タイの代理母騒動で改めて思い知らされること

5日の以下のエントリーで拾ったタイの代理母の一件について、



実は私も最初の報道を見た時には、
さほど大きなニュースだとは思わなかった。

だから第一報からしばらくの記事はブクマもしていなかったくらい。

主な理由は、上記リンクのエントリーに書いたように、
似たような事例はこれまでもたくさん報道されていて、
代理母の周辺ではこれ以上のことだっていろいろ起こっているのは
周知の事実だと思っていたから。

なので、上記5日のエントリーそのものが
そういう趣旨になった。

そしたら、

昨日のBioEdgeのニュースレターに
Michael Cookが書いている以下の1節があって、

そこに書かれていることは、まさに、
5日のエントリーをああいう形で書くしかなかった時の
私の気持ちそのものだ……と思った。

To be honest, I didn’t think that the story was a big deal. I thought that everyone knew that 90% of Down syndrome babies in Australia and most Western countries are aborted. I thought that everyone knew that “foetal reduction” (ie, aborting excess children in a multiple pregnancy) is common. I thought that everyone knew that surrogacy in developing countries exploits young women. I thought that everyone knew that many, if not most, clients of these surrogates were creating unconventional families – either for gays or single women.

正直言って、これは大した話題だと思っていなかった。

豪でも、だいたいの西側諸国でも、ダウン症ベビーの90%が中絶されていることは
誰だって知っていると思っていたし、

「減胎手術(多胎妊娠で一定の胎児を中絶すること)」が当たり前に行われていることは
誰だって知っていると思っていたし、

途上国での代理母では若い女性が搾取されていることも
誰でも知っていると思っていた。

これらの代理母依頼人の多くは、ゲイのカップルとか独身女性で、
そういう人たちは従来とは異なった形態の家族を作っているということも、
誰もが知っていると思っていた。


How wrong I was! Apparently the media used to believe – and probably still does – that surrogacy is just an odd way to give children to doting mums and dads. They were completely ignorant of the many reasons why surrogacy is bad public policy which should be banned.

私はなんと間違っていたことか!

みたところメディアは、代理母とは
子どもがほしくてたまらない母や父に子どもを持たせるための風変わりな方法に過ぎないと
かつて考えていたし、いまもおそらくは考えているらしい。

代理母が全面禁止にすべきなほどマズい公共施策である理由は数多いが、
メディアはそれらの理由についてまったく無知だったのだ。



その「見えている絵」のギャップは
「科学とテクノで簡単解決バンザイ」文化の利権構造とか
「死ぬ権利」議論や「無益な治療」論とかの周辺で起こっていることについても、同じ。

そして、
「知らない」人たちは往々にして、
「知ろう」とするどころか、
「自分は知らない」ということ認めないために、
「知らないままでいる」ことに固執し、
「知らされる」ことに対して拒絶反応を示し、
「知らせようとする」人に対してヒステリックなほどの攻撃性をむき出しにしたりする。

そのことに、
私はいつも、この時代の救いのなさを感じてしまうのだけれど、

それにつけても、
Cookの、How wrong I was!ににじむ、嘆きの深さ――。