相模原障害者殺傷事件で福島智先生が「尊厳の否定は『二重の殺人』」

福島智・東京大先端科学技術研究センター教授の毎日新聞への寄稿

「重複障害者は生きていても意味がないので、安楽死にすればいい」。多くの障害者を惨殺した容疑者は、こう供述したという。

 これで連想したのは、「ナチスヒトラーによる優生思想に基づく障害者抹殺」という歴史的残虐行為である。ホロコーストによりユダヤ人が大虐殺されたことは周知の事実だが、ナチス知的障害者らをおよそ20万人殺したことはあまり知られていない。

 一方、現代の世界では、過激派組織「イスラム国」(IS)の思想に感化された若者たちによるテロ事件が、各地で頻発している。このような歴史や現在の状況を踏まえた時、今回の容疑者は、ナチズムのような何らかの過激思想に感化され、麻薬による妄想や狂気が加わり蛮行に及んだのではないか、との思いがよぎる。

 被害者たちのほとんどは、容疑者の凶行から自分の身を守る「心身の能力」が制約された重度障害者たちだ。こうした無抵抗の重度障害者を殺すということは二重の意味での「殺人」と考える。一つは、人間の肉体的生命を奪う「生物学的殺人」。もう一つは、人間の尊厳や生存の意味そのものを、優生思想によって否定する「実存的殺人」である。

 前者は被害者の肉体を物理的に破壊する殺人だが、後者は被害者にとどまらず、人々の思想・価値観・意識に浸透し、むしばみ、社会に広く波及するという意味で、「人の魂にとってのコンピューターウイルス」のような危険をはらむ「大量殺人」だと思う。

 こうした思想や行動の源泉がどこにあるのかは定かではないものの、今の日本を覆う「新自由主義的な人間観」と無縁ではないだろう。労働力の担い手としての経済的価値や能力で人間を序列化する社会。そこでは、重度の障害者の生存は軽視され、究極的には否定されてしまいかねない。

 しかし、これは障害者に対してだけのことではないだろう。生産性や労働能力に基づく人間の価値の序列化、人の存在意義を軽視・否定する論理・メカニズムは、徐々に拡大し、最終的には大多数の人を覆い尽くすに違いない。つまり、ごく一握りの「勝者」「強者」だけが報われる社会だ。すでに、日本も世界も事実上その傾向にあるのではないか。

 障害者の生存を軽視・否定する思想とは、すなわち障害の有無にかかわらず、すべての人の生存を軽視・否定する思想なのである。私たちの社会の底流に、こうした思想を生み出す要因はないか、真剣に考えたい。