米国の研究者らから731部隊の非道な人体実験に、道徳的修復行為の提案3つ

昨日の「臓器提供安楽死」の論文を探しにジャーナルのサイトへ行った際に、目に付いたもの。

米国の哲学者らが、
日本の731部隊の非道な人体実験が総括されていな問題をめぐり、
道徳的修復行為を3つ提言している。

(1) 適切な説明と自発的な同意なしに人体実験を行わないとする
国家レベルの方針を日本に作ること。

(2)731部隊の犠牲者の記念碑を作ること。

(3)米国が731部隊のデータを利用した事実の公開と、
   加害者たちの責任を問わなかったことへの謝罪。


アブストラクトは以下。

Unit 731, a biological warfare research organisation that operated under the authority of the Imperial Japanese Army in the 1930s and 1940s, conducted brutal experiments on thousands of unconsenting subjects. Because of the US interest in the data from these experiments, the perpetrators were not prosecuted and the atrocities are still relatively undiscussed. What counts as meaningful moral repair in this case―what should perpetrators and collaborator communities do decades later? We argue for three non-ideal but realistic forms of moral repair: (1) a national policy in Japan against human experimentation without appropriate informed and voluntary consent; (2) the establishment of a memorial to the victims of Unit 731; and (3) US disclosure about its use of Unit 731 data and an apology for failing to hold the perpetrators accountable.


Unit 731 and moral repair
Doug Hickey et.al.
The Journal of Medical Ethics, Published Online First 21 March 2016




米国のProtection and Advocacy Systemが
ウィロウブルック障害児施設での虐待スキャンダルなど、
医療職をはじめとする専門家による人権侵害の事実と歴史を認定し、
その反省に立つところからスタートしているのに対して、

介護保険制度の導入をはじめとする社会保障制度改革の制度上の必要から
海外の既存の制度や概念を借りてくる形で成年後見人制度がスタートした対比や、

ウーレットの『生命倫理学と障害学の対話』に描かれているような「対立」は
日本では本当に無いのか、という疑問を通じて、

以下のように書いてみたところだった。

日本でも
年齢や病名やQOLを指標に、コスト削減目的まであからさまに説きながら、
それでいて英米のような公の議論の広がりにはならないまま、
医療で命を線引きしようとする「無益な治療」論はどんどん露骨になっている。

そんな中、
成年後見人の「医療同意」に期待されているのは、実際のところ、
医療職の判断による治療中止への免責としてのシャンシャン手続きではないのか?

そういう今、
「権利擁護」にはいったいどこまで医療の世界と対峙する覚悟があるのかが
本当は問われているんじゃないのか?

それは、少なくとも医療をめぐる意思決定に関しては、
医療と障害者の人権という問題において「きちんと対立点を明らかにする」という作業が
日本では「権利擁護」の第一歩として、まず行われなければならない、ということなんじゃないか。

結局のところ、日本では医療における人権侵害の歴史がきちんと総括されていない、
ということに尽きるのかもしれないし、

日本にも「権利擁護支援」なるものが根付いたとして、
そこで成年後見人に医療同意権が付与されるとしたら、

その総括を外しては、
「障害者の権利擁護」は土台が成り立たないんじゃないか。

ウーレットの『生命倫理学と障害学の対話』を読んで以来、
私には、ずっと、そんな気がしている。
(ゴチックは今回追加)


例えば、こういうことも含めて ↓
宮坂道夫『ハンセン病 重監房の記録』(2014/8/5)

最高裁ハンセン病患者に謝罪へ 「特別法廷」不適切 産経新聞 2016年4月1日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160401-00000067-san-soci