アトゥール・ガワンデ『死すべき定め - 死にゆく人に何ができるか』 3

前のエントリーからの続きです)

ウィスコンシン州のラ・クロッセ市は
事前指示書を書く人が増えて、終末期の医療費削減に成功した。

が、実際に重要なのは、形式としての事前指示書が書いてあることではなく、
同市の救急専門医、グレゴリー・トンプソン医師がいうように、
「患者がICUに入るときに話し合いを始めるのではなく、そうなる前から何度も何度も
話し合いが繰り返されていたことが多い」(p.177)というところが肝心。

医師が患者にする四つの質問(p.177)が大事なのではなく、
その質問を通じて話し合いをすること、どのような話し合いをするかが大事。

それは簡単であり、複雑なことだ

この本が訴えているのは、
よく言われるように「話し合っておけ」「あらかじめ決めておけ」ということではなく、
今はほとんどの医師が間違っている話し合いの姿勢を転換せよ、ということだと思う。

例えば、著者の病院の緩和ケア医、スーザン・ブロックによれば、
「この仕事の大部分は、圧倒的な不安を患者さんが乗り越えていけるようにお手伝いすること
――不安は死に対してだったり、苦痛に対してだったり、家族のことだったり、おカネのことだったりする」

彼女自身、父親がガンにかかった時に、とても困難だったが、思い切って
「生き延びるためには、お父さんがどこまでやってもいいと思っているのか、
どの程度の生き方なら耐えられるのか」の2つを聞いた。

答えは「チョコレートアイスを食べて、フットボールの試合をテレビで見ることができるなら、
生き延びていたいな。それができるなら、そうとうな痛みにも耐えて、手術も受ける」

後日、手術中に脊髄で内出血が起こり、四肢マヒのリスクを押して手術を続行するか
判断を求められたブロック医師は、上記の答えによって、続行を頼むことができた。

著者の父親に脊髄内の腫瘍が見つかった時、父親は2人の医師のうちの一方を選んだが、
それは「父が何をもっとも気にしているかを理解する努力をしてくれた」(p.197)方だった。

著者は、エゼキエル&リンダ・エマニュエルの論文から、
医師の患者への接し方について以下の3つの類型を挙げる。

「パターナリスティックな関係」 
 赤と青の錠剤のうち、あなたには赤がいい、赤を飲みなさい、と指示するような態度。

「情報提供的な関係」
 赤と青それぞれについて説明して「さぁ、どっちにしますか?」と
判断を患者の自己決定に投げるような態度。

「解釈的な関係」
 自分が何を望んでいるかを患者が決めるのを援助することが医師の役割。
 いわゆる「共同意思決定」。
「あなたにとってもっとも大切なことは? 何が心配?」と問い、
 答えが分かったところで、赤と青の錠剤について説明し、
 患者が目指すところに到達するにはどちらか役立つかを説明する。

その上で、著者は
自分を含めて医師には「情報提供的な医師」になりたがる傾向があると振り返る。

そして、自身は父親の闘病から看取りのプロセスでは、
これらの考察を念頭に、難しい話し合いを重ねる。

「麻痺してしまったとしたら、何が恐ろしい?」
「状態が悪化したら、その時の目標はなんだろう?」
「何を犠牲として差し出してもいいのか」
「今進行していることを止めようとしないとしたら、どういう理由でなのか」

著者の父親は、他の人と共にいて交流することをもっとも大切にしたい、と答えた。

「では、人との関わりを楽しめるのなら、麻痺にも耐えられるという意味だろうか」
「ノー」

自分の世界と生活について自分でコントロールできることも望んでいた。

四肢麻痺については「ありえない」「そうなる前に死なせてくれ」

著者の父親も手術中に心臓発作の兆候が出て、続行するか家族が問われた。
四肢麻痺になるリスクが低いのは続行だった。

手術のあと、いったんはリハビリで回復したものの
やがてまた状態は変わる。

死に向けて、新たな問題が発生しては選択は絶え間なく続くのだ。

次々に起こってくる問題に、医師は様々な治療法を提示し、勧めるが、
そういう時、医師は治療効果の不確実性を受け入れられないまま、
うまくいけば、こうなるかもしれない、と言い、結局は事態を悪化させる。

こういう時、医師は1、2年の延命効果を考えている。
患者と家族は10年、20年のスパンで考えている、というのは
ポール・マルコー医師の指摘。(p. 218

いよいよホスピスを選択した時、
やってきたホスピスの看護師の対応が見事だ。

具体的、現実的に問題を捉え、
正面から困難な質問をして本人の望みを探りつつ、
本人や家族の気持ちも否定しない。
厳しい現実を隠さず、理由を明確にして必要な指示を出す。

 今を犠牲にして未来の時間を稼ぐのではなく、今日を最善にすることを目指して生きることがもたらす結果を私たちは目の当たりにした。父はすっかり車イスの人になった。しかし、完全な四肢麻痺に進行するのは止まった。短い距離なら歩行器で何とか移動できるようになってきた。手の自由と腕の筋力が改善した。電話をかけたり、ノートパソコンを使ったり……中略……忌まわしい腫瘍が残したわずかな隙間の中にも、父が生きられる場所があることに父は気づいた
(p.228 ゴチックはspitzibara)


そして、著者が母校の卒業式にスピーカーとして招かれた時、
父親は会場で、途中まで運んでもらったカートから立ち上がり、
自分の足を使ってゆっくりと歩いて保護者席まで移動する。

この体験から学んだ著者は、自分の臨床においても
情報提供的な医師になろうとすることを自戒し、
患者に問うようになっていく。

あなたにとってもっとも恐ろしいこと、もっとも心配なことは何か?

もっとも大事な目標は何か?

どのような犠牲なら喜んで差し出すのか?

どのような犠牲なら応じないか?

(p.234)


著者はそういう表現をしていないし、そういう捉え方もしていないように見えるけど、

これらの質問が成しとげているものは
医療を受ける主体が患者本人であることの気づきであり、
意思決定における主体の、医師から患者への委譲ではないか、と

私には思える。

次のエントリーに続きます)