

われわれ一同は、おのずと厳かな気持ちになって
その「儀式」がかもし出す清浄な空気感に身を浸している。

そうなんだ……。
「死体」じゃないんだ。

「ご遺体」ですらなくて、
「故人」なんだ……。

そこで私はまたも米国のマクマス事件
「医師が脳死を診断した以上、アンタの子はもう死体なのっ。
それが納得できないのは、科学に対する無知蒙昧!」を頭によみがえらせて、
胸が熱くなる。

次いで、
「お顔に伸びてきておりますおひげを、剃らせていただいてよろしいでしょうか」

手は滑らかな、しかし無駄のない剃刀さばきで、
着実に顔を剃り進んでいく。

……と、そこへ、

ゾリゾリゾリ。

いかにも「毛が刈られていく」即物的な音がして、
つと目を上げると、

ひぇっ?

剃刀が鼻の穴に突っ込まれている!

なるほど、
こうなって気がついてみると
この剃刀は通常より、よほど細い。

それが狭い鼻の穴の中で、
くるりん、と回る。

ためらいも無駄もない動作で、
くるりん。また、くるりん。

そのたびに私はやっぱり内心「ひぇぇぇ」とすくみ、
おなかの奥深い辺りがゾワゾワする。

もう死んでいるのだから、
そりゃ、もちろん大事ないのだけれど。

いや~、これは、
ぜってぇ生きている人間にはできんわ……。

くるりん、のたびに、
ゾリゾリゾリ……。

おごそかに静まった部屋に、
いっそ小気味よいほどの音が立つ。

へぇぇ。
鼻毛って、こんなにあるのか。こんなに剛いのかぁ。

鼻の穴ふたつ。

それぞれに「くるりん、ゾリゾリゾリ」数回ずつで、
故人の鼻はすっきりとして、いくぶん高くなったようにすら見える。

なるほどなぁ。
棺を覗き込んだら鼻毛がぞろり……では格好がつかんもんなぁ。

耳に水が入らない配慮、
顔にタオルをかけるたびに「失礼します」と声をかける配慮に、
鼻の穴に剃刀を突っ込んで鼻毛を剃りあげる即物的な動作とが
そ知らぬ顔で同居している湯灌の儀式に、

「得心」というか「降参」というか何というか、
ただもう、感じ入ってしまいました。