矢吹文敏 『ねじれた輪ゴム=山形編=』

矢吹文敏 『ねじれた輪ゴム =山形編=』 (生活福祉社 2014)


著者の矢吹さんは、日本自立生活センター所長で、
日本の障害者運動を牽引してこられた方。

インタビューがこちらに ↓
http://www.arsvi.com/2000/0908ts.htm

2月に京都の某所で初めてお目にかかった。

昔の障害者運動の愉快なエピソードを、
素敵な笑顔でたくさん聞かせてくださった。

シンポでは、
艶と深みのある声と、穏やかなしみじみした口調で、
時にちょっぴり辛らつなことも、ゆっくりと、誰も責めずに話されたのが心に染みた。

懇親会でも隣の席でお話できて、
ものを知らないくせに口だけペラペラと小賢しいspitzibaraを
懐深く許容してくださった。

(矢吹さん、女性にモテるだろうなぁ、と直感したんだけど、
この本を読んだら、やっぱりその通りだった)

あっちにもこっちにも抜いておきたいところ、
触れたいことが、山のようにあるんだけど、

個人的には、なによりも、冒頭で、
お涙頂戴や自慢話の「障害者の手記」なんか金輪際書くもんか、と決めていた矢吹さんが、
本を書くことを決めた理由の中で、

亡きお母さんのことを思いながら、お母さんのことを書きたい、
と書いておられて、

私も障害のある人の母親として、
矢吹さんのこの思いを大切に受け止めて読もう、と思った。

笑えるところも多くて(とりわけ「千の風になって」の替え歌には爆笑)、
矢吹さんの心のうちを思うと、ただヒリヒリとする場面も少なくないのだけれど、
半生だけでも優に3つ分くらいの人生を生きてこられたような40代までを、
独特の飄々とした語りでたどらせてもらって、

この本は、矢吹さん個人の人生の記録というだけではなく、
日本の障害者運動のとても貴重な資料なのだと思った。

そして、冒頭で、
いざ書いてみたら、お母さんについての記述が少なくなった、とも書かれていたように、
確かに書かれていることの大半は矢吹さんの話なのだけれど、

最後の最後のあとがきの、ある下りのところで、

これは、確かに紛れもなく、
母を思いながら、母のことについて書かれた本なのだ、ということが
ずしん、ときた。

そこを何度か読み返し、そのたびに
また少しずつ胸に沁みて、じわ~っと涙が滲んできた。

母の一人として、
思いやられ、励まされ、叱咤されている……、と思った。

長い引用になるのですが、
矢吹さんはたぶん許してくださるだろうと勝手に決めて、
その下りを。

 しかし、つくづく思う。戦争を終えてから68年にもなろうという今日。世の中はこれほどにIT化が進み、あらゆる便利さと飽食が蔓延しているにも関わらず、障害児を持つ母親が未だに心からの自由を勝ち取れてはいない。

 障害者のみならず多くの人たちの人権運動が進み、封建的な社会が崩れかけているというのに、自分の子どもの身体が不自由に産まれたことを堂々と誇りをもって生きる姿勢を持った女性との出会いは極めて少ない。ほとんどの方が「自分の子がなにもできないこと」をアピールするか、あるいは「この子が産まれたおかげで私は救われているんです。この子の笑顔を見ているとそれだけで親孝行されていると思ってます」というようなことをおっしゃる。

 ・・・まっ、それはそれで私がとやかく言うことではないのだが、だからといってわが子の一生全てを抱え込んでしまって、その子の自由や生き方を全て拘束し、監視する権限は全くないのではないか。

 もちろん、私の母親にしても、もしかして父親も、私に対して、兄姉に対しても、計り知れない罪悪感を持っていたのだろうか。小学校の授業で映画館に行った時にでも、私の同級生にすら何か遠慮していたような様子があった母。私に対してどれほどの期待をもって育ててくれたのかは面と向かって聞いたこともない。ただ、私がこれまでの人生をかなり自由に生きて来れたことそのものが、母の裁量であり、兄姉の心の深みである。私にとっては、この事実がすべてを物語る。

 障害者であることの本人の不自由さはともかく、親や兄弟まで不自由になる必要は本来ないはずであり、全ての負担が家族にのみ降りかかる社会のシステムは、もはや社会保障の国とはいえないはずだ。だからこそ、社会保障を育てる社会の目(芽)は、まずは親や兄弟縁者の姿勢が変わることが真っ先に必要である。

 障害者であろうと健常者であろうと、親は親、兄弟(姉妹)は兄弟(姉妹)。そのしがらみがあってこそ多くのドラマが存在する。それが特別に障害児(者)であることによってのみ、暗いものであってはならないだろう。
(p.280-281)


ちなみにタイトルの「ねじれた輪ゴム」は
子ども時代に動き回れず家に閉じこもっていた矢吹さんが、
輪ゴムを切って、ねじって遊んでいた一人遊びから。

それについて、やはりあとがきに印象的な一節がある。

 例えば、私が一本のゴムだとしたら・・・ゴムの端をどこまでもねじったら、いや、自分でネジルわけでは無く、ネジられていったとしたら。そこに秘められたエネルギーは、たった一本の輪ゴムでも糸車を回し、束ねたゴムは模型飛行機を飛ばし、その瞬発力は自動車のタイヤにもなっている。多分、私は、多くの人たちにずーっとネジられてきた。そろそろ元に戻りかけた頃にはさらに大きくネジられ、私の人生はその繰り返しであったのかもしれない。

……(中略)……

 幸か不幸か、未だに私は、色んな所で色んな風にネジられている。相当に復元力を失ってはいるが、それでも、私を捩(ネジ)って遊んでくれる人がいる。もちろん、その捩られ方が、ときどき差別的な扱いであったりするし、許せないものを感じる時がある。しかし、捩られた私は、かろうじて残された反発力で、その捩れを跳ね返そうとする。
(p/ 297)


京都編も、読みたい。