朝の公園で、ブログの終わりを考えた

朝のウォーキングについては
前のブログの以下のエントリーなどで書いているので、



たまに朝ごはんの後に近くの公園へウォーキングに行くようになったのは
かれこれ10年近く前のことなのかもしれない。

それなら、ブログを始めてまもなくということになるので
もしかしたらPCの前に座る時間が圧倒的に長くなり、
その運動不足解消で始めたことだったのかもしれない。

とはいえ、
ここ4年ばかりはエスキー・テニスを始めたり、
そのうちカーブスにも行くようになって、
ついつい朝のウォーキングはサボりがちだったし、
もともと夏と冬の盛りには長いこと休んでいた。

このたびブログをやめることに決めてから、
これからは日々をゆったりと暮らしていこうとすっかり「老後」気分で、
またぞろ気が向いた日には朝のウォーキングに出かけてみている。

久々に出かけてみて、「うわー」と思うのは、

朝の同じ時間帯に公園までの経路ですれ違う人や、公園で見かける人の顔ぶれが、
何年も前に頻繁に通っていた頃とあまり変わらないこと。

いつも同じ時間帯にほぼ同じ場所ですれ違っていた、
バシッと全身をアスレチック・ウェアで固めて仲良く歩いておられたご夫婦が、
奥さん一人になっていて、あれ、どうされたんだろう、と思ったら、
翌日にはご夫婦揃って歩いておられるので、他人事ながら安心したり。

入り口の坂道付近でいつもすれ違っていた方が、
やっぱり同じ坂道を向こうから下ってこられて「あ、あの人だ」と思うのと同時に
向こうも私に目を止めて「お?」という気配を漂わせて、
でもまぁ、だからどうだというわけでもないから、
何年も前と同じようにお互いに軽い会釈だけで擦れ違っていったり。

いつも公園の決まった場所で
ラジカセから流れる音楽に合わせて社交ダンスの練習をしていた男性は
ラジカセがスマホに、社交ダンスがヘンテコな前衛(?)ダンスに変わったものの
今も同じ場所で同じことをしておられるので、「おー。お元気で何より」と
私はつい胸のうちでつぶやいたり。

そんな中で、
あぁ、時が過ぎたんだなぁ、と
とりわけ感慨深かった方が、おふたり。

お一人は、
ちょっとメンタルに弱いところを抱えておられるのかなぁ、と見えていた、
私よりもちょっとだけ年上らしい小太りの女性。

無表情で、いつも布製の袋を手にさげて、
左右に身体を揺さぶりながら歩く人だった。

どこで見かけても、人とすれ違いそうになると、
そのちょっと手前のところで、ふいっと迂回して道を逸れていく人だった。

朝の公園でウォーキングする人の中には
すれ違ったり追い抜いていく時に「おはよーございます!」と
知り合いでもない誰彼に元気よく挨拶する人が沢山いるし、
その他、ちょっと頭を下げていく人や、まるで他人に構わず行動する人や、
当たり前ながらいろんな人がいて、

自分は他人にどういうスタンスをとるか、
それぞれ違う対応をしてくる人にどう返すか、
考えていたら結構めんどうくさくはある。

他人とすれ違わねばならん手前で迂回してしまいたい気持ちというのは
私にもとってもよく分かった。

ただ、わざわざそういう行動をとるエネルギーもないから
その日その場の気分で適当に流しているだけで。

その女性は、今も同じ時間帯に公園を歩いていた。

そして、やっぱり人とすれ違いそうになると、
すうっと迂回していかれるのだけど、

その人の上にも時が経ったんだなぁ、と感じたのは、
まず、前よりもずいぶん、ほっそりとしておられること。

それから、いつも手にぶら下げていた布製の袋が、
ちょっとオシャレな皮製のバッグに変わっていたこと。

なんとなく全体から受ける感じがちょっと明るくなられたかな、、
いくぶんか元気になられたんじゃないかなぁ、という印象だった。

もう一人は、もう少し高齢の女性。

前は公園に行くたびに、
スキーのスティックみたいな杖を2本使って、そろそろと辛抱強く、
遊歩道を何周もしておられる姿を見かけた。

時にはお嫁さんなのか娘さんなのか、
中年女性に付き添われていることもあった。

いつも私が着いた時にはもう歩いておられて、
私が帰る時にも、まだ歩いておられた。

おととい、私がそろそろ帰ろうかと考え始めた時に、
向こうから坂道を上がってきたと思うや、
広場でたむろしている数人のジイさんたちに向かって、
にこやかに「おっはよーござーまぁーす」と声を張り上げ、
高々と手を振る、美人のおばあさん……。

……って、もしかして、
いや、紛れもなく、あの人なんでは??

手に杖はなく、普通に歩きながら
めっちゃ大きな笑顔と、めっちゃ明るい声で。

うわー。
やっぱり、ずいぶん長い時が経ったんだなぁ……。

こうして朝、この公園にやってきて
それぞれの思いを抱えて歩きながら、
それぞれの人生を懸命に生きておられたのだなぁ、と
胸に沁みてくるような感慨があった。

もちろん、前は毎日のようにここへウォーキングに来ていたけど、
今はもう来なくなった人や、来たくても来れなくなった人だって、
幾人もおられるのだろうし、

そういう人たちは姿が見えないから「ああ、そういえば」と思い出すこともなく、
「いない」ことが私に見えなくなっているだけなのだけど、

そういうことも含めて、
それぞれの人の上にそれぞれの時間が流れたということでもある。

たとえば、さっき坂道ですれ違って「お?」という気配を見せた方のように、
私のことを「ずいぶん前に時々きていた人だ」と覚えてくれている人がいたら、
やっぱり今の私を見て、年月が経ったなぁ……と感じられるんだろうか。

それは、どういう年月として、目に映るんだろうか……。

朝の公園で、そんなことを思いながら、
10年間やってきたブログの締めくくりを考えた spitzibaraです。

2つのブログで出会って親しくさせていただいた方々と、
いつかまた、どこかで、そんなふうに再会できたらいいなぁ、と思っております。

それを楽しみに、今はここで一区切りといたします。

(拙著の注に挙げているエントリーも多数あるので、
これまでのエントリーは公開のままにしておくつもりです。
コメント欄をどうするかはまだ決めかねているのですが、
これまでのように即応でお返事はできなくなるかもしれません)

10年間たいへんお世話になり、ありがとうございました。

そろそろブログを終わりにしようかと考え始めたところで
思いもよらない残念な「事件」に見舞われ、一時は
私のブログなど所詮は学者や研究者の方々にとっては
無料でせっせと情報を収集してくれる都合のよい「下働き」でしかなかったのか、と
卑屈な気分に沈んだこともありましたが、

そんなことは私自身がブログで何をやってきたかということとは無関係な
何でもないことだと、本当は自分でちゃんと分かっている……と
浮上してくることができたのを始め、

なによりも、こうして
私自身にとってブログを通じて得たものは他の何にも変えがたい人生の宝物だと
感じながら区切りにできるのは、

ブログで知り合い、親しくおつきあいをいただいて、
ずっと昔からの友人とも感じられる、皆さんのお陰です。

このエントリーを書くために、
もうすっかり忘れていた冒頭リンクの「早朝の公園にて」というエントリーを読み返し、
2つのブログで訴えたかったことは、まさにそこで書いたことに尽きるなぁ、と感じました。

60代をそんなふうに過ごしていけたらいいなぁ、と改めて思っています。
よかったら、リンクから読んでいただけると嬉しいです。

本当にありがとうございました。

また、いつかお会いしましょう。
どうぞ、お元気で。