高谷清『支子-障害児と家族の生』



この本を読む前後には
重症障害児者と家族と医療をめぐって濃密な体験がいくつもあり、
その余韻や、体験(or 問題)の一部は現在も続いているので、

この本を読んで考えていることも多岐に渡って
またそれぞれが私にとっては深刻な問題であったりもして、

この本のエントリーを書く際には
それらをある程度整理して書けないかと思いながら、
結局はずっと書けずにきてしまったので、

明日から3日間の出張に出ることを思えば、
このままになってしまうのも残念だし、

欲張らず、
どうしてもメモとして残しておきたいことだけで以下に。


本書は、第一びわこ学園の医師だった著者が
関わってきた障害のある子どもや家族に聞き取りをした内容をまとめたもの。

聞き取りは8つの文章に章立てされていて、一つひとつに、
障害の周辺で一人の人が惑いながら、痛みながら、
その人なりの人生を生きる(そして中には死んだ人も)姿が浮き彫りにされ、
それぞれの人の言葉の重さ、
特に「予感」の章のひとしくんのお母さんの
感性と洞察の深さには圧倒される。

また著者の聞き取りの姿勢の細やかさと同時に、
これほどの聞き取りを可能にした医師と当事者との信頼関係にも驚嘆する。

というか、
9月の重心学会での高谷先生の基調講演については、
その学会のシンポでの私の発表内容をアップしたこちらのエントリー
コメント欄でちょっと書いたように、

私が
「医師は子どもたちが生活している場に『来る人』であって『いる人』じゃない」
という話をしようと思っていたところ、
基調講演を聞いてみたら、なんと高谷先生は「いる人」であり、
「いる人」だからこそ分かることがあったのだった……ということがあったのだけれど、

この本を読むと、さらに同じような「発見」がいくつもあって、

「医師にとって意思決定は『点』の問題であり『医療』の問題、
親にとっては『線』の問題であり『親子の人生』の問題」とも言わせてもらったのだけれど、

その「線」のところに、高谷先生は
こういう聞き取りの努力によって寄り添おうとされていたのだな、と、
学会の直後に読んだだけに、そのことが何よりも心に響いた。

その意味では、私には「まえがき」に決定的なインパクトがあった。

なにしろ「まえがき」の書き出しは

 重症心身障害児施設(病院)である第一びわこ学園で障害を持つ子を診察してきて、その子を育てている家族や関わっている人の話を聞きたいと長年思ってきた。
(p.2)

けれど、診察では限られた時間で

……とてもその障害を持つ子(成人の場合も多いが)の生活している状況や環境を聞いたり、まして家族の方がどのような気持ちで育てられ、何を悩み何を考えておられるかということを聞くことはとうていできない。
(p.2)

それで10年前に「聞き取り」を始めたけれど、

……しかしそのときは忙しかったというより、私自身にそういったことを聞く力が内部に育っていなかった。いったん中止して時期を待っていた。いまもまだまだ私の聞き取る内面の力は育っていないし不十分であるが、「十分である」ことを待っていてはそのときが来ないようにも思えるので、思い切って私の知っている方にお願いをして「聞き取り」を始めた。
(p.3)


重心学会の前後の数ヶ月間の個人的な体験のあれこれから
(その中には学会とは全く無関係な体験もあるわけですが)

もちろんすべての医師がそうだということではないけれど、
ドクターの多くは自分を「成長途上」とか「変容すべき存在」とはみなさず、
現在の自分のままで「完成形」と捉えている人が多いのではないか、

「完成形」だから
「医師も医療も変わる必要はない」のが前提になっていて、
だから患者や家族から「変わってほしい」という声が上がると
脊髄反射的な反発になるし、

今の自分をそのまま「完成形」として全面的に相手が受け入れるか
それとも受け入れないか、というオール・オア・ナシングの構えになるのではないか、

これも一つの出会いであり、関係性である以上は
互いにやりとりする中から互いから学んだり変わっていける可能性とか、
そうやって互いに時間をかけて信頼関係は「築く」ものという捉え方に
なりにくい要因のひとつがそこにあるのではないか……

