「地域医療ジャーナル」に「『無益な治療』論とDNAR指示」を書きました。
「無益な治療」論を
「患者や家族の決定権」と「医療職のインテグリティ」との対立と捉え、
米国、カナダ、英国の無益論関連の事件と議論を振り返りつつ、
「患者や家族の決定権」と「医療職のインテグリティ」との対立と捉え、
米国、カナダ、英国の無益論関連の事件と議論を振り返りつつ、
12月に出た日本集中治療学会の「DNAR指示のあり方についての勧告」から
入院・入所時の「緊急時」の意思確認の慣行(日本型POLST)を含めた
日本の「無益な治療」論の問題についても指摘したものです。
入院・入所時の「緊急時」の意思確認の慣行(日本型POLST)を含めた
日本の「無益な治療」論の問題についても指摘したものです。
この本では、「無益な治療」をめぐる議論の論点とは、本質的には「誰に決定権があるか」という対立であること、言い換えれば「医療専門職のインテグリティ」をめぐる論争であることも指摘されています。実際、最小意識状態の患者からの生命維持中止をめぐって争われたカナダの「無益な治療」訴訟でも、医師側から「生命維持中止に患者や家族の同意が必要だなんて言っていたら、医師は責任ある医療はできない。仮にそれが患者の望みに反していたとしても、患者の最善の利益を判断するのは医師の責任である」という反論が出ていました。医師らはまさしく医療専門職のインテグリティを守るために提訴しているわけです。
どこの国でも財政が逼迫し医療費削減の必要が喧伝される中、何を「無益」とするか、それを誰が決めるか、という倫理問題の議論では、今後はさらに医師のインテグリティと患者の決定権とが対立していくことでしょう。「対立させられていく」と表現するほうが正しいのかもしれません。
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