アトゥール・ガワンデ『死すべき定め - 死にゆく人に何ができるか』 2

前のエントリーからの続きです)

著者が丁寧に取材し、描いている何人かの高齢患者と家族の物語の一つが
老いた老年科医フェリックス・シルバーストーンと妻のベラ。

心臓発作とヘルニアの手術、胆石の手術、関節炎、脊椎の圧迫骨折、難聴を経ても
臨床を続けたフェリックスが引退したのは、妻のベラが全盲となったため。
自身の衰えに対処しながら、同じく衰えていく妻の介護を生きがいとして暮らすが、
2人だけの生活に限界が来ると、やがて退職者コミュニティに引っ越す。

そこでも妻が転んで骨折すれば、さらに生活を変えていく選択を迫られる。
プロの介護を受けることはできても、夫婦の阿吽の呼吸の介護は得られないし
プロの介護者は夫介護者の体験知を尊重しようとも、そこから学ぼうともしない

もう一人は、著者の妻の祖母のアリス・ホブソンの物語。

認知症が進んで、ついに家族は最善と考えるナーシング・ホームに入居させるが、
アリスはそこでとても不幸だった。

著者はナーシング・ホームの成り立ちについて、
興味深い指摘をしている。

1946年のヒル・バートン法で政府資金による病院建設が進められ、
50年代に救貧院から、高齢の貧民は福祉施設へ、病院と障害者は病院へと移動させられた。

そのため病院のベッドに空きを作る必要が生じて、作られたのがナーシング・ホーム。

……1954年、「回復のために」長期の入院を必要とする患者のために、病院とは別の入所施設を建設するための補助金が法制化された。これが今あるナーシング・ホームの起こりである。老年期における依存に向かわなければならない人たちのために作られたことは一度もない。病院のベッドに空きを作るために作られたのである――だからこそ、老人ホームは米国では「ナーシング[看護]」ホームと呼ばれるのである。

高齢化問題に対処するとき、現代社会は同じパターンをしつこく繰り返している。用意されるシステムは、そのほとんどが元々は他の問題を解決するためにデザインされたものばかりだ。……
(p. 63)


ナーシング・ホームでは、
医学的視点で「安全と健康」を最優先に、集団として管理されるケアを受け、
入所者が求めているのは安全以上のものだということが省みられない。

それでも他の選択肢が主として娘による家族介護しかないため、
多くの人がナーシング・ホームを唯一の選択肢と考えがちなのが現状だ。

誇り高い88歳のロー・サンダースは
肺がんと脳卒中に見舞われた妻を看取った後、
心臓発作、パーキンソン病を発症し、
ナーシングホーム以外の選択肢を求めて
娘のシェリー一家と同居を始める。

ローの更なる衰えと、ありとあらゆる工夫で対処しても度重なる転倒。
介護者としてのシェリーの疲弊。

ローが入ったのはアシスティッド・リビング。
1年も立たないうちに自分で退所して、自分で見つけた知人との暮らしを始めるが、
それも次の転倒までで、前以上にシェリーの介護負担が増大し、
結局、シェリーは父親をナーシング・ホームに入れる決断をする。

この第4章で興味深いのは、ナーシング・ホームの抱える限界を超えようと、
アシスティッド・リビングという形態を生み出したケレン・ブラウン・ウィルソンの
母親の介護体験と、そこから形成されていく理念と実践が描き出されていること。

ウィルソンらのグループはオレゴン州でいくつかの施設を作り、
生活満足度だけでなく、身体・認知能力まで向上させることに成功した。

ここで著者はとても重要な指摘をしている。

よく知られているマズローの欲求の段階説は高齢者には当てはまらない、
高齢者では優先順位が劇的に変わって、

……研究によれば、人は加齢に伴って交流する相手が減り、家族や昔なじみの友人と時間を過ごすことに力を注ごうとする。老人は誰かと「する」よりも「いる」法に、未来よりも現在に重きを置こうとする。
(p. 86)


著者はさらに、スタンフォード大学の心理学者、ローラ・カーステンセンの研究を紹介する。

自身の若い頃の臨死体験から
人生において何を大切と考えるかは、年齢や文化圏によるのではなく、
命の有限性を痛感することによって変わるのではないかと考え、
研究によってそれを実証し「社会情動的選択理論」を打ち立てる。

