アトゥール・ガワンデ『死すべき定め - 死にゆく人に何ができるか』 2
(前のエントリーからの続きです)
心臓発作とヘルニアの手術、胆石の手術、関節炎、脊椎の圧迫骨折、難聴を経ても
臨床を続けたフェリックスが引退したのは、妻のベラが全盲となったため。
自身の衰えに対処しながら、同じく衰えていく妻の介護を生きがいとして暮らすが、
2人だけの生活に限界が来ると、やがて退職者コミュニティに引っ越す。
臨床を続けたフェリックスが引退したのは、妻のベラが全盲となったため。
自身の衰えに対処しながら、同じく衰えていく妻の介護を生きがいとして暮らすが、
2人だけの生活に限界が来ると、やがて退職者コミュニティに引っ越す。
そこでも妻が転んで骨折すれば、さらに生活を変えていく選択を迫られる。
プロの介護を受けることはできても、夫婦の阿吽の呼吸の介護は得られないし
プロの介護者は夫介護者の体験知を尊重しようとも、そこから学ぼうともしない。
プロの介護を受けることはできても、夫婦の阿吽の呼吸の介護は得られないし
プロの介護者は夫介護者の体験知を尊重しようとも、そこから学ぼうともしない。
もう一人は、著者の妻の祖母のアリス・ホブソンの物語。
著者はナーシング・ホームの成り立ちについて、
興味深い指摘をしている。
興味深い指摘をしている。
そのため病院のベッドに空きを作る必要が生じて、作られたのがナーシング・ホーム。
ナーシング・ホームでは、
医学的視点で「安全と健康」を最優先に、集団として管理されるケアを受け、
入所者が求めているのは安全以上のものだということが省みられない。
医学的視点で「安全と健康」を最優先に、集団として管理されるケアを受け、
入所者が求めているのは安全以上のものだということが省みられない。
それでも他の選択肢が主として娘による家族介護しかないため、
多くの人がナーシング・ホームを唯一の選択肢と考えがちなのが現状だ。
多くの人がナーシング・ホームを唯一の選択肢と考えがちなのが現状だ。
ローが入ったのはアシスティッド・リビング。
1年も立たないうちに自分で退所して、自分で見つけた知人との暮らしを始めるが、
それも次の転倒までで、前以上にシェリーの介護負担が増大し、
結局、シェリーは父親をナーシング・ホームに入れる決断をする。
1年も立たないうちに自分で退所して、自分で見つけた知人との暮らしを始めるが、
それも次の転倒までで、前以上にシェリーの介護負担が増大し、
結局、シェリーは父親をナーシング・ホームに入れる決断をする。
この第4章で興味深いのは、ナーシング・ホームの抱える限界を超えようと、
アシスティッド・リビングという形態を生み出したケレン・ブラウン・ウィルソンの
母親の介護体験と、そこから形成されていく理念と実践が描き出されていること。
アシスティッド・リビングという形態を生み出したケレン・ブラウン・ウィルソンの
母親の介護体験と、そこから形成されていく理念と実践が描き出されていること。
ここで著者はとても重要な指摘をしている。
……研究によれば、人は加齢に伴って交流する相手が減り、家族や昔なじみの友人と時間を過ごすことに力を注ごうとする。老人は誰かと「する」よりも「いる」法に、未来よりも現在に重きを置こうとする。
(p. 86)
(p. 86)
著者はさらに、スタンフォード大学の心理学者、ローラ・カーステンセンの研究を紹介する。
自身の若い頃の臨死体験から
人生において何を大切と考えるかは、年齢や文化圏によるのではなく、
命の有限性を痛感することによって変わるのではないかと考え、
研究によってそれを実証し「社会情動的選択理論」を打ち立てる。
人生において何を大切と考えるかは、年齢や文化圏によるのではなく、
命の有限性を痛感することによって変わるのではないかと考え、
研究によってそれを実証し「社会情動的選択理論」を打ち立てる。
ウィルソンのアシスティッド・リビングは、そうした生き方を支えるケアを実現したが、
広まるに連れ、企業の論理に取り込まれ、形骸化していく。
そして高齢者本人のためではなく、子どものニーズにアピールできるものとなっていく。
広まるに連れ、企業の論理に取り込まれ、形骸化していく。
そして高齢者本人のためではなく、子どものニーズにアピールできるものとなっていく。
著者は
