ERまで“人工冬眠”療法の実験場に? 「インプライド・コンセント」という名のIC不要論




というか、私の身の上としては、実はこっちの方が
4月22日のエントリーの“ぐるぐる”に先立って起こった出来事だったのだけれど、

昨日のエントリーで書いたビーチャムらの論文を読んで「うへぇ」と唸った直後に、
ある方からお知らせいただいた情報が、なんと、こちらのニュースだった。



偶然の中には、時として、こんなふうに
誰かが空の上から仕組んでくれたとしか思えないようなのが混じっているから、不思議。

なんとなれば、
ここで報告されているピッツバーグ大学の“人工冬眠”救命医療研究での
IC省略の正当化概念「インプライド・コンセント(黙示の同意)」と、その実施方法とは、
まさに上のビーチャムらの論文が言っていた streamlined consent processそのもの!

その点はおいおいに説明するとして、

まず、この日本語記事。
タイトルは、「救命医療始まる」となっているけれど、実は、

銃で撃たれた、もしくは刃物で刺された被害者が心停止状態で運び込まれた場合に、
患者の身体を摂氏10度まで下げ、“緊急保存”の仮死状態にすることによって、
外科処置による“ダメージコントロール”の時間を稼ぎ、救命率を上げることを狙う、
新しい救命法の研究の話題。

ピッツバーグ大がやろうとしているのは、
この超低体温療法と、冷却しない通常の心肺蘇生法と手術との生存率の比較研究。

共に10例ずつやって、良い結果が出れば、
さらに手順を改良して、もう10人ずつ比較するとのこと。

ただ記事では、同病院に条件に当てはまる患者が救急搬送されてきたら
「どの患者に対しても」この超低温療法を行うと書かれているので、

ピッツバーグ大ではもっぱらこちらの新療法をやり、
研究に参加する他の病院での従来の救命措置との間で
生存率の比較をする、ということなんじゃないかと推測。

だから正確には
「臨床研究始まる」とタイトルを打つべきニュースなわけだけれど、

ここで、問題になるのが
こういう事態に陥ってピッツバーグ大に救急搬送されると
自動的にこの研究の「被験者にされる」患者さんからのIC。

意識を失った心停止状態の患者からはその状況上、インフォームドコンセント(治療法について理解した上での同意)を得ることができないため、研究の実施に際しては倫理的な問題も懸念されうる。しかし、アメリカ食品医薬品局FDA)は、生命に関わる緊急事態の場合はインフォームドコンセントの適用除外とすることを許可している。ピッツバーグの研究に関わる医師たちも、周辺の地域社会でタウンホールミーティング(対話集会)を何度も実施し、研究内容を説明することで、さらにインプライドコンセント(黙示の同意)の準備を整えた。また、プロジェクトへの参加を望まない人たちには、ブレスレットをつけてその意志を表明する選択肢も用意している。


ここの後半に書かれている手続きが
ビーチャムらの論文が言っていた streamlined consent process の
当該の実験が進行している地域に対して
その実験の詳細と共にそういうことが行われている事実を広報し、
イヤな人はオプトアウトできる道筋をつけておくことによって、ICを省略する、
というところと、ぴたりと重なる。

ビーチャムらは正当化のために、それ以前の段階として
この比較研究が患者のICを省略してもよい種類のものかそうでないかの仕分け判断を
患者を参加させた委員会で検討すると言っていたけれど、
ピッツバーグ大では(この記事からは)その手順は存在していない様子。

その代わりに持ち出されてくるのが
インプライド・コンセント(黙示の同意)という概念。

Implied consentで検索してみたら、法律用語で、例えばこちら ↓
http://legal-dictionary.thefreedictionary.com/Implied+Consent

分かりやすい例として挙げられているのは

車のキーをつけっぱなしておく習慣がある人は、
車を盗まれても「自分以外の人が運転することに
同意したも同然の態度を取っていた」ということになる。

自分の住んでいる州や国とは違う場所でビジネスを行う人は
その州や国の規則や法律に従う暗黙の同意をしている、など。

他のサイトの例では、運転免許を取ったら、それは
呼気テストを受けることに暗黙の同意を与えたことになるので、
警察にとめられて呼気テストを拒んだら逮捕される可能性がある、とか、