……先に見える水平線が10年単位で数えられているうちは、人間にとっては永遠と同じなのだろうが、人がもっとも強く望むものはマズローのピラミッドの一番上である――達成と創造、その他まさに「自己実現」につながるものだ。しかし、水平線が縮んでくると――自分の先の未来は有限であり、不安定だとわかったとき――人は今、現在ここにあるもの、日々の喜びと親しい人たちを大切にする方向へ方向転換する。
(p. 90)


ウィルソンのアシスティッド・リビングは、そうした生き方を支えるケアを実現したが、
広まるに連れ、企業の論理に取り込まれ、形骸化していく。
そして高齢者本人のためではなく、子どものニーズにアピールできるものとなっていく。

著者は

……私の祖父が頼っていたもの――大家族が傍らに常に付き添い祖父は自分のしたいことを自由に選べる――がなければ(spitzibara注:別の所で、著者は現在の米国では、娘がいるかどうかが大きな要因だと分析している)、私たちの高齢者は支配と監視の下に置かれた施設被収容者になる。これは治療不可能な問題に対して医学が考えた答えであり、本人の望みはすべて抹消し、安全確保だけを考えて設計された生活である。
(p.103)


もう一つ、私にとって面白かった指摘は、
高齢期の過ごし方が医学と施設にほぼゆだねられていることについて、
「人間の欲求について理解するよりも、己の技術的腕前を磨くことをより大切にしている人たちの手に、私たちの運命を委ねるという実験」と捉えていること。

その後、施設に多様な生き物をもちこんだり、各部屋に植物の鉢を持ち込んだり、
私立学校と同じ敷地に併設して交流を図り高齢者に役割を果たしてもらったり、
(日本で「富山型デイ」といわれる「このゆびとーまれ」をイメージしました)
徹底した個別ケアを実現する小規模な共同体グリーン・ハウスの試みなど、

施設の生活を改善するための実践が、
それを実行した人の物語と共にいくつか紹介される。

ナーシング・ホームで生きる希望を失ってしまったローは
グリーン・ハウスに移り、自律を取り戻していく。

「もう潮時だと言いたくなるときが今までにあったね。そのとき自分がどん底にいたからだと思う」。彼は言いはじめた。「たくさんだと言ったらたくさんだよ、よくそう言うだろう? 娘のシェリーを私が苦しめている。私はこう言ったんだ、アフリカにいたら、年を取って何も生み出せなくなった老人はジャングルに連れて行かれて放置され、野生動物に食われてしまう。シェリーは私を狂っているという。「ノー」と答えたよ。私も何ももう生み出せない。政府の金を使っているだけだ」

「こういうのを何とか切り抜けてきたんだ。みんなこういう、「まあ、物事はなるようにしかならない。流れに身を任せろ。周りがいてくれというなら、それがなんだ?」
(p. 142)


死ぬべき定めを自覚した人は、カーステンセンがいうように、多くを求めなくなる。
彼らにとって大切なことは、富でも権力でも名誉でもなく、
可能な限り、世界での自分の人生の物語をそのままつむぎつづけさせてほしいと願う
それは、本人の重度度に応じて選択し、他者との関係を維持するという自律。(p.143)

生活障害と依存が生じるとそれは無理だと思いこまれているが、
上記の努力をした人たちによって、自律は本当に可能だということを著者は学んだという。

そして、医師として気づいたのは,

……人の能力が衰えていくにつれて、歳をとるにせよ病気になるにせよ、その人の生活をよりよくしていくためには、純粋な医学的ルールを抑制する必要がある――いじくったり、修理したり、コントロールしたいという欲求に逆らわなければならない――ということである。
(p. 145)


この欲求に逆らえない医療と、
そのルールを内在化させて末期がんと闘い続けた患者さんのケース
さらに在宅ホスピスケアにできることの可能性を示すケースが
いくつか紹介された後で、マサチューセッツ総合病院の調査結果(2010)が紹介される。

緩和ケア・プログラムに参加した患者は
化学療法を中止するのが早く、ホスピスに入るのも早く、臨終での苦痛が少なく、
さらに、緩和ケアを受けない患者よりも25%も長生きした。(p.175)

これは日本でも新城拓也先生が指摘しておられる事実。

で、いよいよ、この後の事前指示書をめぐる議論あたりから、
私は本書の最も核心的な部分が始まっていると思う。

次のエントリーに続きます)