……みたいなことを考え続けていたので、
(この「考え」そのものが未だ「発展途上」であり「進行形」であって、
決して結論として「主張」しているわけではありません)

今から20年近く前の高谷先生が
「今の自分には聞く力が育っていない」から
しばらく「時期を待って」みようというふうに、
「発展途上」という自己認識をもたれていたということに、唸った。


ところで、タイトルの『支子』については、
嫡子ではなく庶子を意味する言葉。
本流ではない、もしかしたら邪魔者扱いかもしれない、庶子

しかし、「支」には「いしずえ」「ささえる」という意味もある。

 障害児者は人類の本流とは思われていない。あくまで支流であり、存在しているから仕方がないが、いないほうがよいくらいに思われている。しかし私は障害児者やその家族、関係ある人とつき合ってきて、また人類や生物の歴史を学んできて、障害児者が身近な人を支え、癒していくことと、人類の「いしずえ」であり、人類を「ささえ」ていることも知ってきた。
(p.4)


この視点は、最後に付記されている「流された水蛭子はどうなったか」
(1995年に『看護実践の科学』誌の連載の一部の再掲)で書かれていることのポイントにも
通じていく。

そのポイントとはこちらのエントリーのコメント欄で私が要約してみた箇所を引っ張ってみると、

蛭子を流したエピソードの中には男尊女卑と障害児を流すという行為が見られるけれど、
これは事実とは反している、と。当時の世の中では女性の地位は決して低くはなかった、
大和朝廷の全国統一で「国家」の支配・被支配の関係が生じる中で、
女性の地位を低め障害児を棄てるという方向が意図された、
それを記したのが『古事記』なんだ、と。


それから、もう一つ、
シンポで私が言わせてもらったことの中に、
医師にとっては「医療の中に生活がある」のに対して、
本人と家族にとっては「生活の中に、その一部として医療がある」ので、
そこに基本的なギャップがあると思う、ということがあったのだけれど、

次のくだりを読んだ時に、
あー、やっぱり、ここのところがまさに高谷先生だなぁ……と、つくづく嬉しかった。

……退行性疾患の医療看護やリハビリテーションについては、まず「進行を遅らせることを目的とする」というようになっているのではかろうか。このことは間違いではないが、具体的なとりくみの中では間違うおそれもある。つまり、退行を遅らせるということを第一目的にするために、訓練や感染防止などだけを考え、他のことを犠牲にし、生活環境を制限したり、生活の楽しみを奪ったりして、その結果生きる意欲をなくしてしまうことになって、むしろ「進行」を早めてしまうことさえ起こりかねないということがある。
 私はもっとも大事なことは「快適な身体状態を保つ」「快適な生活をする」「快適な精神状態である」などではないかと思う。そしてそのことが「退行」を遅らせることになるのだろうと思う。
(p.21)


これは退行性疾患に限らず、
「医療」と「生活」のせめぎ合いという、重症児者医療の本質的な問題だと思う。

高谷先生は岩波の『重い障害を生きるということ』でも
同じことを別の表現で書いてくださっていて、
それについてはこちらのエントリーで書いているけれど、

そうかぁ、こんなに以前から、こうした視点をお持ちだったのだなぁ、と。


それにしても、「いる人」と「くる人」の問題にしても、
なぜ高谷先生にはできることが多くの医師にはできないのだろう。
では、どうしたら、多くの医師に『いる人』になってもらえるのだろう。

上の退行性疾患の「進行を遅らせる」ことをめぐる、
「医療」と「生活」のせめぎ合いと、
患者の状態に対する、より全人的な捉え方という
稀有な視点についても、

なぜ高谷先生はこの視点がもてて、
他の多くの医師にはもてないのか――。

そこの違いを生むものは何なのか――。

私には、そういうことが、とても気になってくる本だった。