「地域医療ジャーナル」8月号に、アシュリー事件について書きました

ウェブマガジン「地域医療ジャーナル」8月号
「集うことの意味」が刊行になりました。



私はこの回が記者デビューとなるので
自己紹介を兼ねて「アシュリー事件をご存知ですか?」という記事を書きました。

このブログに来てくださる方々は事件についてはすでにご存知の方が多いと思うので、
さびのところから一部、抜粋。

「重症児なのだから、どうせ人間らしい反応などないのだろう」「どうせ重症児なのだから、何も分からないに決まっている」 そんなステレオタイプな思い込みがいったんできあがって しまったら、それとは違う現実(たとえば表情豊かなアシュリーの写真)を目にしても、自分の中にあるステレオタイプを現実の上に投影して見てしまうのが、人間の認識というものの落とし穴かもしれません。そして、その認識の落とし穴が、同時に、主治医の論文と父親のブログの内容の齟齬や、それが本当は何を意味しているかをも見えなくしたまま、「議論」は本来向かうべき問題のありかではなく筋違いの方向に流されていくように思えました。

 このあたり、このジャーナルに集っておられる先生方がEBMによって解きほぐそうとしておられる事態に通じていくものがありはしないでしょうか。「それっぽい」イメージや、空疎な権威や、人々の思い込みや偏見や「そうあってほしい」願望や、時には「愛」や「献身」や「努力」の美談という煙幕が援用されつつ、論理性を欠いた「議論」でもって、事態が一定の方向へと流されていく……。


実は、この記事を書きながら、私がアシュリー事件に際してやった作業って、どこかEBMに通じていくのではないかしら……という気がしてきました(ちょっと強引でしょうか? 笑)


先輩記者の方々の8月号の記事は

睡眠薬抗不安薬への依存にはどんなエビデンスがありますか?」
「ビタミンサプリメントの有効性~サプリメントが効くとはどういうことか~」
「かぜ薬にはどのくらいの効果がありますか?」
「非薬物療法について」
「告知:医療者と医療者ではない人のための勉強会」
「編集後記」



ちょっと気が早い予告ですが、来月9月号の記事は
面白い体験が身辺にあったものですから、
書かずにいられず、実はもう書いていて、
今のところ以下のタイトルを予定しています。

「患者が症状を説明する言葉は、なぜ、そのまま医師に届かないのでしょう?」


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