【拡散希望】斎藤貴男『子宮頸がんワクチン事件』
パッと表紙を見た時に
タイトルに「事件」と銘打たれていることに
違和感を覚える人も少なくないかもしれない。
タイトルに「事件」と銘打たれていることに
違和感を覚える人も少なくないかもしれない。
これは、そういう人にこそ読んでほしい本だ。
広範かつ詳細な取材から得られた膨大な情報を効率的に駆使し、
冷静な表現に終始しながらも、事実の提示を重ねることによって
何が起こってきたのかが説得力を持って示唆されている。
冷静な表現に終始しながらも、事実の提示を重ねることによって
何が起こってきたのかが説得力を持って示唆されている。
ここで示唆されているのは、
事態の背景にあるものがまさに「事件」と呼ぶべき構図をしている、という事実。
事態の背景にあるものがまさに「事件」と呼ぶべき構図をしている、という事実。
どんなに権威あるジャーナルや機関から出てきたものであるにせよ
単にそこに「データがある」というだけでは、
もはや「エビデンス」とは言えない時代だということが
医療の問題は依然として保健医療の範疇の問題だと捉えている医師には
見えていないのではないか、と、いつもと同じことを考えた。
単にそこに「データがある」というだけでは、
もはや「エビデンス」とは言えない時代だということが
医療の問題は依然として保健医療の範疇の問題だと捉えている医師には
見えていないのではないか、と、いつもと同じことを考えた。
臨床実験やデータが操作され、
これまで権威ある医学ジャーナルとされてきたものまでが
ビッグファーマやその周辺の利権とつながる資本に汚染されている実態は
日本でバルサルタンが問題となるはるか前から
世界中で相次ぐ事件やスキャンダルから指摘されてきた。
これまで権威ある医学ジャーナルとされてきたものまでが
ビッグファーマやその周辺の利権とつながる資本に汚染されている実態は
日本でバルサルタンが問題となるはるか前から
世界中で相次ぐ事件やスキャンダルから指摘されてきた。
当ブログで拾ってきた主な情報はこちらにリンク。⇒http://blogs.yahoo.co.jp/spitzibara/66500488.html
バルサルタン事件まで日本のメディアが大きく報道しなかっただけだ。
前のブログから一貫して書いてきた私自身の言葉で言えば
ワクチンもクスリも最先端医療技術も、もはや保健医療の問題じゃない、
れっきとしたグローバルな政治と経済の問題だということ。
(それについての詳細は文末のリンク)
ワクチンもクスリも最先端医療技術も、もはや保健医療の問題じゃない、
れっきとしたグローバルな政治と経済の問題だということ。
(それについての詳細は文末のリンク)
この本の本文は「HPVワクチン」で統一して書かれているのだけれど、
タイトルが「子宮頸がんワクチン事件」とされている含意も深い。
タイトルが「子宮頸がんワクチン事件」とされている含意も深い。
この点は、ガーダシルが導入される際の検討の場で
HPV感染を予防するものであって子宮頸ガンを予防する効果は未検証であるとして
専門家から「子宮頸がんワクチン」とのネーミングに疑義が呈されていたことを
当ブログも拾っているけど ↓
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 1(2011/8/5)
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 2(2011/8/5)
HPV感染を予防するものであって子宮頸ガンを予防する効果は未検証であるとして
専門家から「子宮頸がんワクチン」とのネーミングに疑義が呈されていたことを
当ブログも拾っているけど ↓
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 1(2011/8/5)
日本でもガーダシル導入へ、厚労省当該部会の議論の怪 2(2011/8/5)
著者は「子宮頸がんワクチン」のネーミングを「行政発の官製」だという。
子宮頸がん予防を旗印にし、思春期の少女達をターゲットに
猛烈な勢いで政治と企業とメディアがタイアップし
矢継ぎ早にキャンペーンが張られて、
異例の速さで定期接種となった。
猛烈な勢いで政治と企業とメディアがタイアップし
矢継ぎ早にキャンペーンが張られて、
異例の速さで定期接種となった。
そこに、唖然とするほど多くのアクターたちが存在していたことが
本書で明らかにされている。
本書で明らかにされている。
なぜかHPVワクチンでは誰も問題にしない。
指摘されても、うやむやにされていく。
指摘されても、うやむやにされていく。
今の日本で、HPVワクチンに正面から取り組み、徹底取材によって、
「何が起こったか」に関する事実が詳細に提示されたことの意義はきわめて大きい。
「何が起こったか」に関する事実が詳細に提示されたことの意義はきわめて大きい。
どちらの立場に立つにせよ、この本以後、
