世の中はこういう話に満ちている……けど

たぶん、5年くらい前のこと。

某出版社の編集者の方からメールで連絡をいただいた。

ブログを読ませてもらったが、
アシュリー事件について本にする気はないか、という内容だった。

それまでも
一緒に論文を書かないかというお誘いを
研究者の方からいただいたことは何度かあって、

でも、まだ動いている事件について、
まとまった書きものにするのは時期尚早という感じがしてならず、
そのたびに、お断りしていたのだけれど、

そのメールをもらった頃には、事件の展開も一区切りの観が漂い、
私自身も、ブログでやってきたことをそろそろまとめてみようかと考えるようになっていたので、

お話を聞いてみたいとお返事をした。

そして、電話がかかってきて、
そこで「聞いてみた」「お話」とは、

アシュリー事件はとても重大な問題を含んでいるので
ぜひとも本として出版して、広く社会に問題提起したい。

そのために、あなたは事件の事実関係を書いてくれればよい。
事件を論評するのは、誰か名の売れた学者にやってもらう。

ついては、あなたの方で、
この事件に興味関心のある有名どころの学者の心当たりはないか――。



――世のなかには、こういう話が満ちている。

(結局、その時は、私はお考えのお仕事の任ではないと思う、とお断りした)

そもそも、こんなしょーもない何年も前の出来事をエントリーに書いているのは、
またぞろ似たような事態に遭遇して、多少ムカついているからでもある。

でも、さすがに、あの時ほど腹が立ちもしないし、傷つきもしないのは、
この間に、私が体験的に知ってきたからなのだろうと思う。

世のなかには、
「誰が言っているか」ではなく
「何を言っているか」で物事を判断する人だって、ちゃんと満ちているし、

そういう人たちと出会うことだってできる、ということを――。