海が「意見」表明をしました

今日、娘の施設で何年ぶりかの個人懇談でした。

私はこういう場面では、なるべく海を同席させてもらうことをお願いしてきたのですが、
今回はそうしないつもりでした。

海を同席させてもらうことを考えてみたいと思ったのは、
アシュリー事件からのあれこれの物思いの中から、
「本人のため」という言葉がいかに恐ろしい言葉であるかを痛感し、
「重心児者における自己決定とは何か」という問題について考え始めたためでした。

そこに至る思いについては14年の重心学会でも
ちょっとお話しさせてもらっています。

そこでも「スタッフの受け止めは様々ですが」と言っているように、
何度かそういう場面を実現してもらった中では、
否定的なまなざしを感じることもありました。

そして、この学会の直後、ついに、
もう、やめよう、無理だ……と思わせられる場面がやってきてしまいました。

親は、海が生まれてから30年近くの年月を、
我が子が障害をもって生きるということについて、ずっと考え続けてきました。

それでも、それほどの親の思いを込めた言葉を、
海が生まれた時にはまだほんの子どもだったような人が、
ただ専門職だというだけで、聞こうともせず、
頭から露骨にバカにして平然と切り捨てる――。

それは、紛れもなく、
海が生まれてから私が体験し続けてきた「専門家の世界」の一つの顔でした。

これだけの思いを込めた意図がいつか伝わるなんて、そんなの、無理だ、
このままゴリ押ししたって、ただ表面的につきあってもらうだけ、
海がまた侮辱されることになるだけ。

そう思ったのでした。

それから、私は「海も同席で」とは言わなくなりました。

今回、個人懇談が決まってから、担当文豪支援職さんに
「海さんはどうされますか?」と聞かれました。

事情はある程度、お話してあります。
まだ迷っている、と答えました。

で、先週の連絡ノートに書いてあったのは、

「もし海さんが懇談に出られるなら、
海さんと相談して『原稿』を作りますから」

この『原稿』で、母の心は初心に帰りました。原点回帰。

海に個人懇談があるという話をして、
「あんた、どうする? 出る?」

「ハ」と即答でした。

「あ、そ。じゃぁ Yさんと相談して『原稿』を作ってね。お母さん、楽しみにしとるけんね」

「ハ」

で、週末に、海を迎えに行くと、
海の意見発表の原稿はもうできていました。

海さんといっぱい話をしながら作りました、ということでした。

母は内容を知りません。ワクワクします。

今日の懇談では、
園長の音頭で、主治医、看護師、理学療法士作業療法士、そして支援職が、順番に
海の様子について、今どのように考えているか、これからの方針について語ってくださいます。

いよいよ支援職のYさんの順番になると、

「最初に、海さんが意見を言いたいというので、私が代読します」

そうしてYさんが読んでくれた海の「意見」は以下でした。


今日は、今の私について、みなさんに伝えます。

私は、好きなおもちゃがあります。夜あそぶことに決めていて、私がベッドで横を向くと、しょくいんさんが「CDにする? おもちゃにする?」ときくので、「両方」といいますが、どちらかしか出してもらえません。

おかあさんといっしょ”のDVDとCDが好きです。でも、コンサート・バージョンしかききません。

しょくいんは、よくあそんでくれます。なので、私も、一人ひとりのしょくいんさんに、ちがういたずらをします。

あそびだけではなく、自分のことは、ちゃんとやります。きがえも、頭とか、手とか、動かせます。

ごはんも、ちゃんと食べられるし、ムセるのも、ピカイチです。

みんなが、私のことを、さいきん太ったというけど、太ってません。よく食べるけど、その分、ちゃんと運動しています。でも、ごはんに、なっとうがでないのが、いやです。

そういえば、オムツが大きくなりました。でも、太ってません。体重も、あまり変わっていません。オムツは今の方が良いです。

グループ活動は、楽しいけど、ついてくれる職員によります。でも、私はムードメーカーなので、どんな人とも仲良くできます。

今、こまっていることは、特にありません。

ひとつ、みなさんにまもってほしいのは、何に対しても、私の意見を聞いてほしいことです。私も、ちゃんと考えています。

これからも、楽しくすごしたいです。

                          2017.2.13
                            こだま うみ
(本文はYさんの手書き。漢字にはフリガナ付き。
日付とサインは、Yさんお手伝いによる海の直筆)