ここに挙げられた詳細な「事実」を踏まえずに
HPVワクチンについて議論することはできないだろう。
ここに挙げられた詳細な「事実」を踏まえずに
HPVワクチンについて議論することはできないだろう。
このワクチンについて云々する人は、少なくとも、
日本の少女達の苦しみのすさまじさを、
彼女達を実際に引き受け、治療を試みてきた医師らの見解を、
また国内外で発生している「有害事象」の報告実態を、
まず知ってから考えてほしい。
日本の少女達の苦しみのすさまじさを、
彼女達を実際に引き受け、治療を試みてきた医師らの見解を、
また国内外で発生している「有害事象」の報告実態を、
まず知ってから考えてほしい。
実際、専門家の議論を読めば読むほど、
HPVワクチンの副反応については何が真実なのか、さっぱり、分からなくなる。
HPVワクチンの副反応については何が真実なのか、さっぱり、分からなくなる。
そして、真に「科学的思考」でものを言っているのは誰なのか、
真に「科学的な態度」でこの事態に取り組んでいるのは誰なのかを、
つくづく考えさせられてしまう。
真に「科学的な態度」でこの事態に取り組んでいるのは誰なのかを、
つくづく考えさせられてしまう。
多くの読者は読み終えた後、
あとがきの著者の以下の率直な語りかけに
賛同するのではないだろうか。私もその一人だ。
あとがきの著者の以下の率直な語りかけに
賛同するのではないだろうか。私もその一人だ。
少なくとも現時点では、このワクチンはわけがわからなすぎる。少女達が悩まされている症状のすべてが副反応なのかどうかはなお判然としませんが、専門家の間でさえ苛烈な論争が繰り広げられている状態では、それだけで政府が接種を呼びかけ、打つのが原則のような仕組みを整える前提を決定的に欠いているということになりはしませんか。
(p.246)
(p.246)
多くの読者が読んでいるうちに、
著者が丁寧に並べていく、この事件のアクター達をめぐる事実と発言の断片を、
あたかも、ジグソーパズルの無数のピースのように感じ始めるはずだ。
著者が丁寧に並べていく、この事件のアクター達をめぐる事実と発言の断片を、
あたかも、ジグソーパズルの無数のピースのように感じ始めるはずだ。
著者は章立てに沿って、
いくつもの事実の断片というピースを読者の前に並べてくれる。
いくつもの事実の断片というピースを読者の前に並べてくれる。
それにつれて、
それまでの章で提示されたピースと、それらのピースの一つ一つの間に
繋がりが見えてくる。「ぴたっと嵌る」ことが増えてくる。
それまでの章で提示されたピースと、それらのピースの一つ一つの間に
繋がりが見えてくる。「ぴたっと嵌る」ことが増えてくる。
この本の後半に差し掛かるにつれて、
ピースが加速度的にしかるべき場所に収まっていくと、
そこには一つの「大きな絵」が浮き上がって見えてくる。
ピースが加速度的にしかるべき場所に収まっていくと、
そこには一つの「大きな絵」が浮き上がって見えてくる。
それは恐ろしい「絵」である。
終盤の第6章「ワクチン・ビジネスの世界」
特にその最後の「ワクチン産業ビジョン」の節のあたり、ものすごい迫力だ。
特にその最後の「ワクチン産業ビジョン」の節のあたり、ものすごい迫力だ。
個人的には230ページの以下のくだりが
この本で描かれている問題の本質だと受け止めた。
この本で描かれている問題の本質だと受け止めた。
ワクチンをめぐるこれからの問題は、メガファーマや主流の医師や研究者達が強調するような「科学」に基づく議論にだけ頼っているわけにはいかない。経済のグローバリゼーションや、これに伴う国際政治、あるいは思想潮流の文脈でも検討していく努力がなければ、日本国民など何ひとつ理解できないまま主体性を奪われ、ただ支配されるだけの客体になり下げられていきかねないのではないか。
(p. 230)
(p. 230)
つまり、冒頭で書いたように、
ワクチンも最先端医療技術も、もはや保健医療の問題じゃない、
れっきとしたグローバルな政治と経済の問題だということ。
ワクチンも最先端医療技術も、もはや保健医療の問題じゃない、
れっきとしたグローバルな政治と経済の問題だということ。
そのことが、広範に取材された事実の圧倒的な積み重ねによって
くっきりとあぶりだされている。
くっきりとあぶりだされている。
ずいぶん前からHPVワクチンの背後にある構造的な問題に懸念を感じてきた一人として、
日本には極めて少なくなってしまった本物のジャーナリストの仕事に
心からの敬意と感謝を――。
日本には極めて少なくなってしまった本物のジャーナリストの仕事に
心からの敬意と感謝を――。
上記230ページの世界観や
「既に保健医療の問題ではなくグローバルな政治経済の問題」という認識については ↓
「既に保健医療の問題ではなくグローバルな政治経済の問題」という認識については ↓
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