……私の祖父が頼っていたもの――大家族が傍らに常に付き添い祖父は自分のしたいことを自由に選べる――がなければ(spitzibara注:別の所で、著者は現在の米国では、娘がいるかどうかが大きな要因だと分析している)、私たちの高齢者は支配と監視の下に置かれた施設被収容者になる。これは治療不可能な問題に対して医学が考えた答えであり、本人の望みはすべて抹消し、安全確保だけを考えて設計された生活である。
(p.103)
(p.103)
もう一つ、私にとって面白かった指摘は、
高齢期の過ごし方が医学と施設にほぼゆだねられていることについて、
「人間の欲求について理解するよりも、己の技術的腕前を磨くことをより大切にしている人たちの手に、私たちの運命を委ねるという実験」と捉えていること。
高齢期の過ごし方が医学と施設にほぼゆだねられていることについて、
「人間の欲求について理解するよりも、己の技術的腕前を磨くことをより大切にしている人たちの手に、私たちの運命を委ねるという実験」と捉えていること。
その後、施設に多様な生き物をもちこんだり、各部屋に植物の鉢を持ち込んだり、
私立学校と同じ敷地に併設して交流を図り高齢者に役割を果たしてもらったり、
(日本で「富山型デイ」といわれる「このゆびとーまれ」をイメージしました)
徹底した個別ケアを実現する小規模な共同体グリーン・ハウスの試みなど、
私立学校と同じ敷地に併設して交流を図り高齢者に役割を果たしてもらったり、
(日本で「富山型デイ」といわれる「このゆびとーまれ」をイメージしました)
徹底した個別ケアを実現する小規模な共同体グリーン・ハウスの試みなど、
施設の生活を改善するための実践が、
それを実行した人の物語と共にいくつか紹介される。
それを実行した人の物語と共にいくつか紹介される。
ナーシング・ホームで生きる希望を失ってしまったローは
グリーン・ハウスに移り、自律を取り戻していく。
グリーン・ハウスに移り、自律を取り戻していく。
「もう潮時だと言いたくなるときが今までにあったね。そのとき自分がどん底にいたからだと思う」。彼は言いはじめた。「たくさんだと言ったらたくさんだよ、よくそう言うだろう? 娘のシェリーを私が苦しめている。私はこう言ったんだ、アフリカにいたら、年を取って何も生み出せなくなった老人はジャングルに連れて行かれて放置され、野生動物に食われてしまう。シェリーは私を狂っているという。「ノー」と答えたよ。私も何ももう生み出せない。政府の金を使っているだけだ」
「こういうのを何とか切り抜けてきたんだ。みんなこういう、「まあ、物事はなるようにしかならない。流れに身を任せろ。周りがいてくれというなら、それがなんだ?」
(p. 142)
「こういうのを何とか切り抜けてきたんだ。みんなこういう、「まあ、物事はなるようにしかならない。流れに身を任せろ。周りがいてくれというなら、それがなんだ?」
(p. 142)
死ぬべき定めを自覚した人は、カーステンセンがいうように、多くを求めなくなる。
彼らにとって大切なことは、富でも権力でも名誉でもなく、
可能な限り、世界での自分の人生の物語をそのままつむぎつづけさせてほしいと願う
それは、本人の重度度に応じて選択し、他者との関係を維持するという自律。(p.143)
彼らにとって大切なことは、富でも権力でも名誉でもなく、
可能な限り、世界での自分の人生の物語をそのままつむぎつづけさせてほしいと願う
それは、本人の重度度に応じて選択し、他者との関係を維持するという自律。(p.143)
生活障害と依存が生じるとそれは無理だと思いこまれているが、
上記の努力をした人たちによって、自律は本当に可能だということを著者は学んだという。
上記の努力をした人たちによって、自律は本当に可能だということを著者は学んだという。
そして、医師として気づいたのは,
……人の能力が衰えていくにつれて、歳をとるにせよ病気になるにせよ、その人の生活をよりよくしていくためには、純粋な医学的ルールを抑制する必要がある――いじくったり、修理したり、コントロールしたいという欲求に逆らわなければならない――ということである。
(p. 145)
(p. 145)
この欲求に逆らえない医療と、
そのルールを内在化させて末期がんと闘い続けた患者さんのケース
さらに在宅ホスピスケアにできることの可能性を示すケースが
いくつか紹介された後で、マサチューセッツ総合病院の調査結果(2010)が紹介される。
そのルールを内在化させて末期がんと闘い続けた患者さんのケース
さらに在宅ホスピスケアにできることの可能性を示すケースが
いくつか紹介された後で、マサチューセッツ総合病院の調査結果(2010)が紹介される。
これは日本でも新城拓也先生が指摘しておられる事実。