レイプ事件で、事件発生までに被害者がどのような態度を取っていたかによって
そこにインプライド・コンセントが認定されるかどうか、といった話も。

上記サイトの最後に引用してある米国法律辞典だかの説明では
「直接的にはっきりと明示的な言葉で同意が発せられていなくても
理にかなった思考をする人なら同意が与えられたと考えるであろう周辺状況がある」。

ただ、何箇所かのサイトをざっと眺めた範囲では、
医療にこの概念を適用するような事例は見つからなかった。

そこで、すごく疑問に思うのは、
こうした法律概念である「インプライド・コンセント」が
医学研究の被験者の自己決定にまで適用されることの可否は
どこかできちんと議論された上で「可である」との結論が得られているんだろうか?

それから、もう一つの疑問は
FDAの「緊急時のIC省略の特例」についても、
そこは、すでに定着した通常の医療の範囲がその前提とされているはずで、

「うちの病院に搬送されてきた人はすべてこっちの実験的治療の対象」とすることまで
果たしてそこに織り込まれているんだろうか。

この実験的救命方法が従来の救命方法よりも救命率が高いことは未確認だし、
なぜか記事では「救命率が低い」可能性や、この新方法のリスクについては一切触れていないけれど、
それらの可能性だって考えられないわけではないのでは?

(「医療の不確実性」が「医療の確実性」に置き換えられることによって
「患者の自己決定権」が操作され始めている、という仮説をめぐる4月22日エントリーの“ぐるぐる”と、
この問題が関連してくる所以がそこにある)

さらに言えば、
ビーチャムらが議論の対象としていた比較効果研究CERは
医療現場で従来の医療として行われてきた治療法の間の比較研究だったのに対して、

ピッツバーグ大の研究は、
従来型の治療法と、新しく開発されている実験的治療法との間の効果の比較研究だから、
本来なら、CER以上に慎重が求められるはずなんでは?

そもそも、タウンミーティング数回で周知できるとも思えないし、
ほとんどの人はそういう事態に遭遇する可能性にリアリティは感じないから
そんなわずかな可能性に備えてわざわざブレスレットなどつけるわけはない。

つまり、この場合、implied consentは、
決して informed と形容できるconsentにはなりえない、と思う。

ところが、そこでIC省略の正当化のために用意される手続きが
CERとほとんど同じ。

……ということは、一体どういうことなのか。

当該地域において一定の広報活動をして、
おざなりなオプト・アウトの選択肢さえ作っておけば、ICは省略してもよい、という方向性が、
米国の医療研究の界隈に生まれ、広がりを見せてきている、ということなのでは?

そして、もちろん、その背景にあるのは、
医療経済の要請や、グローバルな先端医療の研究競争と利権の争奪合戦。
 

そういえばピッツバーグ大といえば、
森岡正博氏が「先進国に見る荒涼」と呼ぶ
人為的心臓死後臓器提供DCDの「ピッツバーグ方式」を作ったところ。

その後、同大ではそのDCDをERで「試験的に」解禁している ↓
「脳死でなくても心停止から2分で摘出準備開始」のDCDを、ERで試験的に解禁(米)(2010/3/17)

こちらのエントリーには
ERでの臓器摘出は禁忌とされてきた背景には、
ロジスティックの問題(人員の確保や移送、移送時間?)とともに
救命行為と臓器保存行為との利益の衝突が倫理問題となることがあったと
指摘されているんだけれど、

この時の記事に引用されている移植医の正当化論は
「せっかく提供意思がありながら、死ぬ場所がたまたまERだったというだけで、
その意思を生かせない人が出てくるので、そういう人を help してあげるためにも、
臓器を待っている患者さんを help してあげるためにも」。

ビーチャムらの論文の論旨にしても、
医学研究が進むことが患者(全体)の利益なのだから、
(個々の患者に及ぶ)リスクがわずかなら、
患者さんを早くhelpしてあげられることを優先して、ICは不要に。

こうして、あーだこーだの屁理屈を並べては「患者さんのため」を装った議論によって
あたかも「倫理問題」がクリアされたかのように装われていく。

そうして、ERまで含めた医療現場が、
最先端医療を含めた医療研究の臨床実験場へと転じていく……んだろうか……。