悪魔

以下は4月9日に書き、
兄の眼に触れては、と案じて非公開のままにしていたものです。


去年から神戸と広島を往復して働きながらスキルス胃がんと闘病してきた兄が
2月から広島で寝付いていて、このところ毎週通っている。

先週いっしょに車で花見に行った時に、
これ以上は痩せようがないだろうと思うほどだったのに、
一体どこに残っていた肉が削げたのか、1週間でさらに痩せこけて
顔の中から眼ばかりがぎろりと目立つ兄が、
ベッドに沈み込んで天井を見たまま、

ずっと吐き気がして、おなかが痛くて、下痢までして、
「まるで地獄にいるみたいだ」と、つぶやく。

そして、
「地獄」と口にしたことから思い出したことがあって、
その連想をふっと自分で面白がるみたいな表情をしてから
思いがけないことを口にする。

「夢に、悪魔が出てきた」

へぇ。悪魔? 
悪魔って、どんな?

姿は見えない。
真っ暗で。
風がびゅうびゅう吹いていて。
声だけが聞こえてくる。
「捕まえたぞ」と言うから、
「なに闘ってやる」と言ったら、
「闘えるものなら闘ってみろ」と。

兄の口調には、
まだその暗闇の中に身を置いているんだろうかと思わせる、
どこか遠いところがある。

うわぁ、それ、むちゃ怖かったろ?

……こわかった。

小さな声でつぶやき、深く頷く。

しばらく夢の話をポツリポツリとしてから、
やがて、ピリオドを打つみたいに言う。

「人間の意識って、おもしろいな。
ああいう夢を見せるんだな」

「ふーん。でも、悪魔って、英語でもイタリア語でもなくて(兄はイタリア教育史の研究者)
ちゃんと日本語をしゃべったんじゃね」とツッコミを入れると、

「うむ、ちゃんと意思疎通はとれたな」と笑う。

ガイコツみたいになった兄が笑うと、その笑顔には、
ぎょっとたじろいでしまうほど壮絶なものが漂うのだけれど、
それでも病人が笑ってくれるのは嬉しい。

こんなに病みやつれて「地獄にいるみたいだ」と言う人が
それでも笑うことができる、というのは、
やっぱりすごいことだと思う。

でも正直をいうと、
兄が夢を語って聞かせてくれた時に、
私は内心ほとんど愕然としてしまった。

去年の夏の終わりに死んだ親友が、
死の数か月前に全く同じ夢を見た。

あれは去年の今頃、我が家の福祉車両に彼女を乗っけて
県北の千本桜を見に行った時じゃなかったろうか。

「私、このまえ悪魔と闘うたんよ」

彼女はそんな言い方をしたのだったと思う。

「悪魔ぁぁ?」

唐突に飛び出した「悪魔」が私にはコミカルなものにしか思えず、
つい素っ頓狂な声で応じたのだけど、彼女はマジな顔を崩さず、

「うん。夢に悪魔が出てきて、
私は捕まりそうになって、
ものすご~く怖かった」

「うわ、それで?」

「死に物狂いで闘って、抵抗したよ」

「ふうん。危ないところじゃったんじゃ。
無事に逃げられて、あんた、よかったねぇ」

「うん。もう無我夢中じゃった」

「でも、なんか、アンタらしいわ。
ムキになって闘うところが見えるような気がする」

「まあね。まだまだ捕まるわけにはいかん」

そんな会話をしながら、
親友は最後はちょっと得意そうに笑っていたけれど、

あの日、そのあとで満開の桜並木を見ながら、
「来年の桜はたぶんもう見れないなぁ」とつぶやいた。

一瞬どう答えたらいいか迷ったけど、
「来年もまた来ようよ」と返したら、

「いや、なんか、この秋か、冬……のような気がする」
「そう……。そういう気がするんじゃ……」
「うん……」

そして彼女は、その予感よりちょっと早く、
夏の終わりに逝った。

今日、夕方になって兄のところから帰る時に、
「じゃぁ、また来週来るね」
「おお。ありがとうな」

ふすまを閉める時に、
「悪魔に捕まらんようにね」と手を振ったら、

さすがにこれ以上は痩せられんだろうと思うほどに痩せこけた兄は
細くなった腕をもち上げて、手を振り返しながら、
今日一番の大きな笑顔になった。


振り返ったら、この頃が一番状態が悪かった時期でした。

この頃には、こうした濃密な会話の相手になることが
同居家族ではない私の「介護」の主たる中身だったのですが、

この後、緩和ケアがとてもうまくいって、病人がラクになり、
最近は少しずつライフワークの原稿を書いたりするようにもなって、

私の「介護」も、その校正に付き合うことが中心になっていました。

今日は朝から調子がよく、あれこれを食べることもできたものの
ふっと呼吸が危うくなった時があり、その時にも「生還した」と言ったそうです。

「悪魔が迎えにきたけど、闘って逃げてきた。生還した」と。

緩和ケアがうまくいって、とても穏やかな終末期の3ヵ月半でした。