『死の自己決定権と「無益な治療」論の現状』

死の自己決定権と「無益な治療」論の現状
  
この連載では2006年の開始から、海外の「死の自己決定権」や「無益な治療」論の周辺で起こる事件や議論を折に触れて紹介してきた。06年からだけでも、すでに数え切れないほどの事件や訴訟が起こり、議論も多くの変遷を経ている。それらについては当欄に書ききれなかったものも含め、昨年8月に『死の自己決定権のゆくえ―尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』(大月書店)として上梓した。安楽死や医師による自殺幇助の合法化の広がり、それら法律や「無益な治療」論による一方的な治療停止への対象者の拡大や議論の変質が「加速」している懸念を、そこで書いた。しかし拙著の出版後も、そうした世の中の変貌はさらに急加速してきたように見える。“先進国”における「死の自己決定権」と「無益な治療」論はついにここまで来たのか……と、当惑せざるを得ない最近のニュースをいくつか紹介したい。

●バウアーズ事件:事故翌日に「尊厳死

米国インディアナ州のティム・バウアーズさん(32)は去年11月2日、ハンティング中に木から落ちてヘリで救急搬送された。医師は「首から下がマヒしたままとなり、生涯ずっと人工呼吸器が必要」と診断。家族の要望を受けて本人の意思確認をするために鎮静を解くと、看護師をしている姉が状況を説明し「こういう状態でいい(Do you want this)?」と聞いた。本人は強く首を横に振る。そうしたやりとりを経て、本人が「呼吸器をはずして死なせてほしい」と望んでいることを家族は確認。医師が質問をしても同じだったので、それが患者の「自己決定」とされた。そして事故翌日には親族が病院に集まり、呼吸器がはずされた。ティムさんは5時間後に死亡。多くの疑問が残る超ハイスピードの「尊厳死」である。

●マクマス事件:脳死は死なのか

米国カリフォルニア州のジャハイ・マクマスさんは13歳の黒人少女。昨年12月、睡眠時無呼吸症候群の治療として扁桃腺切除の手術を受け、術後の大量出血のため心停止。脳死と診断された2日後に病院が人工呼吸器を取り外そうとしたため、家族が「娘の心臓は打ち、血が身体を巡っているんです。私が近くへ行って話しかけると身動きもします。そんな娘は死者ではありません」(1月3日NYT)などと主張して提訴。受け入れてくれる他施設への転院と、その間の生命維持を求めた。

裁判が進行する間、連日報道され、アート・カプランなど著名な生命倫理学者らがメディアやインターネットで「医師が脳死と診断した以上、その人は法的にも科学的にも死者」「家族は“死体”を他施設に移せと要求」「“死体”に治療を施すことは非倫理的で、限りある医療資源の無駄遣い」などと各種のメディア等で批判。米国中で「脳死を死と認めないのは科学に対する無知蒙昧」など、家族への激しいバッシングが巻き起こった。その後、紆余曲折の末に和解が成立し、ジャハイさんは1月5日に他施設に転院できた。

この事件について生命倫理学者のロバート・トゥルオグらは2月3日、ヘイスティング・センターのブログ「バイオエシックス・フォーラム」に『生命倫理学と「脳死」ドグマ』と題した論考を書き、生命倫理学の中で「脳死は死」とのコンセンサスは存在しないことを指摘。その事実に目を瞑り、メディアに求められるままインパクトの強いコメントで複雑な問題を単純化し、ドグマ(独断・独善的な意見)に満ちた断定を繰り返すのは学者としての不誠実と批判した。

もう一つ、この事件で気になるのは、カリフォルニア州では医療過誤訴訟多発への対策として1975年にできた法律である。患者が医療過誤で死に至った場合の賠償額に上限が設けられているが、患者が生命維持により存命の場合には、上限は適用されない。これでは医療過誤訴訟を意識する病院に「無益な治療」論発動への強いインセンティブが働いたとしても不思議はない。

患者や家族の痛みや悲しみに「寄り添う」「支える」姿勢がカケラも見えない米国の議論に、そもそも医療とはなんなのだろう……と、考え込んでしまう事件だった。

●子どもの安楽死を認める(ベルギー)

ベルギー議会は昨年12月の上院に続いて2月13日に下院が、年齢を問わず子どもに安楽死を認める法案を可決した。これまでオランダで12歳以上の子どもへの安楽死が認められていたが、年齢を問わず全ての子どもにも安楽死を認めるのは世界で初めて。不治の病で苦痛があること、意識があり、理解・判断能力を専門家が確認していること、親の同意があることなどが条件。各種団体や医師らから激しい批判が起こる中、3月3日には国王が法案を承認したことが発表され、施行が確実となった。

「世界の介護と医療の情報を読む」第94回
介護保険情報』2014年4月号