手まり寿司

昨年8月の末に死んだ友人は、
「いつか通りかかったホスピス病棟はしんと静まり返って、人の気配がなかった。
あんな寂しいところはイヤだ」と、ずっと言っていたのだけれど、

夫君一人しか介護者がいない在宅療養には無理があって、
7月上旬にホスピスに入った。

入ってしまうと、
それまで他の病棟の医師や看護師の冷たさや無関心にいつも傷ついていただけに、
ホスピスの看護の細やかさが気に入ったみたいだった。

入った翌日さっそく、
朝の6時半に、ホスピス棟の一隅にしつらえられた野外庭園に出て行って、
海に向かって「オーーーーーーイ」と吼え、次いで大声で歌を歌い始めるものだから、
すっ飛んできた看護師さんに制止される、という
実に彼女らしい『伝説』も作った。

着物をほどいてコートに仕立てる縫い物教室だとか、
ずっと彼女の趣味だったコーラス教室だとか、
かつての同僚とのお食事会などに、

脚の骨に転移があったから車イスだったけれど、
夫君の送迎でホスピスから外出していた。

そういうことを本人が楽しそうに語るので、
つい、まだそれなりに元気なように錯覚して、

春に我が家の福祉車両で花見に行ったのを思い出し、
「じゃぁ、来週、あんたの大好きな島へでも行ってみる?」と誘ってみた。

けれど、約束してはみたものの、
連日の酷暑に私自身があえぎながら考えてみると、
午後しか出かけられないというその日よりも、
朝のうちに行って帰ってこられる日の方がいいのでは、と思えてきて、
午前中に出かけられるという日まで数日の延期を提案した。

これが結果的に私の痛恨となった。

その直前に、彼女は脚の痛みで立つことがかなわなくなり、
そのまま立つどころか、ベッドから動けなくなってしまったから。

最初の約束どおりに出かけていたら、
最後に大好きな海を見せてやることができたのに。

それからは、弱っていくのが本当に早かった。

痛くて脚が動かせなくなり、
すぐに腕が片方ぜんぜん上がらなくなり、
手が使いにくくなり、片方はまるで使えなくなり、まぶたが開かなくなり、
肝臓や脚や全身のあちこちの痛みに常に耐えている状態となり、
ドライマウスの辛さを訴えるようになり、声が出にくく小さくなり、
ベッドを起こすこともできなくなり、呼吸が苦しくなり、
体全体が平たく薄っぺらになり、体の中で動かせるところが次々になくなっていった。

状態は日ごとにどんどん変わっていった。

数日前に行った時には、ベッドを起こして座っていて
「おはよう」と迎えてくれたのに、週末をはさんで行くと、
ベッドは起こしてあるものの、まぶたが開かなくなっていて、

「spitzibaraさんが来たよ」と夫君が、
いきなり彼女のまぶたを手で吊り上げて眼球を剥きだしにするものだから、
私はぎょっと、すくんでしまったりした。

そんな状態の友人にどのように接すればいいのか、
何をしてあげればいいのか分からないのだけれど、

そばに誰もいないと不安から痛みが増すようだったので、
夜通し付き添って世話を焼いている夫君が洗濯物を抱えて家に帰る
朝の時間帯をなるべく目指して行って、
老いたお母さんがやってくる午後の時間まで
いてあげることくらいはできそうだった。

まぶたが開かなくなって、話をするのがゆっくりになってきた頃に、
2人で一緒にいて、ぽつぽつとバカ話をしていたら、
私も顔なじみになった看護師さんがそこに加わったことがあった。

「それだけ仲良しだったら、お2人、似てきません?」と言われて、
瞬時に、双方が「えーっ。こんなのと一緒にしないでよぉ。
それに私たち、そんなに“仲良し”なんかじゃない」と考えたのが分かり、
大笑いになった。

その直後、その看護師さんがお昼ご飯を運んできて、
週に一度、某ホテルの厨房から昼食が届く日というのがあって、
たまたま、その日がそのホテル昼食に当たっているのだという。

友人はもう殆ど食べられなくなっていたのだけれど、

「せっかくのホテルのご馳走だから、
お2人で一緒に食べられたらどーですかー」と明るく薦めてくれるので、

トレイを覗いてみたら、
オムレツ、手まり寿司、にゅうめん、サラダ、メロンという、
かなり不可解なメニューだった。

とりあえずメニューを説明してやると、
手まり寿司を食べてみたいというので、ベッドを起こす。

「食べる前に、暗いと寂しいからカーテンを開けてくれん?」
「……カーテンは開いとるんよ。今日は曇り空じゃけん、暗い感じがするんじゃね」
「あー、そーなんじゃ」
「うん。早く晴れるとええね」

そんな会話があった。

身体を起こすとカチカチになった肝臓が痛むらしかったけれど、
それでも起きて食べてみたいという気持ちが動いてくれるのは
見ていて嬉しかった。

小皿に、ぽっちりと、小さな手まり寿司が2つ。
それぞれ薄い花びらみたいなサーモンと鯛の一片が、
ご飯にちんまりと馴染んで丸まっている。

それを箸で4つくらいに切って、口元に運んでやろうと見ると、
尼さんみたいになった友人は、まぶたが開かない目を閉じたまま、
ぱかっと大きな口をあけて待っていた。

それが我が子ではなく、
老いて病み衰えた幼馴染だというのがちょっと妙な感じではあるけど、
やること自体は、娘の世話で慣れっこだから、どうってことはない。

ぱかっとあけた口の、舌の上に寿司のカケラを置いてやると、
口を閉じて、ゆっくり小さく口を動かす。

咀嚼するでも噛むでもなく、
舌の上にある寿司飯のカケラから、その味わいだけを吸いとっては
飲み下すような動きを、ゆっくりと何度か繰り返した。

それから、目を閉じたまま、
口から音をひとつずつ、ていねいに押し出すようにして言った。

お い し い

一つひとつの音から、
たった今彼女が飲み下したものの滋味がじんわりと滲み出てくるようで、
言葉そのものが私には「おいしい」感じがした。

そこで「いのち」そのものが、生きているということの実感をしみじみ噛み締めているような、
そんな滋味がふっくりと煮含められた「おいしい」だった。

こんな状態になった友人が、
今この瞬間に、自分は「しあわせ」だと言っているのだ……と思うと、

温かいものが胸にあふれてきて、

目の前の誰かがものを食べてくれるということは、
こんなにも心に深く染み渡るような喜びだったのか……と、目を見張る思いになった。

ものを食べた人が、
全身丸ごとで生を肯定するような「おいしい」を言える「今この時」のしあわせに、
私もひたひたと満たされていく気がした。

私の人生で初めて体験する、稀有なひと時だった。

小さく美しい手まり寿司を見ると、
あの時の彼女の「おいしい」が聞こえてくる。