新幹線

15日に、大阪の某所でずいぶん楽しいお仕事があった。

「spitzibaraさんは昨日がお誕生日だったそうです。
今日はそういえば敬老の日ですね」と紹介され、
皆さんにウケていただいた。

その翌日、ちょっと訳あって神戸に住む兄のところへ行き、
夕方、一緒に新幹線で帰ってきた。

途中、ふと思いついたように、
「お前とこうして列車に乗るの、いつ以来だ?」
兄が思いもよらないことを口にする。

そんなの考えたこともなかったけど、
言われてみれば……

あ、ほら、私の大学が決まって、
下宿探しに行くのに親がどっちも行けなくて、
にいちゃんが行ってくれた、あの時以来なんちゃう?
ってことは、あたしが18の時。

ほぉ、40年前かぁ。

いきなり、その旅行中のあれこれの場面の「映像」が
頭の中で思いがけず鮮明なスライドショーを始める。

下宿を決めた後、ホテルの近くの喫茶店で食べた
晩ごはんの「映像」まで出てくるから、びっくりする。

なんてことのないハンバーグ定食だった。
なんで、こんなのまで「映像」が残っているんだろ。

そういえば、朝、フロントからの電話でたたき起こされたよね?

おー、それ、覚えとる。
時計見たら、11時過ぎとって、びっくり。
お客様、チェックアウトのお時間でございます……。

あはは。2人して眠りこけとったねー。
電話を切るなり「お前、なんで起きんのな」って怒られたの、覚えとるわ。
今にして思えば、子ども2人が旅したわけじゃもんね。
2人とも、よほど緊張して、疲れとったんじゃね。

こっちは……25歳か。まだ大学院の学生しとったな。
世の中のことなんか、な~んも知らんかった。
そうか。あの日はもう40年も前のことなんか……。

兄がちょっと遠い目をする。

この人は、大きな病気をしてから、ずいぶん変わった。
なんというか、柔らかく、そして素直になった。

40年前、夜の広島駅に帰り着いて、ひょいと気が付くと、
私の乗り継ぎ列車は遠く離れたホームから数分後に発車予定で、
私は荷物を抱えて、必死で走った。

なんとか滑り込んで、汗みどろで喘ぎつつ窓の外を見たら、
広島市内在住なんだから上で「じゃあな」で別れてもよかったのに、
後ろを走ってきた兄がホームの階段を下りたところで、
息を弾ませながら手を上げた(まだ真っ黒い髪がふさふさしていたなー)。

あの時、
18の妹をちゃんと乗り継ぎ列車に乗せるところまでが自分の責任だと、
7つ年上の兄は思い定めていたんだろーなぁ。

髪の毛の3分の2と胃を失って65歳のジイさんになった兄の隣で、
敬老の日の前日の誕生日をもって58歳になった白髪バアさんの妹は
40年の時を経て、やっと気付く。


私たちは2人とも、笑わない子どもだった。

大人になり、それぞれに家族を持ち、それぞれの人生を生きて、
その間にはお互いのことなどほとんど意識もしない時期だって長かったけれど、
いつのまにかジイさんになりバアさんになった兄と妹は今、
それぞれに抱えた傷を互いにそこはかとなく労わりながら、
一緒に40年前の失敗を笑い合っている。

たしか私はこの人のことを
もう何十年も「アニキ」と呼んできたような気がするのだけれど、
最近いつのまにか、子どもの頃のように「にいちゃん」と呼ぶようになった。

60前になって「にいちゃん」がいるって、悪くない。
ぜんぜん、悪くない。

新幹線の窓の外は、秋の夜――。