「PAS合法化されていない州の人のため、VSEDにガイドラインを」とQuill医師
15日に以下のエントリーで紹介した論文は
同時に他の2本とあわせて掲載になったものだったので、
ちょっと間が開きましたが、その2本を読んでみました。
同時に他の2本とあわせて掲載になったものだったので、
ちょっと間が開きましたが、その2本を読んでみました。
終末期の人工的栄養の拒否と自殺であるVSEDとは区別を、と看護師の論文(2015/9/15)
15日のエントリーで紹介したJansen論文のタイトルが以下だったのに対して、
「自発的飲食停止(VSED)、医師幇助自殺(PAS)、それとも人生の最終段階でどちらもなしで? PASはNO。VESDは状況次第」
「自発的飲食停止(VSED)、医師幇助自殺(PAS)、それとも人生の最終段階でどちらもなしで? PASはNO。VESDは状況次第」
Quill医師はもともとPAS合法化推進論者として有名な医師で、
Quill医師はじめとする推進派がVSEDを巡って主張するところが
簡潔に纏められたビデオがこちら ↓
NYTビデオ「死ぬ権利?」(2015/3/24)
Quill医師はじめとする推進派がVSEDを巡って主張するところが
簡潔に纏められたビデオがこちら ↓
NYTビデオ「死ぬ権利?」(2015/3/24)
この時に私自身の言葉で纏めてみたのは、以下 ↓
終末期の緩和ケアの技術は向上してはきたが、
それでも苦痛をとり切れない人は存在する。
PASが合法化されていない州に住むそういう人々は
現在では自分の死に方をコントロールするにはVSEDしか方法がない。
だから、全州で合法化すべきでは? という論調。
それでも苦痛をとり切れない人は存在する。
PASが合法化されていない州に住むそういう人々は
現在では自分の死に方をコントロールするにはVSEDしか方法がない。
だから、全州で合法化すべきでは? という論調。
この論文も、
60歳のがん患者の男性がPASを希望したが
NYでは合法化されていないために、
医師としては代替手段としてVSEDを提案するしかなく、
患者自身はあくまでもPASを望み、納得できないまま
「最後の最悪の手段」としてVSEDを選ばざるを得なかった
というA・A氏の事例に沿って、上記のとおりの主張が行われて、
60歳のがん患者の男性がPASを希望したが
NYでは合法化されていないために、
医師としては代替手段としてVSEDを提案するしかなく、
患者自身はあくまでもPASを望み、納得できないまま
「最後の最悪の手段」としてVSEDを選ばざるを得なかった
というA・A氏の事例に沿って、上記のとおりの主張が行われて、
VSEDにもPADと同じくガイドラインが作られるべきだ、と結論付けられるもの。
それはつまるところ、
PASの一環としてVSEDを扱うべきだという主張では?
PASの一環としてVSEDを扱うべきだという主張では?
興味深い点として、Quill医師は冒頭で、
PAS(physician assisted suicide)ではなくPAD (physician assisted death)という
表記を推奨する理由を述べており、それによると、
医師が処方した毒物を飲んで死ぬことは「自殺」ではなく、
患者にとっては自己破壊というよりもむしろ自己保存のための行為なのだ、と説いている。
PAS(physician assisted suicide)ではなくPAD (physician assisted death)という
表記を推奨する理由を述べており、それによると、
医師が処方した毒物を飲んで死ぬことは「自殺」ではなく、
患者にとっては自己破壊というよりもむしろ自己保存のための行為なのだ、と説いている。
それから、非常に気になったのは、
VSEDに際してA・A氏は早期から鎮静されたのではないかと思われる以下の下り。
VSEDに際してA・A氏は早期から鎮静されたのではないかと思われる以下の下り。
…… We maintained pain relief with a concentrated opioid infusion and kept his mouth as moist as possible. Family and friends said goodbye, and he gradually became sedated and died 10 days later.
ここには、
本人が自発的に飲食しない決断をしたことを表看板にかかげ、
VSEDへの医師による緩和ケアの介入という口実で、
とても危ういリスクがチラついているような気がするのだけど?
本人が自発的に飲食しない決断をしたことを表看板にかかげ、
VSEDへの医師による緩和ケアの介入という口実で、
とても危ういリスクがチラついているような気がするのだけど?
あるいは、自己決定は前提としても
結局のところ英国のLCPで起こった「さっさと鎮静、そのまま脱水死」というケアへの
すべり坂が見えるような?
結局のところ英国のLCPで起こった「さっさと鎮静、そのまま脱水死」というケアへの
すべり坂が見えるような?
LCPで起こったことについては ↓
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機械的適用でNHSが調査に(2012/10/28)
英国医師会が「LCPには機械的適用の問題あり」(2013/6/29)
LCP報告書について、シノドスに書きました(2014/1/10)
“終末期”プロトコルの機会的適用で「さっさと脱水・死ぬまで鎮静」(英)(2009/9/10)
「NHSは終末期パスの機会的適用で高齢患者を殺している」と英国の大物医師(2012/6/24)
英国の終末期パスLCPの機会的適用問題 続報(2012/7/12)
LCPの機械的適用でNHSが調査に(2012/10/28)
英国医師会が「LCPには機械的適用の問題あり」(2013/6/29)
LCP報告書について、シノドスに書きました(2014/1/10)