ぐりぐり

親子3人で近所のスーパーで買い物をしていると、
「あらっ? 海ちゃん……?」と声がして、
海の車いすに駆け寄ってきた人があった。

なんと、
幼児期の海が散々お世話になった総合病院の小児科の処置室にいた、
点滴を入れるのが、むっちゃ上手だった”神の手”の看護師さん。

「まぁ、ほんとうに海ちゃん? 
まー、あんた、大きくなって、まー、何年振りかねー」

ほとんど親のことなど無視して立て続けに海に話しかけながら、
海の顔をあっちもこっちもぐりぐりと撫でまわし、

「ねぇ、〇〇さんのこと、覚えとる?」

頬ずりせんばかりに迫られた海は
ちょっとテレながら「ハ」と大口あけて答えた。

母親の方はその後の年月の間には
何度かスーパーでその人に会って
長々と立ち話をしたことがあって、

看護学校から要請があって
そちらの先生になられたことは聞いていた。

そこの学生さんの実習で療育園へ行き、
海がいて、大きくなっていることに驚いた、
自分のことは覚えていてくれた、という話は
ずいぶん前の立ち話で聞いたけど、
それだって確か、海が中学生の頃の話だ。

「まー(あごのあたりをぐりぐり)、
こーんなオネーサンになってー(ほっぺたをぐりぐり)。

……で、いま何歳?」

この辺りでやっと親の方を向いてもらえる。

「もう26歳ですよ~」
本気で絶句していた。

それから親との間で昔話にひとしきり花が咲き、
お互いの近況を報告し合う間、

私たち夫婦と話しながら、
その人はずっと海の車いすにぴたりと寄り添って
海の肩から腕からをやたらと撫でまわし続けていた。

まるで週末に療育園に迎えに行って、海と顔を合わせてしばらくの間、
「あんたー、元気しとった?」とか、なんだかんだ、どーでもいいことを言いながら 
私がつい抑えがたく、そうしてしまうように。


その人と日常的に顔を合わせていたのは、
本当に遠い、遠い、はるかに遠い日々――。

幼い海が病気ばかりして、
親は肉体と精神の限界を毎日試されているような日々だった。

それでも、苦しいことばかりに思えた、あの遠い日々にも、
そういえば、その人は、親子が長い時間を耐えて過ごす処置室で
いつも変わらない笑顔でいてくれる人だった。

子どもの障害を前に混乱する未熟な親たちと
笑顔で柔らかく接してくれる人だった。

余裕というものがみじんもなかった、あの頃の私には見えなかったけれど、
その人はあの処置室にやって来る子どもたちをこんなにも愛してくれていたんだ……と、

海が生きてそこに在ることそのものを、いのち丸ごといとおしむかのように、
海の顔から体から撫でさすり続けるその人の手つきに、

人の思いの温かさやありがたさや、
時が過ぎるということの優しさや切なさや、
いろんな思いがごっちゃになって、なんだか涙ぐみそうになった。