介護を終えたケアラーへの支援の必要 人的資源としての活用も
To protect my individuality and my right to make a life for myself that will sustain me in the time when my relative no longer needs my full-time help.
(私には)一人の人としての自分と、自分自身の人生を生きていく権利とを守る権利があります。いつか家族に常時介護が要らなくなる日が来ても、その後にも私が私であり続けられるために。
(翻訳は上記リンクから、これを機に、さらに改訂してみました)(私には)一人の人としての自分と、自分自身の人生を生きていく権利とを守る権利があります。いつか家族に常時介護が要らなくなる日が来ても、その後にも私が私であり続けられるために。
多くのケアラーが
介護のために自分の人生の継続性を諦めざるを得なかった痛みを
引きずって生きている。
介護のために自分の人生の継続性を諦めざるを得なかった痛みを
引きずって生きている。
私自身が、何がなんだか分からないままに、
ものを書かないでいられなかった衝動の正体も、
結局はその痛みだったのだと、いつからか自覚するようになった。
ものを書かないでいられなかった衝動の正体も、
結局はその痛みだったのだと、いつからか自覚するようになった。
勤労年齢のケアラーの半数で働き手のいない家庭となっており、
17万人が介護のために有給の仕事を辞めたと答えている。
17万人が介護のために有給の仕事を辞めたと答えている。
食費や燃料費が上がる一方で、
ケアラーの収入はこうした事情から減るばかりだ。
ケアラーの収入はこうした事情から減るばかりだ。
介護者への支援の必要は認識されてきて、
スコットランド政府も介護者戦略の見直しによって
地方自治体の「介護者支援計画」や
教育、医療と福祉を結ぶ啓発プロジェクトthe Equal Partners in Care(EPIC)などが
動きだそうとしている。
スコットランド政府も介護者戦略の見直しによって
地方自治体の「介護者支援計画」や
教育、医療と福祉を結ぶ啓発プロジェクトthe Equal Partners in Care(EPIC)などが
動きだそうとしている。
しかし、それらは
現在、介護を担っているケアラーへの支援策であり、
現在、介護を担っているケアラーへの支援策であり、
年間、30~40%が新たにケアラーとなる一方で、
同じく30~40%がそれまでになっていた介護から離れるといわれる中、
同じく30~40%がそれまでになっていた介護から離れるといわれる中、
介護を終えた元ケアラーへの支援の必要には、
未だに眼が向いていない。
未だに眼が向いていない。
介護を担うために自分自身の人生を中断させ、
仕事を辞め、大切なキャリアを犠牲にしたり、
仕事と無償の介護を両立させてきた人たちは、
自分の人生の糸をもう一度つなげるのだろうか。
仕事を辞め、大切なキャリアを犠牲にしたり、
仕事と無償の介護を両立させてきた人たちは、
自分の人生の糸をもう一度つなげるのだろうか。
介護負担による影響は
いつまで続くものなのだろうか。
いつまで続くものなのだろうか。
介護を終えた後に、
新たな人生の目標を見出せず、
仕事への復帰も難しいとの見方がある一方で、
新たな人生の目標を見出せず、
仕事への復帰も難しいとの見方がある一方で、
介護体験から新たなスキルと興味を身につけて、
それを生かすべく新たなチャンスを広げ開拓していけるし、
それを生かすべく新たなチャンスを広げ開拓していけるし、
介護体験者はそれだけの貴重な人的資源だとする
考え方もある。
考え方もある。
そこで、Caveye教授らが
介護を終えた人への支援の必要や
必要な支援の内容を探るため研究を始めたもの。
介護を終えた人への支援の必要や
必要な支援の内容を探るため研究を始めたもの。
これ、とても大事な研究だと思う。
そういえば、
自分が介護を体験したことで
介護者支援のために何かしようと
活動を始めた米国人男性の記事を、先週どこかで読んだ。
自分が介護を体験したことで
介護者支援のために何かしようと
活動を始めた米国人男性の記事を、先週どこかで読んだ。
たしかに
ケアラーの痛みを知っている介護体験者や元ケアラーこそ、
活用すべき介護者支援の貴重な人的資源のはず。
ケアラーの痛みを知っている介護体験者や元ケアラーこそ、
活用すべき介護者支援の貴重な人的資源のはず。
それもまた「専門知」なのだと気づけば。