CMJに「お医者さんたちの『まさか?』な死に方から『人を癒せる医療』に必要なものを考えてみる」を書きました



7月30日のメモで拾ったWPの記事、
”The Sobering Thing Doctors do When They Die”から話を起こして、


以下のようにまとめてみました。

冒頭のWP記事タイトルにある「お医者さんたちの『まさか?』な死に方」にこそ、私はお医者さんたちが患者を「fixすべき問題を抱えた人体」として診つつ、同時に「人」としてケアし癒すことのできるポテンシャルが潜んでいるような気がします。

 フィッシャー医師がいうように、「我がこと」としての死に怯える「医師もhuman」なのであればこそ、ひるがえって「患者だってhuman」であることが許容されるのではないでしょうか。ともに、医学の論理だけでは割り切れない人生の一回性や関係性を生きるhumanであってこそ、そこに温かく懐の深い、人を癒すことのできる医療があり得るのではないでしょうか。


「癒し」にこだわっているのは、
「地域医療ジャーナル」が来月、秋の特別企画として
「医療は人を癒せるのか?」という特集号を予定しているとのことなので、

この時に何を書こうかと数ヶ月前から考えているうちに、
このところ毎号、つい「医療と癒し」について患者の立場から書いてしまうのであります。



個人的な体験を中心にした記事を書きました。

今回の9月号は、それらを踏まえて、
すでにもう「とりまとめ」の回のごとくに力がこもってしまったので、

後で考えたら、
これは10月の特集号にお取り置きしておけばよかったのに……と
ちょっと悔やみつつ、

じゃぁ私は来月号には一体なにを書けばいいの……? と
かなり不安になってもいるのですが、

もう出てしまったので、やむを得ません。

これから次の締め切りに向けて、頭をひねります。

10月の特集号本番では、
Spitzibaraは、医療職の方々に向かって
さらに言い難いことを、またもズケズケと書いてしまうのでせうか……(冷汗)